はじまりの日
胸の奥に燃える高揚感を抱えながら、私は思い返す。
どうしてこんな茶番めいた断罪に至ったのか──
その始まりの日を。
◇
私は、生まれたときからずっと違和感を抱えていた。
──前世の記憶があったから。
もちろん、最初から「ここはゲームだ」と思っていたわけじゃない。
けれど物心ついたころから、世界がどこか作り物めいていると感じていた。
口答えをすれば「まあ、なんて聡明でいらっしゃる」
(ただの屁理屈でしょ!)
庭で泥だらけになれば「冒険心もおありなのね」
(違う!ただのイタズラ!)
わざと悪いことをしてみても同じ。
お菓子をつまみ食いして知らん顔をしたり、わざとお行儀を崩してみたり。
それでも返ってくるのは「お茶目でかわいらしい」「自由な発想ね」と笑顔ばかり。
明らかに他の子供への対応と違うのに、周りの子供達も私に好意的なことも不思議で。
庶民同然に暮らしていたとはいえ、一応男爵家。
気を使われているのかな?とも思ったけれど、過ごせば過ごすほど、そうじゃないという違和感が募るばかり。
……世界が私にフィルターをかけているみたいだった。
その違和感が「確信」に変わったのは、七歳のとき。
庭園の奥にある湖畔で、私はすべって水の中へ落ちてしまった。
冷たい衝撃が体を包み、視界は一気に暗く沈んでいく。
必死に手足を動かしても、服は重く絡みつき、水面はどんどん遠ざかる。
──あ、ここで死んじゃうんだ。
胸が苦しくなり、意識が薄れかけたその瞬間。
胸の奥がぱっと熱くはじけた。
まぶしい光が水中いっぱいに広がり、泡のように舞い上がった。
湖の底から天へと突き抜けるような光柱となり、私の体をふわりと押し上げていく。
次に気づいたとき、私は岸辺に横たえられていた。
駆け寄った大人たちが、蒼ざめた顔で私を囲んでいる。
「い、今の光は……」
「まさか……聖女の奇跡……!」
震える声が頭上から降りそそぐのを聞きながら、私ははっとした。
──そうだ。前世で夢中になっていたあの乙女ゲーム。
幼少期に命の危機で力が目覚める、あのプロローグのイベント。
(……ここはゲームの世界……!)
鏡をのぞいて、私は愕然とした。
昨日までの平凡な茶色の髪が、光をまとったような淡い金髪に変わっていたのだ。
(見た目が違ったから……気づくのが遅れたんだわ)
もっと早くに気づいていれば……なんてそのときは思ったけれど。
結局、気づいていたところで運命は変わらなかっただろう、と今では思う。
それから私は、必死で「普通に」生きようとした。
聖女なんて呼ばれたくなかった。
だから力は隠し、祈りを求められても首を横に振った。
けれど拒めば拒むほど「謙虚さの表れ」とされ、ますます持ち上げられていく。
偶然うまくいった薬草の調合が「聖女の奇跡」と呼ばれ、小さな手助け一つすら「神の導き」と書き換えられていく。
日々の小さな偶然や失敗までも“奇跡”に変換されていった。
……そうして積み重なった過大な期待の果てに、私は“聖女”へと祭り上げられていた。
「学園で正しく導くべきだ」
王家と教会がそう言い放ったとき、もう抗う余地は残されていなかった。
私がどんなに「行きたくない」と叫んでも、世界は聞き流す。
すべてが、決められた筋書き通りに。
私の言葉は誰にも届かない。
まるで見えない手で未来へ押し流されていくみたいだった。
(こんなの……"私"じゃなくてもいいじゃない!
誰か他の子がこの役をやればいいのに!)
心の中の叫びもむなしく、運命は予定通りに動き出す。
“シナリオ通り”に、私は学園に入ることになった。
(ダメ……学園に入ったら、本編が始まっちゃう)
ゲームのリリエルは“守られるヒロイン”。
でも実際は、命がけのイベントばかり。
火の粉に巻かれ、魔力の嵐に吹き飛ばされ……。
笑えない。体験する側からすれば、全部ただの大事故だ。
迎えの馬車に揺られながら、私は諦めのため息をついた。
やがて窓の外に、白い石造りの尖塔が見えてくる。
王都でも屈指の古い学園──聖女も王子も、皆ここで教育を受ける。
高くそびえる尖塔の上には聖紋が刻まれ、夕陽を浴びてきらめいていた。
門をくぐると、すでに多くの生徒たちが集まっていた。
豪奢な馬車が並び、鮮やかなドレスや仕立ての良い制服に身を包んだ令嬢や若者たちが談笑している。
そのざわめきの中に混ざった瞬間、私は強く悟った。
ここは“特別”な者しか入れない舞台。
──そして私は、望まずともその役を押しつけられた一人なのだ。
胸の奥が重く沈む。
扉の向こうに待っているのは、きっと波乱に満ちた学園生活。
──そして。
初めて足を踏み入れた大広間で、ひときわ目を引く令嬢がいた。
(わぁ……キレイ……)
金の髪に、燃えるような赤い瞳。
姿勢は完璧で、歩みは優雅。
止まっていても、空気そのものを支配しているかのような気配を放っていた。
公爵令嬢、ローザリア・フォン・クロイツ。
誰もが畏れ、憧れ、物語の“悪役令嬢”として消費するための存在。
彼女は常に、私に立ちはだかるライバルであり──恋敵になるはずの人。
けれど。
大広間の天井から降り注ぐシャンデリアの光は、彼女をひときわ浮かび上がらせていた。
影に包まれて険しく見えた“ゲームの中の彼女”とは違う。
光をまとう姿は、気高さと温かさを同時に映し出していて──まるで別人のように思えた。
(全然、違う……)
その瞬間、ローザリアがふっとこちらを見て、にっこり微笑んだ。
台本にはなかった、柔らかな微笑みで。
「こんにちは、あなたが聖女リリエルね?……ここ、風が通って気持ちいいでしょう?」
えっ……今、話しかけられた?
そんな台詞、ゲームには存在しなかった。
本来なら教室で、影に顔を沈めて告げられるはずだった冷たい言葉。
「身の程をわきまえて、夢を見過ぎないことね」
そう、見下しの一言で幕を開けるはずの運命の出会い。
でも──ここにいるのは、光に照らされたローザリア。
柔らかな声を添えて、私にまっすぐ視線を向ける彼女で……
(こんなこと、ありえるの?でも……)
光の中のローザリアは色鮮やかで。
ほんの少し、世界が決めたレールから外れた気がした。
(もしかして……)
……学園で始まるはずだった“ハードモード”。
でも、この出会いだけは予定外。
私の運命を変える最初のきっかけが、ここにあったのかもしれない。
次回は明日22時更新。しばらくは毎日更新します。




