攻略対象者1 クラヴァ―ル先輩の暴走②
闇が、すべてを飲み込もうとしていた。
その瞬間、熱と冷気がぶつかるような衝撃が走った。
熱風の中心で、金の髪がひるがえる。
一瞬、風が止まった気がした。
(ローザリア様……?
なんで、帰ったはずじゃ……)
周囲の炎が、彼女を避けるように歪んでいく。
炎の中を歩いてきたはずなのに、煤ひとつついていない。
そこだけ、世界から切り離されたみたいだった。
「リリエル! 無事!?」
いつの間にか、引き抜かれる感覚がなくなっている。
(何が、起きたの……?)
目を向けると、薄い膜のようなものが、クラヴァール先輩を包み込むように広がっている。
闇の奔流を押さえ込みながら、膜の表面が淡く脈打っている。
「結界……!?」
いや、違う。あれは――
「ただの防御膜よ! 長くは持たないわ!」
爆ぜる音が連なり、破片が光の粒になって飛び散る。
熱風が巻き上がり、ローザリア様の制服に焦げ目が走った。
さっきまで異様なほど整っていた姿が、みるみるうちに黒く汚れていく。
(防御膜を、自分じゃなくて先輩に使ってるから……!)
それでも彼女は、まっすぐクラヴァール先輩から目を逸らさなかった。
「リリエル、今は回復に集中して。できる?」
「は、はい!」
できないなんて、そんなこと――あっていいはずがない。
(中庭イベントをクリアしたんだから……!)
胸の奥に意識を沈めると、そこにあるはずの光が、かすかに脈打つのを感じる。
痛みの隙間に温度が生まれ、光の粒が血流を伝って全身に散っていく。
(……この感覚。
あの時は、ストレステスターの魔力に翻弄されて分からなかったけど……)
鼓動の音が、遠くで雷みたいに鳴っていた。
痛みの代わりに、清冽な熱が満ちていく。
細胞のひとつひとつが、静かに呼吸を始めるような――そんな感覚。
体の奥が、透明な光で洗われていくようだった。
(どういう、仕組みなの……?
光を使って治癒しているのに、光そのものが回復していく。
これじゃ、永久機関じゃない)
こんな時だというのに、思考は止まらない。
いや――こんな時だからこそ、なのか。
身体の回復とともに、意識がどんどん研ぎ澄まされる感覚。
クラヴァール先輩の足元の魔法陣が揺らめいているのが目に入る。
闇の光が瞬き、床の紋様が呼吸をするように脈動していた。
(魔力干渉……!)
けれど、その揺らぎはすぐに戻り、また波打つ。
「……この魔法陣が、先輩の闇を増幅させてるのに……!」
ローザリア様の声がかすれる。
「でも、干渉できない……!」
魔法陣が魔力を増幅し、それによって魔法陣も強化される。
原因の魔導具は、壊れて火花を散らしていた。
(ちょっと……!こっちも永久機関じゃない!?)
もはや完全な暴走連鎖――止まらない。
(わかってる。私の光が、必要なの……!)
掌を前に出す。
白い光が、かすかに滲んだ。
けれど漂うだけで、方向を持たない。
(違う……流れが掴めない)
もう一度、冷静に集中を高める。
さっきの自己治癒。
あれで増幅した光を、一か所に集めて――
(だめ! 私から離れた瞬間に散らばってしまう!!)
闇の奔流が押し寄せ、防御膜が軋む。
ローザリア様が歯を食いしばる。
「リリエル!」
その瞬間、何かに引っ張られる感覚があった。
見えない糸が、光の流れを導く。
(これは……闇の力?クラヴァール先輩のじゃ、ない……)
「流れを感じて!勢いよく――放り込んで!」
ローザリア様が振り返らずに叫ぶ。
導かれるまま、もう一度光を集める。
胸の奥が熱くなり、血管を伝って魔力が手へと集まっていく。
(……軌道ができた……!)
光が、まるで息を吹き返したように震えた。
一本の筋となり、まっすぐにクラヴァール先輩の胸へ伸びていく。
「わかった……これなら……!」
光が流れ込み、あっという間にクラヴァール先輩の闇に飲み込まれていく。
「いい? 回復しながら、その分だけ投げ込むのよ!
奪われちゃ、だめ!」
ローザリア様の声が、炎の音に溶けていく。
熱が胸の奥を通り抜ける。
そのたび、闇が薄くなり、光が世界に戻ってくる。
ローザリア様の横顔が、淡い光に照らされた。
彼女はその軌跡を見つめながら、
ほんの一瞬、優しく微笑んだ気がした。
光が、世界を満たしていった。
さっきまで空気を裂いていた轟音が、嘘のように遠のいていく。
(……止まった?)
床の紋様がひとつずつ崩れ、黒い線が灰のように消えていく。
闇は、まるで夜明けを迎えるように静かに薄れ、
その中心で――クラヴァール先輩が、ゆっくりと倒れ込んだ。
「先輩!」
駆け寄ろうとした瞬間、脚の力が抜けた。
その場に膝をつく。
床の冷たさと、焦げた熱が入り混じる。
(……光を、渡しすぎた……?
でも、気絶、しなかった……)
体の奥が、空洞になったように軽い。
胸の中心から何かを抜き取られたみたいに、
脈の音さえ遠くで響く。
ローザリア様が駆け寄り、クラヴァール先輩の肩を支える。
焦げた制服から白い煙が上がっていた。
「……魔力の波形が安定してる。完全に沈静化したわ」
その声は落ち着いていたが、震えている。
彼女の掌はかすかに赤く焼け、ところどころ皮膚が裂けていた。
「ローザリア様……」
「リリエル……あなた、よくやったわ。本当に」
視線が合う。
紅い瞳が、あたたかい光を湛えていた。
その一瞬だけ、炎も煙も、音さえも消える。
(……よかった。間に合った……)
先輩の胸が、かすかに上下している。
その穏やかな動きを確認した瞬間、
張り詰めていた糸がぷつりと切れた。
肩が落ち、手のひらが震える。
掌には、まだ微かに残る光の粒。
それが空気に溶けていくのを見ながら、そっと息を吐いた。
「……これが、“光を受け渡す”ってことなのね」
声は震えていたが、どこか満ち足りていた。
その呟きを、ローザリア様は静かに受け止めるように頷いた。
クラヴァ―ル先輩の魔力暴走イベント、もう少し続きます。
明日21時半ごろ更新。
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