予兆
――私の共鳴は、どうやら殿下限定らしい。
あのあと諦めきれずに何度か試してみたけれど、二回ほど気絶したところで心が折れた。
日が落ちるまで付き合ってくれた殿下とローザ様には、ほんとうに頭が上がらない。まぁ、ほとんど気絶した私の見守りだったんだけど……。
それにしても、最近は気絶からの回復がやたら早くなってきた気がする。
自己治癒力―—つまりは聖女の力が高まってきているということなのだろうか。
殿下は「私と君が共鳴できるなら、この二人を媒介にして大規模な魔法が構築できるかもしれない」と珍しく興奮した調子で言っていた。
クラヴァ―ル先輩に相談してくる、という殿下の横顔はどこか子どものように輝いていて、(あ、この人、本当に魔法が好きなんだ)と、ちょっとだけ微笑ましくなった。
そして、魔道具では共鳴できなくても、殿下との共鳴が確認できたことで、どうやら単位はもらえそうだ。
先生に報告したときしばらく言葉を失っていたから、相当な特殊例なのだと思う。
とは言え意識的にできるようになる必要はある。
そこは……もう、殿下に頼るしかなさそうだ。
(もうここまで来ちゃったんだから、開き直るしかないわよね。)
幸い殿下は協力的で、この調子なら私の魔法のスキルはどんどん上がると思われる。
共鳴に、殿下との親密度。
流れは王子イベントに着々と向かっている。
けれど今の私には、他に気になることがあった。
その日の放課後。廊下で偶然ローザ様と肩を並べた時は、いつも通りだった。
「リリィ、見て、紫の護符、手に入れちゃった」
「えっ! あれ、図書棟の整理のお礼よね!?」
「そうよ?」
「え……えぇぇ、ローザ様、ほんとに役に立ったの……?」
「失礼ねぇ。私だって、やることさえ決まっていたら整理くらいできるわよ」
いつもと変わらない、たわいもない軽口。
――なのに。
「二人とも、楽しそうだね」
背後から殿下の声がした瞬間。
ローザ様が、すっと私の横から体を傾けるように位置をずらした。
本当に、ただそれだけ。
“殿下に話す場を譲る”ための、ごく自然な仕草――
(……何だろう、この違和感)
殿下は気づかず、いつもの柔らかい眼差しで私を見る。
「よければ、このあと王都の様子を見に行かないか?光の護符がかなりの人気でね。聖女としての意見も聞きたいんだ」
(え……まさか、イベント?)
思わず心臓が跳ね上がる。
「いいわね。リリィの護符がどれくらい広まっているのか興味あるもの」
――あ、良かった。いつも通りのローザ様だ。
そう思った次の瞬間。
「あっ……ごめんなさい。私、用事があったんだったわ。
うふふ、二人でゆっくり見てきてね?」
(え、なんで“二人”って強調したの!?)
殿下は自然に受け取っている。
「ああ、そうか。残念だな。またの機会にね、ローザリア」
まったく気づいていない。
……いや、気づけないよねこれは。
(ローザ様……絶対誤解してる……!
私と殿下が“いい感じ”だと思ってる……!!)
ローザ様はすっと引いて、私にだけ小さく微笑む。
「リリィ、楽しんでいらっしゃい。
あ、でも危ないところには行かないようにね?」
「あ……」
(違う……!!違うのに!!)
でも同時に、胸の奥のもう一つの声が囁く。
(……むしろ、好都合かもしれない)
殿下との街視察。そこで誘拐イベントが起こる。
今までは、心のどこかでローザ様に期待していた。
でも今回は違う。危険すぎるから、絶対に巻き込みたくない。
ローザ様は私の異変に敏感だから――
もし一緒に来ていたら、きっと助けに飛び込んでくる。
”あの事故”が起こる前に助けに来られたら、たぶん私の治癒が覚醒しない。かといって、事故が起こってからでは、さすがのローザ様でも避けきれない。
(……それだけはダメ)
胸がきゅっと痛む。寂しいのに、その寂しさごと押し込んだ。
「それでは、行こうか」
殿下が差し出した手は温かい。けれど振り返った廊下に、ローザ様の姿はもうなかった。
覚悟と不安を抱えたまま、私は殿下との視察へと足を踏み出した。
王都の中心部は、午後の日差しがやわらかく差し込んでいた。
広場の空気は甘い屋台菓子の香りと、護符を手にした子どもたちの歓声で満ちている。
殿下と並んで歩くのも、最近は少し慣れた……と思っていたけれど、
ローザ様がいないだけで、景色の輪郭がどこか落ちつかない。
(……やっぱり、寂しいな)
殿下はそんな私の内心に気づくはずもなく、楽しそうに店々を見回していた。
「へぇ、本当に護符を身に着けている人が多いね。
……あ、あれ見てごらん」
「わぁ、すごい行列……!」
「今日は光の護符の販売日だからね。一部の神殿が認めた店でだけ、決まった数を売ることになっている。流通量の調整もだけれど、防犯対策も考えるとね」
期間限定で、神殿の監督のもとに流通を許可された“特例販売”。殿下や神官長、ローザ様が中心となって細かく取り決めたものだ。
実際に店頭で見たのは今日が初めてで、ちょっとくすぐったい。
殿下が横目でこちらを見る。
「……光の護符を狙った強盗が心配だったから、街の警備も強化していたんだけれど……」
「え、えぇぇ……そんな大層な……!」
「はは、大げさじゃないさ。
闇取引でついた光継祭の護符の値段、知らないのかい?」
「え……どれくらいですか?」
「まぁ、五桁じゃ足りないかな」
「えええ!? フォーン家の一年の税収を超えている……」
(……うまいことやれば領地が助かったのでは?)
つい黒いことを考えてしまったその時。
「ああ、そうだ。
学園のものは寄付という形にしたけれど、市内の販売分については……
一部を君に還元できるように調整中だよ」
「えっ……」
「ローザリアが提案してくれたんだ。
リリエルの義務感に甘えないで、
正当に返すべきだって」
「ローザ様が……」
そんな様子、微塵も見せなかった。
こんなところで、私は私の知らない形で守られていたなんて。
嬉しさと申し訳なさが入り混じって、胸の奥がじわっと疼いた。
——その気持ちをごまかすように、私は視線をそらした。
「あ、あれは……?」
「ああ、護符用の紐と飾りだね。最近人気らしい」
近寄ってみると、小さな水晶や色糸の組み紐など、可愛いパーツが所狭しと並んでいた。
「わぁ……かわいい……」
「何か買っていくかい?」
ざっと見まわして考える。
「うーん、今日はやめておきます。
ローザ様と来たときに選びます」
「ふっ……君たちは本当に仲がいいね」
「そ、そうですか?」
殿下はふっと懐かしむような表情をした。
「知っているかい?ローザリアは、昔は、それはもうお転婆な子だったんだよ」
「あ……殿下が良く追いかけてきてくれたって……」
「はは、クロイツ領の話だろう?
私は二つ下の女の子を守らなくてはと必死だったんだけど……」
「なんか、目に浮かびます」
「でも、彼女は私なんかより強いからなぁ」
「……昔から、強かったんですか?」
「いや……うん、そうだね。
昔から、天才だったと思う」
そう言って何かを思い出すような遠い目をして――
(あれ……?)
なんだかこの空気、覚えがある。
……そうだ。
神殿で倒れた日、ローザ様の家で殿下の話をしたときの、一瞬の、微妙な揺らぎ。それに、クロイツ領でも。
(何か……あったのかな)
「殿下ー!こちらでございます!」
護衛騎士が駆け寄ってきた。
少し離れた場所で、街の管理担当の役人らしき人々が待っている。
殿下は小さく笑って手を引く。
「話に夢中で仕事で来ていたのを忘れていたよ」
「私もです」
殿下と笑って一歩踏み出した、その瞬間。
広場の喧騒の中で、音が一つだけズレた。
足音。
……いや、違う。
流れを裂くように近づく気配が、ひとつだけ速い。
(……え?)
何気なく視線を流した、その瞬間。
向こうの路地から、フードを深くかぶった人影が、
まっすぐ“私だけ”を見つめていた。
雑踏に紛れて、
ほんの一瞬だけ、視線が絡む。
心臓がドクンと跳ね上がる。
(来た……!?)
ほんの刹那の直感。
でも、確かにそこにいたはずなのに、次に視線を向けたときには、もう影はどこにもいなかった。
「リリエル?どうしたんだい?」
「あ……いえ、何でもないです」
自分でも驚くほど声が上ずっていた。
殿下は気づかない。誰も気づかない。
まだ事件は起きていない。
けれど、今この世界の流れがそちらへ“傾きかけた”——
そんな嫌な確信だけが胸に残った。




