転換Ⅱ
あの噂話から数日が過ぎた。
廊下で耳にする囁き声。
休憩時間の女子たちの視線。
「火竜を導いた淑女」
「夜巡の神に選ばれた娘」
言い方も、声の温度も、少しずつ変わっていく。
最初は冗談めいていた話題が――
いつの間にか「語り継ぐ出来事」のような口調に変わっていた。
(嫌な流れ……でも、止めようがない)
そんな空気の中で、私は、ふと気づいた。
――最近、妙に神官が学園に出入りしている。
(もしかして……火竜のこと?)
殿下は火竜の扱いについては言えない、と言っていた。
神殿側との調整が大変なんだと思っていたけれど――
(そもそも、調整、っていう考え方がおかしかったのかも)
火竜は神殿の教義に反する存在だと言っていた。
火竜を神聖なものとせず”独立した存在”とすることで学園で預かっていた、とも。
つまり――神殿は火竜に関することに口を挟めない。
遺跡の周辺を、王家でさえ自由に調査できなかったのと同じように。
(王立学園が「火竜は亡くなった」と結論づけた以上、本来なら、それで処理されるはず)
じゃあ、神殿の今の動きは、何なんだろう。
ランチを終えて教室に戻ると、ローザ様が一人で窓の外を見つめていた。
何か考え事をしているのだろうか。
「……ローザ様?」
声をかけると、ゆっくり瞬きをして、こちらに振り向いた。
「あらリリィ。なんだか久しぶりね?」
実際のところ、3日話せなかっただけなのだけれど。
ローザ様も久しぶりだと思ってくれているのは何だか嬉しい。
「ローザ様、いつも囲まれているんだもの」
「まあ。そうだったかしら」
そう言いながらも、どこか考えにふけるような視線。
もしかして、噂の事で―――
「……今日はチョコタルトなんだけれど」
「ん?」
「おやつよ。タルト。
この間リリィと食べたベリーのタルトが美味しかったから、
今日はチョコタルトを用意させているの」
(話、飛んだなぁ……)
ローザ様はデザートの話になると、どうにも思考が落ち着かなくなるらしい。
でも、どうやら噂の事を気にしているわけではなさそうだ。
(まぁ、そうか。ローザ様にとっては、なんてことない噂なのかも)
そう思うと、さっきまでの不穏な気持ちが、少しだけ楽になった。
「今日こそローザ様をクレープ屋さんに誘おうと思ったのだけど……」
「リリィが行けるなら、私は何時でも行けるわよ。
タルトは夕飯のデザートにしてもいいし」
「……ローザ様、ほんと甘い物好きね」
「ふふ、私の毎日の楽しみだもの」
午後の授業の開始を告げるチャイムがなる。
(殿下との恋愛イベントもないし、当然ローザ様からのイジメも無いわ)
やっぱり、遺跡イベントから流れが変わったのかもしれない。
……そう思った矢先、
またしても殿下から呼び出しがかかって、結局、今日もクレープ屋さんには行けなかった。
※
執務机の上には、数枚の報告書が重ねられていた。
殿下はそれを指先でそっと押さえ、ためらいがちに口を開く。
「……神殿から届いた報せだ。
どれも断片的で、決定的とは言えないのだけれど」
「断片的、とは……?」
殿下は一拍置き、視線を落とす。
『火竜が遺跡に降り立つのを見た』
『いなかったはずのローザリアが遺跡から出てきた』
『ローザリアが火竜に乗って飛んでいるという噂』
『夜巡の神を見たという噂』
殿下は別の紙を取り、淡々と読み上げる。
「もうひとつは、捕えられた反神殿派の供述だ」
『竜を従えた女を見た』
『緋色の瞳、金の髪』
「……その証言は、信憑性が低いはずです」
思わず声が強くなる。
殿下は頷いた。
「そうだね。
でも——“火竜の件”の記録が曖昧なまま、というのが厄介でね」
「でも、火竜が死んだことになっているなら……」
「“噂”が悪い方向へ繋がってしまったのが大きい」
殿下は小さく息を吐く。
「しかも、元が事実なだけに厄介だ」
「……神殿は、何を恐れているのでしょうか」
殿下はしばし黙し、言葉を選ぶように続けた。
「……神殿が恐れているのは、火竜そのものではない」
そう。
だって、火竜は"死んだ"のだから。
殿下は視線を落とし、紙の端を撫でる。
「……封じられた、"もう一つの神話"
——神殿が封じたはずの物語の復活、かな」
胸の奥が冷たくなる。
「噂が事実かどうかは、誰にも証明できない。
けれど、“そうかもしれない”という物語は……」
一拍。
「人を、容易く惹きつけてしまう」
私は息を呑んだ。
それなら、神殿が恐れているのは。
(ローザ様の存在、そのもの……!)
「わ、私、大神官さまに……!!」
前のめりに言いかけた私を、殿下は視線で制した。
「――やめておいたほうがいい」
静かな声だった。
「ローザリアと君が親しいのは多くの者が知るところだ。
過剰に反応すればーー」
それは、ローザ様を守ることにはならない。
むしろ――追い詰める。
「でも……!」
殿下は、手元の紙束を伏せる。
「――問題は、“行動の意味が説明できない”という点だ」
「説明……できない?」
「どの事件でも、ローザリアは
“誰より先に危機の中心へ向かった”」
喉がひりつく。
「結果として君を救い、事態を収束させている。
だが同時に――」
殿下は言い淀む。
「“なぜそれをできたのか”が、誰にも説明できない」
胸の奥がざわついた。
(……それは、確かに)
「そして、それが“火竜”と結びついた時――」
殿下は、短く息を吐く。
「神殿は、そこにどんな“意味”を与えると思う?」
一拍。
「――“魔女”」
空気が、冷たくなる。
「予兆を嗅ぎ取り、
闇の動きを見通し、
誰より早く核心へ辿り着く、
火竜を従えた女性」
「待ってください。
それはローザ様の洞察と行動力で――」
思わず詰め寄る。
殿下は、苦しそうに目を伏せた。
「そうだろうな。だが、外から見れば違ってしまう」
静かな声が落ちる。
「“理由の分からない正しさ”は、いつか“恐れ”へと変わる」
殿下はしばらく沈黙し、かすかに息を吐く。
「王家としても、クロイツ家は――ローザリアは、大切なんだ」
淡々とした声音。
けれど、その奥に迷いがあった。
「――悪いようには、しない」
それは、約束の言葉のようで、
……祈りのようでもあった。




