第八話:ケルベロス・キー
旧EAC社のデータバンクは、バ=カルティエ西岸地区の、さらに奥深くにあった。
かつては、この地区全体の情報を統括していたであろうその建物は、ブラックアウトの際に発生した火災と、その後の度重なる略奪によって、黒い骸骨のような姿を晒している。
『……カミーユ、気をつけて。……熱源反応が多数。……バスティオンの旧式警備ドローンだ。まだ生きてる』
アヤの警告が、無線機から囁くように届く。
カミーユは、データバンクの向かいにある、半壊したビルの屋上から、その様子を窺っていた。
犬型の四足歩行ドローン「ハウンド」が、数体ずつ群れをなし、建物の周囲を機械的に巡回している。旧式とはいえ、その顎に搭載されたマシンガンは、生身の人間を引き裂くには十分すぎる威力を持っていた。
「……面倒だな」
カミーユは、小さく呟いた。
まともにやり合えば、勝てない相手ではない。だが、それは、多大な時間と弾薬を消耗する、リターンに見合わない面倒事だ。避けるべき選択だった。
『……ビルの構造データをスキャン中……。裏手に、旧式の地下搬入通路がある。今は瓦礫でほとんど埋まってるけど……あんたなら、通れるかもしれない』
「それでいこう」
カミーユは、ビルの屋上から、ロープ一本で音もなく地上へと降り立つと、建物の裏手へと回り込んだ。
アヤが示した通り、そこには、瓦礫に半ば埋もれた、小さな搬入口があった。大柄なサイボーグでは、到底通れない隙間だ。
彼女は、バックパックを一旦降ろすと、蛇のようにしなやかに身体を滑り込ませ、暗い通路の中へと侵入した。
中は、湿ったカビの匂いと、ショートした機械が放つ、オゾンの匂いが混じり合っていた。
カミーユは、小型のライトを頼りに、瓦礫を乗り越えながら、慎重に奥へと進む。
『……電力が、まだ生きてる。おそらく、自家発電装置が、かろうじて機能してるんだ。……メインサーバー室は、この真上……』
アヤのナビゲートに従い、カミーユは、天井にあるメンテナンス用のハッチを見つけ出した。
ボルトを外し、静かに蓋を持ち上げる。
そこは、データバンクの心臓部――メインサーバー室だった。
何百ものサーバーラックが、薄暗い部屋の中に整然と立ち並び、その一部は、今も青いランプを明滅させている。部屋の中央には、バスティオンのドローンは見当たらない。
『……見つけた、カミーユ!部屋の奥、メインフレームの横にある、独立したターミナル!あれが、ケルベロス・キーの制御盤だ!』
カミーユは、ハッチから静かに床へと降り立つと、アヤが示したターミナルへと向かう。
しかし、彼女がそのターミナルに触れようとした、その瞬間。
[カシャッ]
部屋の四隅、天井に設置されていた球体が、音を立てて開いた。
中から現れたのは、自動迎撃タレットだった。
「しまった!」
『隠しセキュリティだ!ドローンとは別系統で……!』
警告と、銃声は、ほぼ同時だった。
凄まじい弾丸の嵐が、カミーユがいた場所へと殺到する。
彼女は、咄嗟に近くのサーバーラックの影へと飛び込み、身を隠した。金属片が、火花を散らしながら、彼女の数センチ横を通り過ぎていく。
「アヤ!」
『やってる!でも、こっちのセキュリティは、さっきまでの比じゃない!……時間を稼いで!』
四方からの十字砲火。身動きが取れない。
このままでは、サーバーラックごと、蜂の巣にされる。
カミーユは、舌打ちすると、スリングライフルにEMP弾を装填した。
彼女は、一瞬だけ、ラックの影から身を乗り出すと、四つのタレットのうち、最も近くにある一つに、EMP弾を正確に撃ち込んだ。
着弾と同時に、青白い光が炸裂し、タレットが一瞬だけ沈黙する。
十字砲火に、わずかな「穴」が生まれた。
カミーユは、その数秒の隙を見逃さない。
彼女は、ブーツの『ラピッド・ストライク』を起動。
圧縮空気の噴射音と共に、彼女の身体は、弾丸となって、沈黙したタレットの真下、つまり、部屋の隅の死角へと、一直線に駆け抜けた。
他の三つのタレットが、慌てて彼女を追うが、その射線は、他のサーバーラックによって遮られている。
カミーユは、息を整えると、今度はアルバレッテを構えた。
狙うのは、タレットそのものではない。
アヤが、叫ぶ。
『カミーユ、天井!あれが、この部屋の緊急冷却システムの、メインパイプだ!』
この部屋は、サーバーを熱暴走から守るための、最終安全装置が設置されていたのだ。
カミーユは、アルバレッテに、ただの鋼鉄の弾頭を込めた「徹甲ボルト」を装填。
そして、部屋の中央を走る、最も太いパイプを、正確に撃ち抜いた。
[プシュッ、ガキン!]
ボルトが、分厚いパイプを貫通する。
次の瞬間、部屋の気圧が、急激に変化した。
[ゴオオオオオッ!]
天井と床が爆ぜるように開き、無数の緊急ベント(排気口)から、全てを凍らせる白い冷気が、轟音と共に噴き出した。
極低温の不活性冷却ガスが、部屋の隅々まで行き渡る。
タレットの銃身が、急速冷凍によって、白い霜を纏い、音を立てて凍り付いていく。熱を持っていたセンサーは、急激な温度変化に耐えきれず、次々とショートし、火花を散らした。
数秒後、全てのタレットは、ただの氷の彫刻と化して、完全に沈黙した。
『……やった……!』
「アヤ、キーは!?」
『今、ロックを解除してる!……開いた!』
カミーユは、凍てつく白い霧の中を、目的のターミナルへと走った。
そして、USBメモリに似た、古びた、しかし頑丈な作りの、『ケルベロス・キー』を、その手に引き抜いた。
「撤退するぞ」
『了解!』
手土産は、手に入れた。
ノマドという、亡霊たちとの、交渉の席に着くために。
カミーユは、氷漬けになった鉄の墓場を、静かに後にした。




