攻略対象者1 クラヴァ―ル先輩の暴走
あの日以来、クラヴァ―ル先輩の姿をほとんど見かけなくなった。
授業の合間や廊下でも、前みたいに偶然出くわすことがない。
ここ数日、何かに囚われたように研究を続けているらしい――そんな噂を耳にした。
たまに出くわしても、「すまない、あとで」とだけ言って去ってしまう。
(会う頻度が減るのは、私にとってはいいことのはずよ)
そう思いながらも、胸の奥に小さなざわめきが残っていた。
結局私は、また研究棟へ向かっていた。
「先輩、差し入れを……甘いものです」
扉の奥で椅子が引かれる音。
少しして顔を上げた彼の頬は、やつれて見えた。
「フォーン嬢か……? すまない、今は少し――」
「これ、ローザリア様に頂いたんです。
よかったら、少しは休憩してください」
その名を口にした瞬間、空気がわずかに張りつめた。
ペンが机の上を転がり、静かな音が響く。
「……そうか。クロイツ令嬢が」
低い声。その奥に、わずかな苛立ちが滲む。
「先輩は、学業も魔法も完璧だと評判です。
それ以上、何を求めていらっしゃるんですか」
思わず余計なことを言ってしまう。
でもーー嫌な予感がしてならない。
複雑だ。
イベントが起きてほしくないのも、先輩が心配なのも、本当。
(分かってる。私が何を言っても、きっと変わらない)
「……完璧、か」
小さく笑った唇が、寂しげに歪む。
その笑みが妙に胸に残った。
翌日の午後。
魔術理論の実技授業。
教室は、炉の熱でいつもよりずっと暑かった。
「……今日、やけに暑くない?」
隣でローザリア様が小声で言う。
「昨日の試験の余熱だろうな」
後ろからクラヴァ―ル先輩の声がした。
(よかった、少し顔色が戻ってる……)
「まったく、これでは集中できませんわね」
「クロイツ令嬢、今は実験中です。冷却魔法は――」
「ふふ、大丈夫、魔力の流れは乱しませんわ」
その瞬間、空気がひと呼吸止まり――すうっと冷えた。
(……いまの、なに?)
外から声が上がる。
『あっつ!? 噴水が温水になってる!? なんで!?』
窓の外では、春の光を受けた噴水が湯気を立てていた。
ローザリア様は扇で口元を隠し、くすりと笑う。
「……いまのは闇か? 熱を吸収して……安全なところで放出した……?
可能だ。だが……闇単体をここまで制御できるものなのか……?」
低い声。
「……ローザリア様、今の……」
「ふふ。内緒ね?」
私たちがこそこそとおしゃべりをしているその横で―― クラヴァ―ル先輩の視線が、ローザリア様にに釘づけになっていた。
「……先輩?」 声をかけても、返事はない。
ただ、目の奥の紫が少しずつ深く沈んでいく。
ローザリア様は気づいていないのか、軽やかに微笑んだまま席に戻る。
その背を見送る彼の横顔には、なにかが崩れ落ちたような色があった。
(……整理しよう)
放課後誰もいない教室で、私は窓の外を見ながら考えに耽っていた。
ゲームのクラヴァ―ル先輩は、魔道具の実験で魔力を暴走させる。
その場に偶然居合わせた私は、巻き込まれて光を奪われ――
彼は我に返り、私を助けようと治癒魔法をかける。
そのイベントで、私は初めて「光を渡す」ことができるようになる。
……それが、このルートの大イベント。
(先輩ほど魔力のコントロールに長けた人は、そうはいないはずよ。彼の魔力が暴走するほどの実験て、いったい、何なの?)
『今のは闇を使ったのか?』
クラヴァ―ル先輩の声が、頭の中で再生される。
瞬間、ぞくりと背筋が震えた。
(闇……そうか、闇!)
胸の奥で、電流が弾ける。
(そういう事か……!
暴走したのは“闇”だったんだ!)
闇が制御を失って、光を無理やり引き寄せる。
だから私は――力を奪われる。
「治癒」じゃない理由がわかった。
ただ、光が闇を中和して、先輩の暴走が、止まる。
(……でも……それなら……!!!)
その瞬間、視界の端で研究棟が光った。
(まさか……!! 今日なの!?)
胸の奥で心臓がどくんと鳴る。
私は椅子を蹴るように立ち上がり、走り出した。
(イベント回避とかそんな問題じゃない!
私の光がなければ……!!)
闇は――すべてを、飲み込む。
魔法の中心にいる、術師本人までも。
……
研究棟の廊下は、すでに異様な気配に包まれていた。
空気が重く、肌の上で魔力の粒子がざらつく。
(こんな……魔力の密度、初めて)
奥の扉がひとりでに震え、淡い紫の光が隙間から漏れていた。
爆ぜる音。
次の瞬間、扉ごと押し飛ばされるように風が吹きつける。
「クラヴァール先輩!!」
声は届かない。
部屋の中央、床に刻まれた魔法陣の上で、彼が膝をついていた。
魔道具が砕け、黒い靄のようなものが彼の身体を覆っている。
(……これが、闇の暴走……!)
彼の周囲の空気がひずみ、光が吸い込まれていく。
風で機器がぶつかり合い、小さな爆発がいくつも起こる。
「フォーン嬢、来るな!!」
「だめです!」
走り寄った瞬間、黒い霧が床を這い、足元から絡みついてきた。
それはただの煙ではなく――生きている。
(これが、闇……!?)
呻くような音とともに、彼の影が膨張し、私の足首を捕らえる。
次の瞬間、冷たいものが肌を這い上がった。
光を吸い取られていく。
胸の奥で、何かが無理やり引き抜かれていく。
(光が……吸われてる!)
胸の奥が焼けるように痛い。
皮膚の下を流れる魔力が、無理やり引き抜かれていく感覚。
(ストレステスターの、痛み、と、違う)
「注射と採血のちがいみた……あっ……っ!」
なんとか冷静を装って言葉にしてみたけれど、
痛みで途中から息が詰まる。
視界が白く染まり、意識が遠のいていくのを、必死に引き止めた。
ドンッ!
目の端で爆発。火花が飛び、棚が倒れる。
(ちょっと……! 火災まで起きるの!?
魔力暴走以外にも、死亡理由が多すぎじゃない!?)
崩れていく部屋。
暴走に飲み込まれ、苦痛に顔を歪めるクラヴァール先輩。
(わかってたけど……私、このまま光を吸われ続けるしか、できないの……?)
悔しさと、それをはるかに上回る――焼けつくような痛み。
中庭の時と違って、光が奪われているから、どうやら自己治癒もほとんど効いていない。
(あ……意外と、早く気絶、出来ちゃう……かも……)
――闇が、すべてを飲み込もうとしていた。
盛り上がってきました……!
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続きは明日21時半頃更新します。




