流れは予想外の方向に
(大丈夫よリリエル)
すっかり高く上った月を見上げながら、自分に言い聞かせる。
結局、私は藁に包まれるようにして横たわることにした。少し冷え込んできたし――やはり転落は恐ろしい。
ゲーム通りなら、ここで死ぬことはない。それはわかっている。
それでも山道を登っていくにつれ、身体は恐怖で勝手に震えてしまう。
(魔法が使えないから、生身で放り出されるのよね。
どうか、落ちている途中で気絶できますように!)
震えながらも現金なことを考えてしまうのは、きっと私の防衛本能だ。
遠くでオオカミの遠吠えが聞こえる。
(――そろそろだわ)
来たるべき衝撃に備えて目をつぶったその時。
――空気がひりつくように震えた。
山道を吹き抜けていた風が、急に熱を帯び、肌を刺す。
何かが来る、と理解するより早く、耳に届いたのは私の名前だった。
「リリィ──!」
あり得ない方向からの、聞き覚えがありすぎる声。
月明かりを裂くように、赤と金の光が走る。
(えっ…… えぇぇぇぇぇ!???)
「ローザ様!!???」
ローザ様の放った魔法は、音すら置き去りにして、盗賊たちを薙ぎ払った。
悲鳴が上がるより先に、彼らの身体は地面へ叩きつけられ、まるで最初からそこに存在しなかったかのように動かなくなる。
(うそ……)
――すごい。いや、それよりも。
「ローザ様!それ、まさか……!!」
「待っててリリィ!今行くから!!」
遠くから届いたその声が、まだ耳に残っているうちだった。
ごう、と低い唸りが地の底から響き、足元の感触が、突然、失われた。
崖道が軋み、岩が割れる音が連なって、視界が大きく傾く。
息が、止まった。
(――落ちる!!)
そう思った次の瞬間、身体は宙に放り出されることもなく、強い衝撃に包まれた。
炎を孕んだ風が、全身を覆う。
熱を宿した、巨大な鱗。
ゆっくりと上下する、確かな呼吸を感じる。
火竜が、崩れ落ちた岩ごと私を受け止めていた。
瞬間、そのまま強く抱きしめられる。
「……遅れてごめんなさい、リリィ」
「ローザ様……」
その声に、ようやく息が戻る。ローザ様がカチリと私の枷を外したその時だった。
「きゃぁぁぁぁ!!」「わぁぁぁぁ!!!」
前方から、悲鳴が重なって聞こえてくる。
(そうだわ!子供たち!!!)
崖の縁で、馬車が傾いていた。
子どもたちの悲鳴が風に散る。
岩が割れ、土砂が滑り落ち、馬車ごと、子どもたちの姿が闇へと消える。
「……っ」
ローザ様は、一瞬だけ状況を見渡した。
距離。
崩落の速さ。
そして、残された時間。
「クロ、リリィを頼むわね」
その言葉と同時に、私が呼び止めるより早く、
ローザ様の身体は、迷いなく宙へと躍り出ていた。
「ローザ様──!」
叫んだ時には、もう遅い。
転げ落ちる子どもたちと、それを追うローザ様の姿が、砂煙の向こうへと消えていく。
「えっと、ク、クロ……様……?」
(そう呼んでた……わよね?)
震える声で、私は足元に縋った。
「ローザ様のところへ、お願い……!」
(もう……っ。
いくらローザ様が規格外だからって……!)
崖下には、ばらばらに倒れた小さな影。
ローザ様はその中央に膝をつき、荒い呼吸を整えていた。
「ローザ様……無事……?」
返事はない。
けれど、その姿勢が崩れないことで、命に別状はないとすぐに分かった。
「……間に合った、けれど……」
かすれた声が、夜気に溶ける。
次の瞬間、ローザ様の身体が、ふらりと傾いた。
支えきれなかった衝撃と、無理な魔法の展開。
そのすべてが、今になって彼女自身へと返ってきているのが、私にも分かった。
問題は——子どもたち。
泣き声が重なり、弱々しい息が、途切れ途切れに聞こえてくる。
ローザ様は歯を食いしばるように眉を顰め、抱きかかえた小さな身体から目を離さない。
「……こんなことなら、治癒魔法も身につけておくべきだったわね。
こんな時になって、自分の傲慢さを思い知るなんて」
その言葉が、胸に刺さる。ローザ様ほど強かったら、治癒魔法なんてこれまでほとんど必要なかっただろう。
——その時。
上方から、複数の足音が、はっきりとしたリズムで近づいてきた。
「……リリエル!」
張りのある声が、混乱の中をまっすぐに切り裂く。
振り返るより先に、その声が誰のものか分かってしまう。
殿下だ。
おそらくゲームと同じタイミング。
けれど——目の前に広がっている光景は、まるで違うはずだ。
「——ローザリア!?」
殿下は状況を一目で把握すると、即座にローザ様のもとへ駆け寄り、素早く怪我の様子を確認する。
「殿下、私は大丈夫ですから……子どもたちを」
殿下は短く頷くと、容体の悪い子どもの傍に膝をついた。
掌に宿った光が、静かに流れ込んでいく。
荒れていた呼吸が、少しだけ落ち着く。
(……すごい)
クラヴァ―ル先輩の治癒とは違う、光交じりの治癒。
けれど。
殿下はすぐに立ち上がり、次の子どもへ向かおうとした。
まだ、苦しげな声があちこちから聞こえている。
(このままじゃ……)
ゲームでは、気絶していた私に殿下が治癒魔法をかける。
そうして目を覚ました私と殿下の目が合って―――
その瞬間、聖女の治癒が辺りに降り注ぐのだ。
――随分ゲームとは違ってしまった。
聖女は危機に瀕したときに能力が覚醒する。
これまでのイベントでは、その分をローザ様が補ってくれていたけれど。
(平気な顔しているけど、ローザ様もかなりのダメージがあるはずよ。
あの火竜を従えるだけで消耗したはず)
私は、殿下の方へ一歩踏み出した。
考えるより先に手が伸びて、殿下の袖に、指先が触れる。
「リリエル?」
「殿下、力を貸してください」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
一瞬、殿下が目を見開く。
「……共鳴だね」
言いながら殿下は息を整える。殿下と共鳴したことはあるけれど、固有の魔法を使うのは初めてだ。
「いいかい。治癒魔法はイメージが大切だ。
光の治癒は、外傷だけでなく、全てを修復するから――」
そこまで言って一息つく。
「いや……、やってみようか」
そう言いながら私の手を取った。
「……っ!!」
手と手が触れた瞬間。
胸の奥で、光が弾けた。
一気に光が拡散する。
反射的に、私はその光を抑えようとした。
「リリエル落ち着いて!そのまま!」
(だめ、コントロールが効かない!!)
殿下が膝をつく。表情だけは、いつも通り。
(こんな時でも、私を心配させないようにしてる――)
ローザ様も、殿下も。
まるで私の代わりに、危機に瀕しているみたいだ。
(このままじゃ、殿下の魔力をただ拡散させるだけになっちゃう)
『広がるかどうかは、光に任せる』
殿下の声が脳裏に響く。
――思い出して。光の護符を作った時。
拡散しながら、範囲を作る。あの矛盾した感覚。
そして、治癒。
殿下の優しい魔法に意識を集中する。
優しさを形にするには、優しさだけじゃ足りない。
それは、ローザ様と殿下を見ていれば分かる。
(矛盾ばっかりだわ。でも……)
胸の奥で、何かが外れた気がした。
(あ……)
「これは……」
殿下が降ってくる光を目で追う。
「これが、聖女の治癒か――」
光は、広がりきったところで、静かに収まった。
子どもたちの泣き声は止み、代わりに、規則的な寝息が聞こえてくる。
殿下は一人ひとりを確認してから、立ち上がった。
「うん、外傷は完全に無くなったし――大丈夫だね」
その言葉に、張り詰めていた空気がようやく緩む。
ローザ様は深く息を吐き、地面に手をついた。
崖下は静まり返っていた。
崩落も止まり、風も落ち着いている。
私は、自分の手を見下ろした。
今度は自己治癒で光っている。
気絶するほどではないにしろ、それなりに消耗したらしい。
「無理をさせてしまったね」
「いえ、大丈夫です。殿下こそ」
よく見れば、殿下の外套はところどころ破けている。
「いや―― 一緒にいたのに、すまなかった」
「不可抗力ですよ」
どちらにしろイベントは起こっただろうから。
それに、どちらかと言えば巻き込んでしまった側だから、少し気まずい。
火竜が低く鳴き、身体を伏せた。
(あ、そう言えば)
殿下が今気づいたというように、火竜とローザ様を交互に見つめて――
小さくため息をついたのが聞こえた。
次回、金曜20時更新です




