またもや噂は巡る
昼休みの食堂は、いつもより少し騒がしかった。
ざわめきの中心にいるのは、どうやら私らしい。
皆が、伺うようにこちらをちらちらと見ている。
(そりゃぁね……聖女が攫われたとか、
ゴシップもいいとこよね)
殿下は秘密裏に動いてくれていたみたいだけど、
攫われた子どもたちの数が多かったこともあって、
事件はあっという間に世間の知るところとなった。
食堂のあちこちで、声を潜めた会話が交わされている。
「がけ崩れに巻き込まれたのに……
誰一人、ケガがなかったらしいわ」
「えっ……それって……!!」
「ええ、リリエル様が聖女の治癒を覚醒したに違いないって」
「えええ!!
どうしてその場にいたのが盗賊なのかしら!?」
「しっ……神殿からの発表はまだだから……
あまり騒ぐと、リリエル様の負担になってしまうわ」
「そ、そうね!
あんなに華奢で可憐な方なんですもの。
わたくしたちが追い詰めてしまってはいけないわ」
言葉の端々は抑えられているのに、
感情だけは隠しきれていない。
気づけば、周囲は私を気遣う空気に包まれていた。
ゴシップだからこそひそひそ話をしているのだと思っていたけれど、どうやら本気で心配してくれているらしい。
(……結局、聞こえてるけど)
噂の内容を頭の中で整理してみる。
(それにしても、今回の噂は珍しく九割方合ってるわ。
“可憐な聖女”ってところ以外はね!)
思わず心の中で突っ込んでしまう。
(いったい私が、いつ可憐な振る舞いをしたっていうのよ……
なんなの、そのテンプレ的なイメージは!!)
――とはいえ。
ゲームの中でもやたらと気絶する演出が多かったのは、あからさまに「守られるべき存在であることを強調するため」だし。
不本意ながら、現実でもなかなかの頻度で意識を失っている。
可憐なイメージが定着するのも、仕方がないのかもしれない。
(いや、でもどう考えても可憐な雰囲気の気絶じゃなかったけどね……
はぁ。ほんと疲れる)
そう思った、そのとき。
少し離れた席から、別の話題が耳に入ってきた。
「ねぇ……昨日の夜、見た?」
声を潜めてはいるけれど、
興奮を抑えきれないのが伝わってくる。
「見たわ!
空が一瞬――赤くなったやつよね?」
「そう!星が降ってきたのかと思ったんだけど……」
「でも、そのあとすごい速さで消えたって!」
言葉が重なり、ざわめきが少し大きくなる。
「――それって……」
そこで、一拍置く。
「……夜巡の神、じゃない?」
その一言で、テーブルがざわっと揺れた。
「や、やめなさいよ……そんな話」
「でも、夜に出没する怪しい存在と言えば……」
「昔話でしょ? 夜巡の神なんて」
夜巡の神。
その名に、私は小さく息を吐いた。
(……懐かしい名前ね)
子どもの頃、地方の古い屋敷に滞在したときに聞いたことがある。
夜に外を歩いてはいけない理由として、
大人たちが曖昧に口にする存在。
"夜に巡って、余計なものを連れていく"
そういう言い回しだった気がする。
「見つかると、命を取られるのよね」
「え……それ、違うんじゃない?」
「災いのあとに現れるんでしょう?」
「でも、あれを見て助かったって物語もなかった?」
噂は、いつの間にか枝分かれしていく。
(……そう。
もともと、はっきりしない話なのよね)
神殿の教義に組み込まれたことはない。
正式な神名もない。
ただ、夜と災いと静けさを結びつけるための、言葉の置き場。
だから、誰も正確な姿を知らない。
「夜巡の神は、命を奪うんじゃなくて……
“終わるはずだったものを終わらせる”のよ」
誰かが言ったその言葉に、私はほんのわずかに眉をひそめた。
(……それは)
聞き覚えが、ある。
(―—反神殿派)
唯一”光”を信仰する神殿に対して、
全ての物には意味があり、循環するべきである、と主張する者たち。
地脈の滞留。
魔力の偏り。
過剰の沈殿。
――「底へ還し、また巡る」
彼らの思想の源であり、
そして――"あの遺跡"に刻まれている文言。
現在の“光信仰”が癒しと封印によって歪みを正そうとするのに対し、
彼らは、正そうとする行為そのものが流れを歪めるのだと考えている。
(夜巡の神って……
反神殿派の教え、そのものみたいな存在ね)
「リリエル様、ジュリアン殿下がお呼びです」
殿下の従者の言葉で我に返った。
気付けば食堂の人もまばらだ。
(また自分の世界に入っちゃった)
ちらりと時計を見やる。まだ昼休みはあと少し。
何のことかは見当がつくから――
少しだけ重い足取りで、殿下の私室に向かった。
◇
「リリエル、君は知っていたのかい?」
「……何を、でしょう」
沈黙。
正直何も知らないに等しいけれど、色々と思い当たることはある。難しい状況なので、下手なことは言えない。
外では、鐘の音が遠く響いていた。
「じゃあ、質問を変えるよ。
ローザリアが火竜を使役できた理由に、心当たりはある?」
私は言葉を探した。
火竜の暴走事件の日、火竜がローザ様に向けた瞳が、脳裏に蘇る。
「……火竜の方が、彼女を選んだように見えました」
殿下は目を細めた。
目の奥が、ほんの少し紺色を湛えたように見えたけれど、すぐに元の澄んだ青に戻る。
「”自分より強いと認めた相手を主とする”。
それはただの伝説だと思っていたけれど――」
殿下は椅子の背にもたれ、ほんの少しため息をついた。
「もしそれが事実なら、厄介だね。
“竜に選ばれた者”などという言葉は、
神殿が最も嫌う類だ」
私は思わず息を呑む。殿下は淡々と続けた。
「火竜の存在は、反神殿派と紙一重だから」
「――火竜は、独立した存在だと思っていました」
「うん。そういう扱いにしているから学園で預かれているんだ。
でも今の神殿の教えでは、光が唯一の正しさだからね。
”変化を促す存在”である火竜は、破壊神さながら、というところかな」
「でも、”そう言うことにしている”というなら、それはお互い様なのでは?光が唯一の正しさだなんて、あり得ませんし」
殿下はすこし驚いたような表情をした。
多分、本当に驚いたわけではないと思う。
殿下は、そういう人だ。
「光の聖女なのにそんなことを言ってしまうなんて、面白いね」
「そもそも、聖女がいない時代も光は信仰されていますし。
それ自体が、”そういうこと”だと思っていました」
「――うん。それは、王家の考え方にとても近いね。
そうか。なるほど」
そう言って、ふっと笑う。
「だからか。君が聖女の役割を避けていたのは。
ものすごく謙虚なのか、役割の大きさに躊躇しているのか、なんて思っていたのだけれど」
「……いや、その節は本当に申し訳ありません」
(ゲームのシナリオに乗りたくなかっただけ、とか言えない)
「いいや、こちらこそ、すまないね」
そう言いながら目線を下げた殿下の目の下は、暗く沈んでいる。
(昨日から寝ていないんだわ。私たちですら、帰ったのは夜更けだったのに)
積み上げられた書類が、事後処理の大変さを物語っている。
思わず手を伸ばしかけて、ごまかすように咄嗟に治癒魔法を展開した。
「……昨日の今日で、もうこんなに扱えるようになったのかい」
降り注ぐ光の中の殿下が、今度は本当に驚いた調子で言う。
「はい。殿下のお陰です。
昨日は、ありがとうございました」
「それはこちらこそ、なんだけどなぁ」
少し砕けた調子になった殿下が、目をつぶって椅子に寄りかかる。
――この時間だけ、少しでも癒されてくれたらいいな。
光の中でもなお輝いている殿下を見て、そう思った。




