バカの異世界転移 前編
「オレの夢は異世界に転移して、ライトノベルの主人公のようになることだ!」
彼がその夢を志したのは23歳の夏だった。
その男、樽谷安太郎は、大学を卒業後とある企業に就職していた。入社してすぐに新入社員歓迎の飲み会があり、それが人生の大きな転機となった。
「新入社員の皆さん、本日は無礼講ですので大いに楽しんでください」
飲み会の初めの挨拶で、安太郎の上司である部長はそう言った。
「マジで!?」
無礼講と知った安太郎は、無礼講だけに無礼の限りを尽くしはじめた。
いきなりビールをラッパ飲み。揚げたて熱々の唐揚げを先輩社員の顔面に投げつけたり、「オレのおごりです」と言って部長のハゲ頭にビールかけまくった。あと女性社員にちんちんを見せつけたりした。
そういうことがあって彼は職を失ったのだった。
無職となった彼はとりあえず実家に戻り、次の職探しをすることになった。
だが、一度無職になるとどうもやる気が起きなくなる。次第に就活もサボり、ダラダラ過ごすようになってしまった。
もちろんそんな安太郎に対して、彼の両親がいつまでも黙っているわけもなく、ある日の夕食時に彼の父は嫌味を言った。
「安太郎、働かずに食う飯は美味いか?」
それに対して安太郎は元気よく答える。
「うん!母ちゃんの作る飯は日本一美味いよ!」
その後、父と母にゲンコツを一発ずつくらい、更に「将来について真剣に考えろ!」と怒鳴られてしまった。
「オレは思ったこと言っただけなのに、クソ」
自室で、腫れた頭を押さえ、ブツブツと文句を言う安太郎。とはいえこのままではいけない、ということは一応わかってはいる。
「さて、これからどうしたもんか」
安太郎が床に座って部屋をなんとなく見回していると、部屋の本棚にある一冊の本が彼の目に入る。
「あ、アレは」
その本は安太郎が中学生の頃にハマったライトノベルだった。
「へぇ、懐かしいな。昔よく読んだっけ」
彼は懐かしさからその本を手に取り、ページを捲りだし、しばらく本の内容に没頭した。
「これだ!」
読みはじめてから1時間後、彼は急に叫びだした。
そのライトノベル『ドラゴン・ブレイカー』の内容を要約すると、普通の高校生であった主人公が突然異世界に飛ばされて、突然伝説の戦士「ドラゴン・ブレイカー」として覚醒する。その後主人公は仲間のかわいい雌獣人、エッチなエルフ、エッチな魔法使いと共に世界を救う旅に出る……と言う内容だ。
「よし、決まりだ! 俺は異世界へ転移して英雄になってハーレムを作ってやる! やってやるぜ、異世界転移! これから忙しくなるぞ! 明日から……いや今から行動開始だ!」
こういう時の彼の行動は早い。早速彼は自室の物置を漁りはじめた。
「おはよう、父ちゃん!母ちゃん!」
次の日の朝早く、台所で安太郎は両親に元気よく挨拶した。両親は驚いた。珍しく安太郎が朝早く起床したこともそうだったが、何より驚いたのは彼の服装だった。
「お、おはよう。あのあんた何でこんなに早く……いやそれより何で学生服なんて着てるの?」
母親は恐る恐る疑問を口にした。そう、彼は高校時代の制服、学ランを着用していたのだ。昨夜物置を漁って探していたものはこれだ。
「ああ、オレの夢の実現にはこれが必要なんだ。昨日将来のこと考えて決めたことがこれさ!」
両親は困惑した。無職の息子が今更学生服を着て、一体どんな夢を叶えるというのだろうか。
「はぁ? 一体何を寝ぼけたこと言ってんだ!?」
父親が怒鳴る。だか、安太郎は全く動じずにとびきりの笑顔で答えた。
「異世界転移さ! オレの夢は異世界に転移して、ライトノベルの主人公のようになることだ!」
異世界だの転移だのライトノベルだの、訳の分からないワードを並べ立てる我が息子に対して、呆然とする両親二人。
「じゃ、オレ行くところがあるから。ひえー! 遅刻! 遅刻!」
そして彼はテーブルの上に置いてあった食パンを一枚口に咥えると、棒立ちの両親を残して勢いよく家を飛び出していった。
家を飛び出した彼が向かうのは高校。高校時代三年間を過ごした彼の母校へと向かっていた。
「ひえー! 遅刻! 遅刻!」
走りながら彼は時折そんなセリフを口にした。そもそももう学生ではないのだから遅刻もクソもない。高校には彼を待っている人など一人もいないのだ。
「ひえー! 遅刻! 遅刻!」
それでも彼は学校に向けて走り続ける。奇妙なセリフを口にしながら。
二十分後、彼は高校の校門に到着した。平日だから当然本物の学生も大勢いる。学ランを着た安太郎も一応その中に溶け込んでいる。
「……学校着いちゃったな」
安太郎は残念そうに呟く。
「おかしいな、ラノベの中だと通学途中で光に包まれるはずなのに……」
そう、彼のこの一連の奇行は「ドラゴン・ブレイカー」の主人公の行動を完全再現したものである。物語の冒頭で、主人公は登校中に謎の光に包まれ、いつの間にか異世界へと転移していたのだった。
ライトノベル内の行動を真似ていれば、いつか同じように異世界へと転移できるのではないか、昨夜彼はそういう結論を出したのだ。時折口走っていた「ひえー! 遅刻! 遅刻!」というセリフも、登校中の主人公のセリフだ。
バカである。まごうことなき大バカであった。何もかも、人生の全ての選択を間違えているバカ男、それが樽谷安太郎だ。
「ま、最初の1日で結果が出るわけないよな。明日からも頑張ろう!」
安太郎は今日の結果に残念がりながらも、決して諦める気はなかった。彼は変なところで前向きなのだ。その日は大人しく下校した。
その後、彼は無駄な登下校を続けた。普通、こんな無意味なことをしていれば、途中でバカバカしくなってやめるか、あるいは精神に異常をきたすかのどちらかだ。
しかし、不幸なことに彼はこういう明らかに的外れで無意味なことに関しては、並外れた行動力と忍耐力を持っていた。彼は諦めず、学ランを着てひたすら高校と家を行ったり来たりする毎日を送った。
そして、5年の歳月が流れた。