静かな日常と消えない灯り
日間ランキング75位に入れました。
読んで下さった皆様、ありがとうございます。
あの事件から数週間がたち、私は“日常”を送っていた。
学園を騒がせた伝説はとうに落ち着き、
生徒たちも次の噂話に夢中になっている。
(悪役令嬢と聖女の伝説なんて、強制力の概念どうなってるのよって思ってたけど……
結局、ただの一時期の噂だったわね)
けれど――私の中ではまだ、あの光が消えきっていなかった。
予定調和の中の、ほんの少しの、輝き。
それでも世界は平然と回っていて、私も漏れず、その流れの中に戻っていった。
授業に礼拝。
そして……クラヴァール先輩。
そう。
あの、王太子の側近候補で、公爵家の跡取りで、魔法の天才――
攻略対象の、ノエイン・ド・クラヴァール。
やっぱりというかなんというか、事件以来、顔を合わせることが増えている。
最初は保健室での謝罪。
次は、私が復帰した日に、わざわざ安否を確認しに来てくれた。
そこからは偶然が続いて、至る所で遭遇する。
最初は毎回ナーバスになっていたけど――慣れって怖い。
今では、廊下ですれ違えば軽く挨拶するくらいの距離感になっていた。
やけに丁寧だった言葉遣いも、いつのまにか正しく上級生と下級生のものになっていて。
(ちゃんとシナリオ通りなのよね)
ゲームなら「えっ……今、言葉遣い……!」ってテロップが出て、好感度パラメーターがピコンと上がる。
好感度が上がるってことは、イベントが始まるってことだから―― 正直嬉しくはないんだけど。
でも現実では、気づいたときにはもう変わっていて、
その自然さは、なんだかちょこっと感動的だった。
――そんなある日の放課後。
講義のあと、私は気分を落ち着けようと中庭を歩いていた。
あんな事件があった場所なのに、中庭は嫌なイメージどころか、今や私のお気に入りだ。
春の風が薬草の香りを運び、沈みかけた陽が石畳を照らす。
すべてが穏やかで、あの騒ぎが幻だったかのようだ。
(あ……まただわ)
ふいに中庭の灯りが揺らめいたことに気づく。
昼間の太陽の下、ほんのわずかな揺らぎ。
最初は偶然だと思ったけれど……時々起こるのだ。
あの事件以来、魔力の流れに少し敏感になった気がする。
光の粒が空気に混ざるような、そんな微かな変化でも、今ははっきり分かる。
目の端に、灯りよりも鮮やかな金の光が揺らめいたように見えて、ふいにそちらに目をやると――
ローザリア様が髪をなびかせていた。
(あれ……もしかして)
壁に刻まれた魔法陣が、彼女の気配にだけ微かに反応しているように見えた。
本来は昼に灯されるはずのない光。
けれど……確かに、ローザリア様に合わせて、灯りが息づいている。
(やっぱり、ローザリア様が影響してる。魔力干渉……? ただ歩いているだけで?)
ローザリア様が通り過ぎるたびに、金が揺れ、柔らかな赤の灯りが追いかけるように光を放つ。
(きれい……)
本人は気づいているのだろうか。
もしかしたら、気づいているのは私だけかもしれない。
そうだったらいいな、と心の端っこで思った。
――それから私は、ローザリア様を目で追うことが増えた。
窓際の席の彼女は、授業中、大体窓の外を眺めていること。
光が差し込んだ紅の瞳は、宝石みたいに綺麗だということ。
日影に差し掛かった時に深みが増す、金色の髪。
(やだ、私、ローザリア様に恋してるみたいじゃない?)
そう思うほどには、私の瞳はいつもローザリア様を映していて。
おかげでそのほかの憂い事――主に頻繁に遭遇するクラヴァール先輩だけど――
は、頭の隅をほんの少し占める程度の、日常の一部になっていった。
そうして穏やかな日々がまた積み重なっていったある日、クラヴァール先輩から手紙が届いた。
「ストレステスターの調査に、ご協力願えますか」
短い一文。
――ついに、動き出した。
相変わらずローザリア観察モードの私は、
「イベントは起こるのだから、必要以上に神経質になるのは良くないよね」
なんて楽観的にとらえている。
……ちょっと楽観的すぎるかもしれない。
放課後、研究棟の扉をノックすると、低い声が返ってきた。
「どうぞ」
扉を開けると、淡い魔光に照らされた研究室の中で、クラヴァール先輩が机に向かっていた。
魔力の流れを可視化するための装置がいくつも並んでいる。
水晶管の中を薄青い光が流れ、極細の針が呼吸のように揺れていた。
「今、何を測ってるんですか?」
「魔力の振動周期だよ。魔道具が発する魔力の波形を解析してる。
温度を一定に保つために冷却魔法をかけているのだがーー
寒くはないか?」
「大丈夫です。冷却魔法……先輩がかけたんですか?」
「ああ。水魔法の基礎だから、水属性の生徒なら1年生で習う」
彼は視線を動かさずに答える。
机の上には、壊れたストレステスター。
表面は無傷なのに、中心部だけが黒く焦げている。
クラヴァール先輩は、私の視線の先に気づいてストレステスターを手に取った。
「最初は出力をな上げすぎたせいだと思ったんだけど」
焦げ跡を指先でなぞりながら言う。
「でも、確認したら違ってた。
出力の上げすぎならば……もっと“焼き切れた”みたいになるはずなんだ」
「……?」
「でもこれは……一点だけ。正確に"閉じて"る」
「閉じて?」
興奮しているようにも見える奇妙な表情の先輩が続ける。
「ちょうど魔力の流れが一点で遮断されてるんだ。
この一点しかないって場所。狙ってやったとしか思えないけれど、
狙って魔力を流すにはピンポイント過ぎる。
光の達人なら可能だけど……」
そう言ってちらりと私を見上げる。
「えええ!?いや、私それどころじゃありませんでしたし、まだ基礎的なコントロールもできないんです」
「まぁそうだろうな。光を扱えるのはこの学園では君だけだし……
となると、闇か?理論上は可能だが……
でも、ここまで精細なコントロールはできるものなのか……?」
言いながら自分の世界に入ってしまうクラヴァール先輩を見ながら、私は小さく息をのんだ。
頭の中に、あの瞬間の記憶が蘇る。
光が弾ける直前――世界の流れが一瞬、ぷつりと途切れた感覚。
(ローザリア、様……?)
「ああ、すまない。せっかく来てもらったのに。
当時の様子をもう一度教えてもらってもいいだろうか?
確か、クロイツ嬢が一緒にいたとか……」
一つ一つクラヴァール先輩の質問に答えていく。
そんなやり取りの最中だった。
その横で揺れていた測定器の針が、一瞬大きく振れた。
水晶管の針が、呼吸のような動きから少しずつ速くなる。
部屋の空気まで、わずかに震えているような気がした。
「ん?……故障か?」
クラヴァール先輩が眉をひそめ、ダイヤルを調整する。
「……おかしいな。こんな振れ方はしないはずなんだが……」
その直後、ノック音がした。
「クラヴァール様、クロイツ侯爵令嬢がお見えです」
「……通してくれ」
扉が開き、ローザリア様が静かに姿を現した。
その瞬間、部屋の灯りがふっと明るくなる。
ローザリア様の近くの測定器が大きく振り切れる……かと思った瞬間、
それは何事もなかったかのように元に戻った。
「失礼いたしますわ。
ジュリアン殿下がリリエルをお探しだったので、こちらではないかと参りましたの。
お借りしてもよろしくて?」
部屋の灯りも、気づけば戻っている。
まるで世界の焦点が、彼女を中心に結び直されたようだった。
(……まただ。この感じ)
クラヴァール先輩が顔を上げる。
「ああ、私も殿下に用があるので、私が一緒に参りましょう」
「あら、そうでしたの? それでは、お願いいたしますわ」
壊れた魔道具の焦げ跡が、彼女の魔力に反応して淡く光る。
その光を見て、彼の瞳が細くなる。
「……失礼だが、クロイツ令嬢の属性は、なんだったか」
「わたくしですか? 火・水・風・土に、闇、ですわね」
(ちょっと! 光以外全部じゃない!)
「……そうでしたか。なるほど」
その瞬間、クラヴァール先輩の瞳がわずかに揺れた。
「では、わたくしはこれで。
リリエル、用事がすんだら私の部屋にいらして?
おいしいお茶菓子を手にいれましたの」
彼女は軽く微笑み、くるりと踵を返す。
その瞬間、また灯りがわずかに明るくなった。
クラヴァール先輩が息をのむ。
「クロイツ公爵令嬢、か……」
美しい紫のクラヴァール先輩の瞳に、黒が差した気がした。
読んでくださってありがとうございました。
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世界がまた、予定された物語へと戻っていく気配。
明日21時半更新です。




