28.つかの間の安らぎ
「エステル、変わりはないか」
「クレイン様!」
王宮生活が始まってから七日目、クレイン様がわたしに会いに来てくれた。
王妃様の私室に控えている時に、クレイン様の来訪が告げられたため、王妃様から許可をいただいて王宮の中庭で会うことになったのだが、
「お会いしたかったです!」
わたしは半泣きでクレイン様に駆け寄った。
まだ一週間しか経っていないというのに、すでにわたしの精神は限界に近かった。
このまま安全が保たれた王宮にいるより、蛇族にさらわれる危険のある屋敷に戻るほうがマシだと思ってしまうほど、わたしは令嬢がたからの嫌がらせに参ってしまっていた。
今まで貴族学院でも比較的平穏に過ごしてきたわたしは、令嬢がたの悪意に慣れていない。
ハーデス家の一人娘として両親に甘やかされて育ってきた弊害というか、貴族としては甘いと言われるような考え方のせいもあるだろう。
宮廷に出仕せず領地経営だけに専心してきたせいで、女同士の足の引っ張り合いや陰湿な嫌がらせに免疫がないのだ。
「エステル?」
クレイン様は驚きつつ、嬉しそうな表情で言った。
「私もそなたに会いたくてたまらなかった。そなたも同じ気持ちでいてくれたのだな」
ああ……、いつもながらクレイン様の美貌が輝いて見える。
単に美しいというだけではない。心からわたしに会えて嬉しいと、クレイン様はそう思ってくださっている。その素直な心が、今のわたしには何よりも嬉しく感じられる。
王宮の中庭という人目のある場所にもかかわらず、クレイン様はわたしを引き寄せて躊躇なく抱きしめた。わたしも、大人しくクレイン様の腕の中に収まった。
いつもなら人目を気にして逃げてしまったかもしれないが、令嬢がたの嫌がらせに参ってしまっている今は、クレイン様の力強い腕に守られていたかった。
「クレイン様……、わたし、いつ頃屋敷に戻れますか?」
「エステル?」
「まだ一週間しか経ってないのはわかっています。でもわたし、もう家に帰りたいんです。王宮はわたしに合いません」
合わないというか、はっきり言えばいじめられているから帰りたいのだが、そんな事を言えばクレイン様を心配させてしまうだろう。
本当ならこんな風に弱音を吐かず、クレイン様が迎えにきてくださるまで待っているべきだとわかっている。だが、一週間ぶりに会えたクレイン様の姿に、つい心の声がぽろりとこぼれてしまった。
「そうか……。そういえばエステルは、学院卒業後はずっとハーデス家で跡継ぎとして仕事を学んでいたのだったな。それでは宮廷が肌に合わぬのも無理からぬ話だ。だが……」
クレイン様は困ったように言いよどんだ。
「まだ帰るのは難しいでしょうか?」
「うむ、……すまない。ズメイ王国からあの王子……、元王子か、その引き渡しを要求されていてな。その前に決着をつけたいと考えていたのだが……」
ズメイ王国は強大な軍事力を誇る蛇獣人の国だ。アヴェス王国も不可侵条約を結んだばかりのズメイ王国と、関係をこじれさせたくはないだろう。
「……あの、やっぱり大丈夫です。わがままを言って申し訳ありませんでした」
「しかし、エステルは屋敷に帰りたいのだろう? 王宮は肌に合わぬと」
わたしはぐっと唇を噛んた。
合わぬどころの話ではない。できることなら、今すぐ王宮から逃げ出したい。けど……。
「……すこし寂しくなってしまっただけです。両親とこんなに長く離れて暮らしたのは初めてですから。クレイン様にお会いできて、ちょっと落ち着きました。無理を言ってすみませんでした」
「エステル……」
クレイン様はわたしの肩に頭をもたせかけ、小さな声で言った。
「すまない」
「え?」
思いもよらない謝罪に、わたしは目を瞬かせた。
「どうしてクレイン様が謝られるのですか?」
「……そなたが屋敷に戻れぬのは、私のせいだ。今の私では、あの蛇と渡り合えぬ。あと少し時間があれば力も戻るのだが……」
申し訳なさそうなクレイン様に、わたしは驚いた。
「え、力って……、クレイン様、どこかお悪いのですか?」
「いや、そういう訳ではない。……その、海月族の虹真珠を手に入れる際、交換条件として私の尾羽を要求されてな。尾羽は力を制御する源ゆえ、今は平時の半分ほどの力しか出せぬのだ」
「そんな」
わたしは息を呑んだ。
海月族の虹真珠は、わたしが考えなしにクレイン様に突きつけた要求だ。
「申し訳ありません! わたしのせいでそんなことに……!」
知らなかったでは済まされない。わたしの無茶な要求のせいでクレイン様は……。
「エステルのせいではない!」
クレイン様は慌てたように言った。
「そなたに結納品を要求されて、私がどれほど嬉しかったことか! そなたが気にする必要など、まったくない!」
クレイン様の言葉を聞きながら、わたしは覚悟を決めた。
……もう、何があっても弱音は吐かない。
令嬢がたの嫌がらせがエスカレートしても、家に帰りたいなんて絶対に言わない。
耐えるんだ、わたし!




