止まらない流れ
神殿での用事は、思ったよりも早く終わった。
護符の流通管理についての確認と、いくつかの帳簿のすり合わせ。
神官長は終始真面目な顔だったけれど、特に揉めることもなく、淡々と話は進んだ。
ある程度の管理方法が確立してきたから、今後は月に一度程度のすり合わせで十分だろう。
私はと言えば、細かな帳簿の話になったところで一旦席を外して、追加の護符をさくっと三百枚ほど作ってしまった。
完成度もかなり高い自信作だ。
「お疲れさまでした。
お忙しいところ頻繁に足を運んでいただいて。
お陰様で混乱も少なく進めております」
神官長にそう言われ、私は軽く頭を下げる。
「いえ。問題が起きてからでは遅いですから、
当然ですわ」
ローザ様はいつもの仕事の顔でそう返した。
――さっきまでの天然はどこへ行ったのかと思うほど、切り替えが早い。
神殿の石段を下りながら、殿下がふと足を止めた。
「そうだ、神殿から街の露店あたりまではまだ確認していなかったね。
少し歩いてみないかい?
せっかくローザリアもいることだし」
「あ、それなら、昨日の護符飾りも見ていいですか?ちょうど街の入り口あたりですよね。
ローザ様、どう?」
「いいわね。せっかくここまで来たんだし、
見ていきましょうか」
ふいに昨日の視察が頭をよぎる。
露店、広場、そして――あの路地。
(でも、今日は三人だし、
護符飾りの露店はあそこからは遠いしね)
そう思って、警戒しかけた思考をそっと押し戻した。
神殿の正門を抜けると、空気が変わった。
石の静けさから、生活の匂いへ。
午後の遅い時間で人通りは多いが、昨日ほどの熱気はない。
3人並んで歩く。ローザ様もいつも通りだ。
「ふふ、私の護符は3色あるから……
護符飾りもあえてカラフルにしようかしら。
リリィはどうするの?」
さっきは「殿下と選べばよかったのに」なんて言っていたのに、もう選ぶ気満々らしい。
(ふふ、良かった)
胸の奥が、わずかに緩んだ、その時だった。
「……?」
前方の空気が、ざわりと揺れた。
人の流れが、不自然に遅くなる。
「馬車が――!」
誰かの叫びと同時に、重い音が響いた。
ごろり、と何か大きなものが転がる音。
続いて、悲鳴。
「危ない!」
「下がって!」
目線の先。
通りの中央で、馬車が横倒しになっていた。
御者らしき男が投げ出され、荷が散乱している。
(事故……?)
殿下が即座に周囲を見渡す。
「護衛、周辺を抑えて。負傷者の確認を」
指示に慣れた迷いのない声。
その場の空気が、一気に引き締まった。
ローザ様が私の腕を取る。
「リリィ、少し下がりましょう」
人が、一斉に動き出した。
事故を見ようと集まる者。
避けようとして流れる者。
怒号とざわめきが折り重なり、通りは瞬く間に密度を増す。
「……っ」
流れに押し流されそうになるのを踏みとどまる。
「大丈夫かい?」
殿下の声が、すぐ近くでしたその直後。
その瞬間、人の波が殿下と私の間に割り込んだ。
どん、と背中を押される。
「あ――」
踏みとどまろうとした足が、前に出た。
人の流れが急に速くなって、逆らえない。
「リリィ!」
ローザ様の声が、遠くなる。
(え――?)
視界が、人で埋まる。
ローザ様の姿が見えない。
(流れが――逆らえない……!)
一瞬人混みが途絶えたところでなんとか戻ろうとした瞬間、横から強く腕を引かれた。
「……!」
息を吸うより早く、何かが口元に当てられる。
甘く、重い匂い。
(――しまっ)
慌てて防御膜を鼻と口に張るけれど、もう吸い込んでしまった後だ。
徐々にぼやける視界の端に、頭上の古い渡り廊下を捉える。
(イベントの……場所……)
そう理解した瞬間、足が浮いた。
抱え上げられる感覚。
抵抗しようとしても、力が入らない。
視界が、暗くなる。
最後に聞こえたのは――
混乱の只中で、それでも一切ぶれない、馬車の事故を処理する殿下の鋭い指示の声だった。
※
ごとん、と鈍い衝撃が背中に伝わって、意識が浮上した。
(ここ……私……)
ぼんやりする頭を必死で働かせて状況を理解する。
どうやら荷台に乗せられているらしい。
身体を起こそうとして、枷がはめられていることに気づく。
魔力を流して破壊しようと試みるけれど、魔力自体が流せない。
ゲーム通り、魔力封じの枷のようだ。
なんとか上半身をひねり起こしてあたりを確認する。
(まだ山道に入っていないのね。日も沈んでない。
ということは、防御膜に意味があったんだわ)
ゲームでは、夜の山道を走っているところで目を覚ます。そのあとすぐに崩落事故に巻き込まれるのだけれど。
どうやら、咄嗟に展開した防御膜が、薬の吸収を抑えてくれたようだ。
お陰で情報収集をする時間ができた。
運転手は二人。私が起きたことには気が付いていない。私は慎重に、運転席に近づいた。
「……馬車、派手にやったな」
男の声が聞こえる。
「人が集まる方がいい。神殿の前だ、放ってはおけないだろ」
「王太子が出てきたのは想定外だが?」
「ああ。運がこちらに味方したようだ。
“光は守られていない”と示せた」
「神官長は?」
「生きている。今日はそれでいい」
「……随分、手加減したな」
「まだ我々の動きだと知らせたくない」
一拍、馬車のきしむ音。
「それで――聖女は?」
「まだ眠っている。しばらくは起きん。
強力な眠り薬だからな」
「生贄は」
「3人逃がした。だが7人いる。十分だ」
(まったく。どう考えても盗賊じゃないじゃない?)
早鐘を打つ心臓を抑えて、努めて冷静に考える。
見渡しても、荷台には盗品らしき物なんてのっていない。
あるのは藁と、黒く光る石だけ。
(生贄というのは――子ども達ね。
ゲームでは奴隷として売られるところだったような描写だったけれど――”そう見せかけた”ってことかしら)
同じ荷台にはのっていないから、前を走る車両だろう。確認しておきたいところだけれど、リスクは犯せない。
「王都は荒れるぞ」
「荒れなければ、意味がない」
――盗賊に攫われるなんて、ずいぶん都合のいい展開だなって思っていたけれど――
(これは反神殿派ね。それなら私を狙って誘拐するのも納得だわ)
昨日の見張られているような気配。ゲーム内で、ただの盗賊が魔道具を持っていた違和感。色々なことが線でつながっていく。
(なるほど、それなら最終イベントも――)
そう考えかけたところで、ガタン、と荷台が大きく揺れた。
(来た―――!!)
馬車が山道に入った。
この後しばらく走ったところでがけ崩れが起きる。
そのがけ崩れに、馬車が巻き込まれるのだ。
(大丈夫。落ちた時に気絶するけど――誰も死なない。私が治癒の力を覚醒できれば、だけど)
覚醒には殿下が必要だ。
こんな山道のがけ、殿下はどうやって助けに来るのだろうか。
でも――不思議と、そんなに現実離れした話でもないと思える。
(殿下、早すぎず遅すぎず、丁度いいタイミングで来てくださいね――)
そんなことを考えながら、私は衝撃に備えて、荷台の藁を少しだけ足で手繰り寄せた。
次は水曜20時更新です。




