[二部四章]黒い葵
4章スタートです。
「こんにちは、私に恋い焦がれる人。」
黒い彼女はそう言って笑う。
きっと彼女と、葵と同じ微笑み。
けれど、葵はあんな風に笑えない。
だから、彼女はきっと葵じゃない。
『誰だ、君は。まるで正反対じゃないか。』
僕が警戒心丸出しで言うと、彼女はくすくす笑って言った。
「でも私も葵だよ。そう、あれも、私も、同じく天音 葵。あの子が眠ってて暇だから、ちょっとだけ出てきたんだ。君の事が気になってさ、っと。」
そう言いつつ僕の目の前に軽々と降り立つと、見上げてくる。
『‥‥‥‥‥君がいるせいで葵がぐらついている状態だってこと?』
そう問いかけると、黒い彼女はきょとんとした後にクスクス笑う。
「逆よ、逆。私はこれでも崩壊を抑える側。考えてもみなさいな、心の中が荒れた小石一つないような荒野、でも広さは他の箱庭なんかと比べ物にならないくらい広くってさ。退屈だなぁ、なんて思ってたら急に崩壊しかけるんだもの。ま、崩壊したら乗っ取ったりはするかもね?」
何だろうか、同じ存在という割にはちょっとした不快感を感じる。
そう、そうだ、なんだか“歪”なんだ。
だからこそ僕はあまりこの彼女は好きになれそうにないななんて思いながら問いかけてみる。
『で、なんで僕に急に会いに来たの?』
すると、彼女はとても楽し気に、歌うように答える。
「今日は様子見、どんな子か気になったからこの目で確かめてみたくなっただけ。
うんうん、平々凡々に見えて中身は、っと。‥‥‥うっわ見なきゃよかった。よくこれで人間でいられるねぇ。ほら、良く夢とか見たりしない?キミ。
しないならすんごいなぁ、君のお父さん。」
勝手に観察されて、勝手に納得される。なんだかとても不愉快だ。
『特に何もなかったと思うけど、なんで?』
そう問いかけると、口元に手を当ててクスクス笑い始める。
一体何なんだ、この存在は。
「ふふふふ、じゃあお父様が過保護なのね?可愛らしい、良かった、なら貴方が貴方のままでいてくれた方がこの子の為になりそう。どちらにしようか悩んでいたんだもの。」
どちらにしようか悩んでいた。
なんだろう、すごく不安になる言葉だ。
『どういうこと?』
思わず不機嫌そうな声がそのまま出てしまった。
けれど彼女は気分を害することなく、むしろ楽しそうに笑う。
「んー?ふふふ、教えてほしければ私が喜びそうなことしてみてよ、ねぇ、文人?」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥その呼び方は、彼女に、葵にしてもらいたかったはずの呼び名だ。
それを取られたことが、取られたと感じることが、これ以上ないほど悔しいし憎たらしい。
『喜びそうなことぉ?』
そんな彼女の喜びそうなことなんかしてやりたくないのが本音だ。
けれど彼女はとても楽し気に笑う。
「うん、そう。喜びそうなこと。」
『‥‥‥それは、“葵”が喜びそうな事?』
そう問いかけると、黒い彼女は笑って首をかしげる。
「どーだろ、一緒かもだし、別かもね?」
思わせぶりでどこか人を個馬鹿にしたような態度。いや、実際に僕の事を馬鹿にしているんだろう。彼女は。
どうしてかはおいておいて、そう分かってしまうのが何だか悔しい。
『僕には愛の言葉しか囁けないんだけど。』
「あいのことば?」
こてんと小首をかしげて不思議そうな顔をする彼女。
それからぱあっと表情を明るくして、ふふっと笑う。
「あぁ、あの綺麗な言葉ね?あれならすごくすごくうれしいわ。けれど良いの?私は私だけれど私ではないのよ。」
全く、分かっているなら察してほしいところだ。
『そうだよ、だから言いたくないんだ。』
そう答えると、彼女はしばらく考えるそぶりを見せた後、にっこりと微笑んで僕にしゃがみ込むようにとジェスチャーをする。
(何をする気?)
困惑しつつも従うと、身に纏ったストールをグイっと引っ張られて無防備にさらされた首筋に噛みつかれる。
『ん~、?』
特に抵抗する理由もない。けれどなぜ彼女がこの行動に出たのかは分からない。
暫くそのままじっとしていると、いくらか吸血?をした後にとてもうれしそうに微笑んで彼女が言う。
「うん、満足。」
ニコニコ笑顔でそう言われて、僕は困惑しつつも尋ねる。
『これが君の喜ぶことかい?』
そう問いかけると、彼女はこくりと頷く。
「えぇ、星の精。今回であったあの異形にちょっと性質が引っ張られてね。“葵”が気になってたみたいだったから先に味わせてもらっちゃった。ふふ。甘くってとっても美味しいのね。
‥‥‥‥‥明日以降、その傷を見たあの子はなんて言うかしら。」
無邪気なのか、そうじゃないのか掴みづらい。つまり、とてもやりづらい。
『おいしくなさそうって言われたのに、変なの。って感じ。』
そう言うと、きょとんとした顔をした後彼女は笑った。
「おいしそうかどうか、ね。それは見た目の問題、味とは別の物でしょう?
実際は美味しかったわ。それだけの事よ。」
『最悪なんだけど?』
そう言うと、彼女はニヤリとした笑みを浮かべて言った
「何が最悪なの?私だったこと?吸血行為それ自体?」
当たり前の質問をしないでほしい。
『君だったことに決まってるじゃないか。ってか崩壊しかけてるのは君がそうやって好き勝手するからじゃないの?食い止める側とか自称してたけどさ。』
何だか信用ならない彼女にそう問いかける。
すると、彼女はへらりと笑った
「生憎と嘘じゃないわよ。残念だけど、私がこうやって活動していることは崩壊に何の関係もないもの。」
‥‥‥‥信用していいものか、彼女の言葉は非常に迷う。というか、迷う様に話しているように感じる。
『‥‥‥‥‥葵は一人にはならないの?』
そう問いかけると、ふむ、といった感じで腕を組んでから彼女は答えた。
「ならない、というよりなれない、が正解ね。
仕方がないから名乗りを上げるけれど、私は名無しのUnknown。葵の内面世界、つまりは心の中の管理者。だから、彼女が我慢すればするほどそのフィードバックは私に来る。さっきみたいにね。どう?私の立ち位置は理解してもらえたかしら。」
そう問いかけてくる彼女、Unknown。
ただ、そうなると少し疑問が残る。
『なるほどね、‥‥‥‥で、何で葵は我慢してるの?』
そう問いかけると、とてもつまらなさそうな顔をしてUnknownは答える。
「痛いのは好きじゃないだろう、とか、そんな事でもいうんじゃないかしら?知ったことじゃないけれど。
あーあ、もういっそあなたの欲求全部ぶつけてみたらいいのに。そう思わない?あの子の心の中が今どうなってるか分かるかしら?」
僕は黙ってUnknownを見つめてから答える。
『分からないよ。さっき荒廃がどうのとか言ってたけど。』
「ならもう一度教えてあげるけど。荒廃した荒野、小石一つ転がっていないような“なにもない”つまらない世界。私はそれをただひたすら観測する役割を押し付けられて、その私の観測により崩壊は防がれていた。‥‥‥正直もう大分ガタが来ているけれど。
あぁ、そうだわ。‥‥‥‥‥一つ、これを教えておかないとフェアじゃないから教えておいてあげるわ。
“母親の事”。だいぶぼかした内容は、あの子知っているわよ。」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
『——————————父さんだね?』
「答えないでおくわ。だって聞いたのはあの子だもの。
それに対しての反応が知りたいのなら直接聞きなさいな。そろそろ起きる頃だから。」
『もう少しだけ、話を聞いてもいいかい。』
僕は、そうUnknownへと問いかける。
Unknownは、ぱちくりと目を瞬かせてからにっこりと微笑んで頷いた。
「なら、もう少しだけね。」
さて、またしばらく一日一話更新が続きます、ご容赦くださいな