バカと異世界の人々 前編
「痛てて、ここは?」
大型トラックにはねられたはずの安太郎は、気がつくと見知らぬ森の中にいた。
「確かオレはトラックにはねられて……それからどうしたんだっけ?」
安太郎は首を傾げる。自分をはねたトラックはどこにもないし、そもそも人が誰もいない。はねられて飛ばされたにしても、確かあの辺りには森なんて無かったはずだ。
「おかしいな……あれ、あそこに誰かいる。おーい」
安太郎が周りを見渡すと、少し離れたところに影のようなものを見つけた。人かと思い、とりあえず話を聞こうと駆け寄ってみる。
「おーい!そこのあんた……な!?」
それは少なくともヒトでは無かった。青色で丸いジェル状のそれはウネウネと蠢いていて、安太郎に少しずつ近づいている。動いており、目玉のようなものがあることから、一応生き物のようではある。
「もしかしてあれ、スライムなのか?」
よくみれば、ファンタジー小説やゲームによく登場するモンスターのスライム……に見えなくも無かった。
「なんでこんなモンスターが……まてよ?」
安太郎はこれまでの出来事を整理してみた。
トラックにはねられ、気づいたら見知らぬ森にいて、目の前にはモンスターがいる、これらが意味することとは?
「まさか、成功したっていうのか?異世界転移に!」
思えば皮肉な話であった。長年夢見続けた異世界への転移は、その夢を諦めた瞬間に叶ったのだ。
「ふふふ、異世界転移を諦めた途端、異世界転移を果たすとは……人生ってのはままならないもんだ。だが、長年の夢が叶ったことには違いない。これからオレの物語が始まるってわけだ!まずは景気付けに、このスライムをぶっ倒してやる!喰らえ!」
安太郎のヘナチョコなパンチが、スライムに見事命中した。しかし、彼の拳はスライムの体に触れると同時に、表面の粘液がまとわりつき、皮膚が溶けはじめた。
「ぎゃああああああああああああ!熱いいいいいい!溶けるうううううううう!助けてええええええええええ!うおおおおおおおおおお!」
あまりの痛さに、のたうち回る安太郎。すぐに手を離したおかげで、やけど程度で済んだが。
「この野郎、ただのスライムだと思って油断した。この世界のスライムは素手で攻撃しちゃいけないんだな、うん。一つ賢くなったぞ。だとすると、何か武器とかはないかな?」
そう考えた安太郎が周りを見渡すと、おあつらえ向きに斧が落ちているではないか。
「なるほど、こいつを使えばいいんだな。よーし、さっきはよくもやってくれたな!クソスライムめ!これでもくらえ!」
そう言って安太郎はスライムに向かって斧を振り下ろした。斧の刃はスライムの体に食い込むと同時に瞬く間に破壊された。このスライムの表皮の粘液は、鉄をも溶かす強力な酸であった。
「……逃げよう」
安太郎は刃の無くなった斧を放り投げ、一目散に逃げ去った。
「ひどい目にあった……」
幸いスライムの動きは遅かったため、うまく逃げ切ることができた安太郎。
「しかし、異世界転移したっていうのに、オレにはなんの能力もないんだろうか?ラノベだと異世界へ転移したキャラには何かしらのスキルが備わっているのに……」
スライムとの戦闘を振り返ると、今のところ身体能力が上がったりした様子はないし、魔法など特別な能力が使える様子もない。しかも彼はバカな上に、五年もろくに労働もせず遊んで暮らしていた身なので体力も並の成人男性より大幅に劣る、どうしようもない人間である。
「ま、そのうち何か能力でも身につくさ!なんか事件が起きれば、オレの潜在能力が覚醒するかもしれないし。とりあえず町でも探してみよっと!」
彼はバカな代わりに非常に前向きな人間ではあった。
「あれアニメとかで見たことある!」
歩きはじめて数十分後、何か建物が見えてきた。灰色のレンガでできた、とんがった形の屋根がいくつもある大きな建物。
「すごい!お城だ!和風じゃない洋風の!アニメで見たようなお城っぽいお城だ!やっぱり異世界モノといえば洋風の城だよな!」
アニメで見るようなステレオタイプな洋風のお城に、安太郎は大いにはしゃいだ。
「お城があるってことは町も近くにありそうだな。よし、まずあそこを目指して進んでいこう」
安太郎は城を目指し元気よく進んだ。
そのうち安太郎は、外壁に囲まれた城下町の入り口にたどり着いた。町の入り口には、看板が立っている。
『ようこそ!城下町へ!』
日本語で、そう記されていた。どうやらこの世界では日本語が使われ、ひらがなどころか漢字までもが使用されている様だ。
「……とりあえず言葉は通じるみたいだな。よかった!」
安太郎は深く考えずに納得した。安太郎はそんなことをいちいち気にする男ではない。
「うん、いい城下町だ。アニメとかで見るいわゆる中世ヨーロッパ風の町って感じだ。さてこれからどうしたもんかな?」
とりあえず町には着いたものの、特に行くあてもない。そもそもこの世界について何も知らない状態だからとりあえず情報を得なければならない。
「こういう時は酒場だ。こういう世界で情報を集めたり仲間を探すなら、酒場って相場が決まってる。でも開いてる酒場はあるかな?まだ日も高いし……あ、あそこなら開いてそうだ」
安太郎が見つけたのは「大衆酒場とり庶民」と看板に書かれた酒場だった。とりあえず安太郎はそこに入店することにした。ちなみになぜ「開いてそう」と思ったかというと看板に「24H」という文字も書かれていたからだ。
「いらっしゃい!こちらの席にどうぞ!」
安太郎が入店すると、威勢のいい女性の店員にテーブルへ案内された。
「ご注文はお決まりですか?」
「えーっと……じゃあまず生中と……つまみでこれとこれとこれと……あとこれもお願いします」
安太郎ははテーブルに置いてあったメニューから適当に注文する。もちろん日本語で書かれていたので、注文に何の支障もない。
「かしこまりました!」
注文を終えた安太郎は、とりあえず周囲を見渡す。
「結構人がいるな……あ、あそこにいる人鎧着てる!こっちの人は黒いローブを纏ってるぞ!はぁ、やっぱり異世界なんだなここって!」
そうしているうちに、店員がビールを運んできた。
「お待たせしました。まずこちら生ビールとお通しのもやしナムルです」
「……お通し?まあ、いいか。ぷはー!生き返る!もやしも美味いし」
安太郎は「お通し」というシステムがこの世界に当然のようにあることに多少疑問を抱いたものの、美味かったのでよしとすることにした。続いてつまみも運ばれてくる。
「お待たせしました!焼き鳥の盛り合わせです」
「お、これこれ。やっぱビールには焼き鳥だよなー」
運ばれてきた焼き鳥の盛り合わせは、ねぎまとつくねと鶏皮など、安太郎の元いた世界の居酒屋なら、一般的な内容のものだった。
「……そういえば焼き鳥なんて異世界にあるのか?アニメだと異世界でこんなの食ってるシーンなかったけど……」
ねぎまを一本手に取って、ふと疑問を感じた安太郎。その時、安太郎の左隣りのテーブルから話し声が聞こえてきた。
「この間ゴブリンを討伐したじゃん?あの時さ……」
そんな会話だった。
「え、ゴブリン!?ゴブリンいるの!?やっぱりここは異世界なんだな!すげー!」
異世界にらしい会話にテンションが上がった安太郎は、さっきまで感じていた違和感も忘れてしまい、機嫌良く焼き鳥をつまみにビールを飲み干した。やがて、またつまみが運ばれてくる。
「お待たせしました!湯豆腐です!」
「あ、きたきた。そういえばメニューにあったからつい頼んだけど豆腐が普通にあるんだな、この世界……」
異世界なのに豆腐が普通にあることに少し不思議に思う安太郎。その時、右隣りのテーブルにいる、鎧を着た男二人の会話が聞こえてきた。
「ここだけの話、北のバーバリアンがこの国に攻めてくるらしいよ」
「マジで!?」
そんな会話を聞いて安太郎は大はしゃぎ。
「え!?バーバリアンが攻めてくる!?やっぱりここ異世界じゃん!」
こんな状況で、酒が進まないはずもなく、ビールをおかわり。湯豆腐も美味しくいただいた。さらにつまみが運ばれてくる。
「お待たせしました!こちらカツオのたたきです!」
「わー!美味しそうー」
既にかなり酔っ払っていた安太郎は、もはや何が出てこようと違和感を感じることはなかった。
「ふー食った食った」
1時間後、情報収集という目的も忘れて散々飲み食いして、大満足の安太郎。
「……なんか忘れている気がするけど、まぁいいか思い出した時で。すみませーんお会計お願いしまーす」
「はーい!生ビール6杯、焼き鳥の盛り合わせ、湯豆腐、カツオのたたき、おでん、フライドポテト、枝豆、シャケ茶漬け、お通し代、合計で500……」
(へー随分安いな……)
安太郎はそんなことを考えながら、財布から一万円札を取り出そうとした。
「500GOLDです!」
「……ふむ」
安太郎の手が止まる。
(なるほどGOLDときたか)
安太郎は自分の持っている通貨が、この世界で通用するのかどうかを全く考えていなかった。なまじ言葉が通じるせいで、外国感が薄かったせいかもしれない。
(自分の国通貨が使えなくて騒動になるなんて、なんか異世界モノのラノベの序盤イベントみたいだ!これはこれで悪くない!悪くないけど状況は悪い、さてどうしたものか……)
「どうかされましたか?」
「い、いやなんでも……」
流石の安太郎も冷や汗をかきはじめ、酔いが一気に醒める。安太郎はこの世界で使用できる通貨を持ってない。しかし、料理はもう食ってしまった。元居た世界ではそれを無銭飲食と言い、おそらくこの世界でも同様である。
(考えろ!何かあるはずだ!この窮地を突破する方法が!)
考える余地などない、事情を話して、ただひたすら謝り倒すしか方法はないように思われた。しかし、残念ながら安太郎は思いついてしまう。この窮地を脱する方法を。
「あ!アレはなんだ!?」
安太郎は突然そう叫び、ある一点を指差した。会計をしている女性店員をはじめ、他の店員や客たちも、みんな一瞬安太郎が指を差した方に目を向けた。安太郎の指差す方向には何もない。その一瞬の隙をついて、安太郎は指差した方とは真逆の方向……つまり店の出口へと走りだした。