休日のひととき
柔らかい光が、まぶた越しに差し込んでいた。
光がまぶたの裏でゆらめき、意識がゆっくり浮かび上がる。
香りの記憶が先に戻ってくる――花と紅茶と、ほんの少しの魔力の気配。
(……あれ? 神殿じゃ、ない?)
目を開けると、見覚えのない天蓋とレースのカーテン。
クロイツ公爵家の紋章入りのカップが、すぐそばのテーブルで湯気を立てていた。
「やっと起きたのね、リリィ」
ソファに腰かけていたローザリア様が、ほっと息をつく。
いつもの制服ではなく、家用のゆったりした服。
淡い金糸の刺繍が光を受けてやわらかく輝き、
それだけで、ここが“学園の外”だと実感する。
「……ローザ様、私……?」
「神殿の司祭たち、慌ててたわよ。あなた、結界用護符を十五個も作ったんですって?」
「……十六個目で気絶しました」
「ふふ、そうでしょうね。見学に来ていた修道院の子供たち、聖女様の献身に感動していたわ」
ローザリア様は微笑んで、カップを持ち上げた。
紅茶の表面に光の粒が揺れ、室内に淡い金の反射を散らす。
……どうやら、ゲーム通り、ちゃんと名誉ポイントが上がっているらしい。
嬉しいような、嬉しくないような。
(そういえば……ローザ様ってあんなに魔法を扱えるのに、結界は張らないのかしら。
この間も防御膜を応用していたわ。結界用護符が高級品とは言え、公爵家ならいくらでも用意しそうだけど)
思い立って、私は身体を起こしながら尋ねた。
「……え? 結界?」
「はい。ローザ様なら魔道具を使えば簡単に張れそうなのにな、って」
「そうねぇ。やってみたことはあるのだけれど……」
「けれど?」
「ちょっと面倒なのよね。私、自然体だと闇が一番使いやすいんだけど」
ローザ様は、紅茶のカップを指で軽く回しながら続けた。
その横顔は穏やかで、けれどどこか自信に満ちている。
「闇は光を吸収するでしょう?
他の属性をメインで使えば出来ないこともないのだけど、自由度は減るのよね。
やっぱり、好きな時に好きなようにやりたいじゃない?」
さらりと告げるその口調に、努力や誇示の気配はない。魔法を扱うことが、呼吸のように自然なのだろう。
「……防御膜を体から離して使うほうが大変そうですけどね」
「あの時は特別よ? 闇の魔力は防御壁じゃ防げないから、仕方なく、ね」
「……もしかして、あの防御膜も闇の魔力ですか?」
「そうよ。そうじゃなきゃ抑えておけなかったもの。
でも、実践の授業では他の属性を使ってるわよ。
――闇使いなんて知られたら大変だもの」
言葉の裏に、ほんのわずかな緊張が滲んだ気がした。
(闇の力自体は、いまでは忌避されていないはずなのに……)
かすかな違和感が、一瞬だけ胸を掠める。
「……ちなみに何の属性で作っているか聞いても?」
「その時の気分よね。でも、水に少し土を混ぜるのがやりやすい気がするわ。
水と火も面白いけど、それだと闇を補助に使ってるってバレちゃうし」
「……ローザ様って、天才ですよね」
「ふふ、ジュリアン殿下にもよく言われるわ」
紅茶の香りがふわりと広がる。
親しみが滲む言葉。
けれど、その奥にかすかな揺らぎが混じった気がする。
……もし、私が転生者じゃなかったら。
ローザ様の才能に嫉妬し、自分との間にそびえる高すぎる壁に、絶望していたかもしれない。
クラヴァ―ル先輩が自分を見失ってしまったように。
――ジュリアン殿下は、どう感じているのだろうか。
「ねぇ、リリエル? 昼食後体調が良かったら、王都の広場に遊びに行かない?
あなた、行ったことないでしょう」
「え! それは行きたいです!」
「ふふ、じゃあ、侍女に服を用意させるわ。
私たち、髪の色も似ているし、姉妹に見えるかも」
「……姉が綺麗すぎて不貞腐れそうなんですけど」
「うふふ、あなたみたいな可憐な妹を連れて歩けるなんて嬉しいわ」
――昼食を終え、侍女たちによってあっという間に整えられた私たちは、確かに姉妹のようだった。
並んで鏡の前に立った瞬間、思わず吹き出してしまう。
(というか、服、色違いじゃない!? いつの間に用意したの?)
広場の石畳の街路には、魔導祭を前にした露店が並び、人々の声が行き交っていた。
香ばしい焼き菓子の匂い、魔力灯の淡い光。
学園とは違う、日常のざわめきに心がほどけていく。
「少し離れただけなのに、学園とは別世界だわ」
「そうですね。あの……ローザ様、護衛もなしに歩いて平気なんですか?」
「変装もしているし大丈夫よ。
何かあっても私が守るから、安心して?」
「えええ……いや、確かにお強いですけど……」
風に揺れるローザ様の金の髪が、陽光を反射してきらめいた。
その存在感だけで、人々の視線が自然と集まってしまう。
まったく、隠密行動には向いていない。
(もう、本当にわかっていないのかしら?)
ふと、導光石を売る露店の前で足が止まった。
カラフルな護符袋が風に揺れ、小さな光を瞬かせている。
「ローザ様! これ、光の護符ですって!」
かわいらしい刺繍の袋の中に、丸いものが入っていた。
私が神殿で作った結界用護符の水晶の大きさとほとんど同じだ。
「あぁ、光の護符のレプリカね。これ、人気なのよ。
本物は市場に出回ることはないのだけれど」
「ですよね……」
……知ってた。光の護符を作れるのは、聖女だけだから。
ローザ様は袋を指先でつまみ上げて微笑む。
「でも、可愛い。きっと作った人の祈りが籠っているわ。
……欲しい?」
「ええ!? でも……」
「この水色の護符、素敵じゃない?私はこれを頂こうかしら。リリエルの瞳の色と、同じだわ」
……言いながら微笑むローザ様の髪がなびいて、なぜだか心臓がトクンと跳ねる。
「……それなら、私は、この深い赤の護符にします。すごく、きれいな、色」
言いながら、少しだけ照れくさくなる。
「うふふ、おそろいね」
風が通り抜け、護符に結ばれた小さな鈴がかすかに鳴った。
……その時、ふいに後ろから声をかけられた。
「ローザリア……?」
振り返ると、金の髪を揺らしながら歩いてくるジュリアン殿下と、
その傍らには護衛―—騎士ライナーがいる。
「ジュリアン殿下……奇遇ですわね」
「学園の外で会うとは珍しいな」
ジュリアンは穏やかに笑い、
「――先日の件、さすがだな」と告げた。
「クラヴァール先輩のこと、ですか?」
「ああ。ローザリアと、聖女リリエルの活躍は聞いた。
クラヴァ―ルが無事だったのは、君たちのおかげだ
礼を言う」
「まあ、わたくしはほとんど何もしていませんわ」
ローザリアはいつも通りの落ち着いた声で言い、
小さく首をかしげた。
「助かったのは、リリエルの光の力のおかげでしてよ。それにしても……」
「……え?」
「殿下の結界があれば、もっと被害が少なかったはずですわ」
「そ、そうか……?」
「ええ。おかげでわたくし、自慢の髪を焦がしてしまいましたのよ。
まったく、何をしていらしたの?」
「クロイツ公爵令嬢!不敬ですよ!」
ライナーが顔色を変えて割って入る。
それを、ジュリアン殿下は手だけで静止した。
「ふふ、どうせまた書類に追われていたのでしょう?
生徒会室の灯りが夜遅くまで消えないことは有名でしてよ?
もちろんさっきのは冗談ですわ。
殿下にはご自分の安全を第一に考えて頂かないと」
ジュリアン殿下は一瞬だけ固まったあと、ふわりと笑いながら言った。
「君には敵わないな」
(あ、この表情……)
横で見ていたライナーが小さくため息をつく。
「公爵令嬢と殿下は、ずいぶん気安いご関係のようですね」
「ええ。昔からの付き合いですから」
「……そうですか」
(あっ、この人、不服なのが顔に出てる)
ローザ様はまるで気づいていない。
ジュリアンの柔らかな笑みとライナーの視線の間で、
私だけが内心あわあわしていた。
「それでは、わたくしたちはこれで。リリィ、行きましょう」
「は、はいっ!」
ローザ様がふわりとスカートを翻して歩き出す。
その金髪が陽光を受けて揺れるたび、まるで発光しているかのようで。
ジュリアン殿下の目が一瞬だけその輝きを追っていたのを、私は見逃さなかった。
新章に突入しました!
続きは明日21時半更新。




