4.鶴の贈り物
「わたしが何をしたっていうの……」
カフェのテーブルに突っ伏すわたしの頭を、ブレンダが優しく撫でてくれた。
「大変だったわね、エステル」
サミュエル様との散々なデート(とすら言えない)を終えてから、およそ一週間後。
諸々の処理を終えたわたしは、ささくれだった心を癒すべく、ブレンダとともに貴族街にある人気のカフェを訪れていた。
ほんとうはこの店、サミュエル様と行く予定だった、とか、もう考えない。考えないったら、考えない!
「エステル、元気をだして。……そのう、サミュエル様からは、その後……?」
わたしは顔を伏せたまま、呻くように言った。
「次の日の夕方、リード家の家令がきたわ。……婚約解消の書類を持って」
「あ、そ、そう……。あの、それは、その……、大変だったわね……」
ええ、大変でしたとも。
商売上の付き合いもあるリード家と、婚約解消となったのだ。お父様にも迷惑をかけてしまった……。
まあ、お父様は「こちらは最初からあまり乗り気ではなかった縁組だから、おまえは気にするな。向こうから是非にと言っておきながら、まったくふざけた話だ。……リード家の代わりに、グルィディ公爵から王室御用達の商会関係者をご紹介いただいたし、かえって良い結果となったよ」とおっしゃっていたけど。
お父様の言葉を信じるなら、この婚約解消によって、わがハーデス家が経済的なダメージを受けることはない。
ただ、この一件は社交界に広く知れ渡ってしまった。
わたしが、アヴェス王国の王子と親密な関係となり、リード子爵家令息との婚約を解消した、と。ハーデス男爵家のエステルは、一目見ただけで美しい天人族の王子に心奪われ、婚約者を捨てたのだ、と。
社交界では、そう噂されているのだ。ひどい。
「親密もなにも、ただストーカーされているだけなのに……」
「そうよね、わたしも昨日、目撃したわ。あなたが訪れた店の上に、とても美しい鶴が舞い降りて……」
「ウソでしょ」
ブレンダの言葉に、わたしは頭を抱えた。
なんだそれは。クレイン様、わたしの行く先々に鶴の姿で現れているのか。
ブレンダはフォローするように続けた。
「あ、でも、お店の人は喜んでいたみたいよ。鶴がお店に舞い降りるなんて、縁起がいいって」
そういう問題じゃない。鶴のストーカーなんて、カンベンしてほしいんですけど。
「クレイン様は、いったい何がしたいのかしら……」
わたしのつぶやきに、
「恩返しがしたいのだ」
背後から美声が聞こえ、わたしはぎょっとして振り返った。
するとそこには、いつもながら後光が差して見えるほど美しい、グルィディ公爵クレイン様が、人間の姿で立っていた。今日は鶴じゃないんだ。
それにしても、いったいいつの間に。
わたしは警戒心もあらわに、クレイン様を見やった。
土曜の午後ということもあり、大通りに面したカフェの屋外席は満員だ。
……今さらだが、クレイン様にストーカーされてるのがわかっているんだから、屋外席ではなく個室を予約しておけばよかった。わたしは閉所恐怖症だから、いつもの癖でつい屋外席を選んでしまったが、失敗だったかもしれない。
クレイン様は、わたしも含めこの場にいる全員の注視を受けてもまったく臆することなく、優雅にわたしの前までやってきた。
「エステル」
座ったままのわたしの前にひざまずき、クレイン様が言った。
「私はそなたに、深い恩義がある。これくらいでその恩を返しきれるとは思わぬが、私の気持ちだ。どうか受け取ってほしい」
そう言って差し出された手には……、何の変哲もない、一通の封筒があった。良かった、反物とかじゃなくて。
安堵したわたしは、懇願するようなクレイン様の眼差しに抗えず、うっかり差し出された封筒を受け取ってしまった。
「……これは、なんでしょうか」
「開けてみてくれ」
クレイン様にうながされ、わたしは恐る恐るその封筒を開けた。すると、その中には二枚のチケットが入っていた。ファリス劇場、と印字されているのがちらりと見える。え、これ……。
「ク、クレイン様、これ……、ウソ! ロシニョール様の! 単独公演のチケット! しかも公演初日!?」
驚愕のあまり、チケットを持つ手が震える。
クレイン様から渡されたチケットは、現在、王都で人気沸騰中のオペラ歌手、ロシニョール様の単独公演(しかも公演初日SS席)のものだったのだ。
「クレイン様、どうやってこれを……! 今回の単独公演は、チケットすべてが抽選だったはずなのに!」
そう。わたしもブレンダも抽選にもれ、涙を呑んだというのに、どうやって。
「ああ、ロシニョールは鶯族だからな。一族用のチケットを融通してもらったのだ」
そ、そうだった、クレイン様は天人族の頂点に立つ、鶴の王子様だった……、最近ストーカーとしか認識していないから忘れていた。
それにしても、
「ロシニョール様の単独公演チケット……!」
わたしは、チケットを手に思わず微笑んだ。抽選に外れて諦めていたから、喜びもひとしおだ。
「ありがとうございます、クレイン様! すっごく嬉しいです!」
「いや……」
クレイン様は照れたように横を向き、スッと立ち上がった。
「喜んでもらえてよかった。……そこにいる、そなたの友人と一緒に行くといい」
「え、わたしと!?」
ブレンダが慌てたようにわたしとクレイン様、両方を見た。
「え、そんな。恐れ多いですわ。エステルと違い、わたしは……、そのう、殿下のお命を助けたことなどないのに」
わたしだって記憶にありませんが。
だがクレイン様は、首を横に振った。
「いや、私はさしてその公演に興味はない。……芸術は、その価値を知る者同士で楽しむのが一番良いのだ。それに、どうせ私は毎年、新年の宴でロシニョールの歌を聴けるしな」
クレイン様、毎年ロシニョール様の歌を聴けるのかあ。いいなあ。
「殿下、本当によろしいのでしょうか?」
ブレンダがおずおずとクレイン様に問いかけた。
「このように高価なチケットをいただいてしまって……」
「かまわぬ。そなたはエステルの良き友のようだ。彼女をよろしく頼む」
クレイン様の言葉に、ブレンダは力強くうなずいた。
「かしこまりました、殿下! お任せください!」