夢の余熱
―― 一週間は、本当にあっという間だった。
毎日フワフワのパンケーキを食べ、美味しいデザートに、海の幸をふんだんに使った夕食に……
……うん、これはもう餌付けだと思う。
でもどうやらローザ様とは食の好みが合うらしい。
クロイツ家オリジナルのバターに感動していたところ、それはローザ様の好みに合わせて作られたものだと教えてもらった。
香草と荒く砕いた岩塩が混ぜられた風味のよいバターは、クロイツ小麦のバケットにぴったりで。
料理長もその反応が嬉しかったのか、
次から次へと“ローザ様仕様”がテーブルに並んだ。
ホットチョコレート、絶品だったな。
好みが合うと言えば――
別邸の奥にある小さな書庫に案内されたときは、思わず息をのんだ。
海風の通る窓と、木の香り。
壁一面に本が並んでいて――
(ふふ、でも、ローザ様の雑さが出ちゃってたのよね)
魔法理論書の隣にお菓子のレシピ本。
その下には恋愛詩集と領地経営の実務書。
「ローザ様……これ、分類……どうなってるの……?」
思わず聞いてしまった。
「え?分類?読み途中の本は特にしてないわ。
……あら、これはもう読まないわね」
「いや、欲しい本、見つけるの大変じゃありません?読みかけの本、多すぎでは」
「確かにそうねぇ。
でも基本的に一度読んだ本は読まないから、大丈夫よ。多分」
多分て。
思わず私は袖をまくった。
「ちょっと片付けてもいい?
魔法理論はこっち、歴史は上段、レシピ本は……はい、この棚」
本をひとつ動かすたびに、棚に“秩序”が戻っていく。
「まぁ……すごいわリリィ。棚に“意味”が生まれたわ」
「意味は最初からあったはずなんだけど……」
――まぁ、この“混沌”具合がいかにも天才という感じもする。
多分、ローザ様の頭の中ってああいう感じなんだろうな。
その他にも、美しく整った街に、夜の海……
温泉にも更に2回行った。
そして、最終日の朝がやってきてしまった。
明日の光継祭のため、これから王都の神殿へ向かうのだ。
ローザ様はタウンハウスに戻ると思いきや、一緒に神殿に滞在してくれるらしい。
「どうせ私も準備で明日の昼から神殿だもの。
それなら移動は少ないほうがいいでしょう?」
なんて言っていたけど……
ローザ様も、もう少し一緒にいたいと思ってくれてるのかな。
荷物をまとめるローザ様を見て、ふふ、と笑みが漏れる。
(夏季休暇も来て、って言ってくれたし。
そうしたら、海に入れるかしら?)
高位貴族のご令嬢は海に入ることはほとんどないけれど……
多分、ローザ様ならすぐに泳げるようになる。
もしかしたら、すでに泳げるかもしれない。
だって、ローザ様だから。
――この時の私は、あまりに楽しい現実に――
断罪劇なんて起こらないかもしれないと、そんな気分になっていた。
人というのは不思議なものだ。
何度現実を思い知らされても、心地よい今に引っ張られて、都合のいい未来を描いてしまう。
ご両親への挨拶のため本邸に立ち寄ると、
馬車を降りた瞬間、さわやかな水の音が耳に入った。
(……あれ?噴水、元に戻ってる)
思わずローザ様を見ると、
その視線も、まっすぐ噴水へ向けられている。
一瞬、二人のあいだに静かな気配が落ちる。
“まさか”と“やっぱり”が胸の奥で重なると同時に言葉になる。
「ローザ様……何か、した?」
「やだ、何もしてないわよ。自然に戻ったんでしょ。
だからここを選んで……あっ」
……ローザ様、素が出てる。
「やっぱり干上がってたのはローザ様のせいか……」
いつもなら心の中に留めておくはずの言葉が滑り落ちた。
私も相当、素が出ている。
「ふふふ、ちょっとね。ギリギリだったのよねぇ、色々と。
さすがに学園からこの噴水の座標を特定するのは厳しかったし」
――あぁ、クロイツ領に入った瞬間の違和感はこれか、と腑に落ちた。
「……学園裏の泉とかじゃダメだったんですか?
あっちのほうが広いのに」
「泉にも生物がいるでしょう?植物も。
それに影響が出たら申し訳ないわ」
「……なるほど」
馬車に揺られながら、クロイツ領の境で窓の外を見る。
――ローザ様は、本当に、不思議な人だ。
この1週間で素を見たつもりだったけど、
まだ掴みきれていない“芯”がある気がする。
(私の方が人生経験は豊富なはずなんだけど)
圧倒的な力は、物を見る視点すら変えてしまうのかもしれない。凡人がいくら経験を積んだとしても、けっしてたどり着けない何か。
(攻略対象者達が揃いも揃って意識しているのは納得だわ)
恐れか、崇拝か。
愛か、憎しみか。
(あーあ、所詮私は"御し易い"相手なんだろうな。丁度いい人がモテるみたいな典型よね、”聖女”って)
「リリィ?どうしたの?
ふふ、クロイツ領を離れるのがそんなに寂しい?」
のんびりした調子でローザ様が尋ねる。
「いや、ローザ様が噴水に悪さをしたのはこのあたりかなーと思って」
「あら、何の事かしら?」
「もう。肝心なことは全部濁すんだから」
「そんなことないわよ。リリィには、結構見せてるわ、私」
「……ジュリアン殿下にも?」
「ジュリアン殿下……
そうね、そうかもしれない」
(あ、まだだ)
ジュリアン殿下の話になると、懐かしさだけではない、時々微妙な揺らぎが混ざることには気付いていた。
ーー愛か、憎しみかーー
「じゃあ、私のほうが殿下より一歩リードかな。
……裸の付き合い分」
ほんの少し沈んだ空気に気付かないふりでそう言うと、
わずかにローザ様の表情が緩んだ。
「えぇ?リードってなぁに?」
「あ、でも殿下は小さい頃のローザ様を知ってるんだもんなぁ」
「もう!リリィだって大事なところは濁すじゃないの!」
他愛もない会話と共に、馬車は進む。
踏み込みすぎているーー
そう思うのに、この一週間の楽しい思い出が、境界線を曖昧にしている。
(この馬車が、最後)
馬車を降りたら、また”現実”だ。
夢と現実が混ざり合う感覚が、妙な高揚感を生む。
「私もローザ様には見せてるんだけどな」
窓で拡散して赤くなった光が、魔法みたいにきらめいている。
普段の私なら恥ずかしくて決して言わないような言葉が、
次から次へと零れていった。
楽しいことの後って、切なくなりますよね。
次回、水曜20時更新です!




