第十六話:オペラ座の契約
ラ・コミューンの隠れ家に戻ったカミーユは、壁に飾ってあった、ウェイから「借りて」きた旧式のライフルを、静かに手入れしていた。布で、その冷たい鉄の感触を確かめるように、ゆっくりと。
スピーカーから、アヤの声が聞こえた。その声には、ウェイとの交渉で張り詰めていた緊張が、まだ残っている。
『……本当に、やるの? 暗殺なんて』
「ホバーユニットを手に入れるには、それしかない」
カミーユは、ライフルから目を離さずに答えた。
『でも、相手はル・コルボーだよ! 街の半分を牛耳ってる、本物の怪物だ! ウェイの言うことなんて、信じていいの? 奴が、私たちをコルボーに売り渡すための、罠かもしれないじゃない!』
「ウェイは信用しない」
カミーユは、手入れを終えたライフルを、壁に戻した。
「だが、奴がコルボーを消したいという動機は、信用できる。……面倒だが、一番確実な道だ」
アヤは、それ以上、何も言わなかった。
カミーユが決めたことだ。ならば、自分は、その道を、完璧なものにするだけだ。
『……分かった。ウェイから送られてきたインテルを、スクリーンに出すね』
ホログラムが、空中に浮かび上がる。
そこに映し出されたのは、一枚の、豪奢なデザインの招待状と、古びた建物の設計図だった。
『……オペラハウス……』
アヤが、驚きの声を上げた。
バ=カルティエの中心部に、ほとんど無傷のまま残っている、旧世界の壮麗なオペラハウス。
ウェイからのメッセージには、こう記されていた。
「近々、オートヴィルのVIPが、文化交流の名目で、オペラハウスを訪れる。その夜だけは、市警も、我々も、全ての勢力が一時的に休戦し、客人の安全を保証する、という取り決めだ」
「そして、旧世界の芸術を好む、我らが『王』、ル・コルボーも、必ず、その貴賓席に姿を現す」
「……なるほど。休戦協定の夜が、奴が最も油断する夜、というわけか」
カミーユが、設計図を睨みながら呟いた。
そこから、二人の、完璧な暗殺計画の立案が始まった。
戦術知識を持つカミーユと、天才ハッカーであるアヤ。二人の能力が、一つの目的のために、融合していく。
カミーユは、オペラハウスの正面玄関前の、大通りの地図を指し示した。
「演劇が終わるのは、22時。コルボーが出てくるのは、おそらく、その後だ。問題は、この通りを、どうやってクリアにするか」
アヤが、即座にシミュレーションを開始した。
『……できる。この地区の交通管制システムは、旧式のシステムだ。セキュリティはザルだよ。ミメーシスを中継器にすれば、この距離からでも、信号機も、道路の遮断機も、全て掌握できる』
『……皮肉だね。街の安全を守るためのシステムが、最高の狩場を作り出すなんて』
カミーユの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。
「私が、合図を送る。お前は、それに合わせて『舞台』を作れ。路地に隠した大型車両を、コルボーにぶつける」
『了解。……もし、それで仕留めきれなかったら?』
カミーユは、壁に立てかけていたライフルを静かに手に取った。
「その時は、私が、フィナーレを飾る」
そして、運命の夜が来た。
何年ぶりかに、オペラハウスに、まばゆい光が灯る。
オートヴィルから来たVIPの車列が、物々しい警備の中、正面玄関に到着した。
カミーユは、オペラハウスの向かいにある、廃ビルの屋上から、その全てを、双眼鏡で見ていた。
彼女の隣には、旧式のライフルが、静かに置かれている。獲物を待つ蛇のように、鈍い光を放っていた。
『……カミーユ。……来たよ』
アヤの声。
オペラハウスの正面玄関に、一台の、黒く、長いリムジンが停まる。
護衛に囲まれ、中から、一人の男が姿を現した。
普通の、整った顔立ち。
しかし、その下に続く、継ぎはぎの、暴力的なシルエットの身体。
ル・コルボー。
彼は、周囲を睥睨すると、オペラハウスの中へと消えていった。
カミーユは、息を殺した。
あとは、ショーの終わりを待つだけだ。
廃都の片隅で、今、血塗られたオペラの、第二幕が、静かに始まろうとしていた。




