[二部二章]満月の夜、満ちる、渇望する。
過去回想回です。
ある満月の夜。
あの日、“それ”は唐突に現れた。
唐突に現れて、“全て”を奪って行った。
「逃げて!ここから出ちゃだめよ、約束。」
その日は七歳の誕生日の事だった。
唐突に、家の壁を壊して異形が現れた。
人ならざるそれは、家の壁を壊して、急に現れた。
そして、あっという間に父を引き裂いた。
まるでおもちゃみたいに。
けたけたと嗤うそれをただ茫然と見つめていた私を、母はクローゼットの中に押し込んだ。
背後からやってくる“死”そのものを体現したかのような存在の事など気にせず、私に対して安心させるように微笑んで見せた。
そして、閉じられた扉の向こう。
悲鳴と、何かが引き裂かれるような音がした。
「ひぅっ、」
悲鳴を飲みこむ。
そして、隙間から外をのぞき込んだ。
のぞき込んでしまった。
そこには、あの異形と、引き裂かれた“家族”だったものの残骸が散らばっていて。
異形は、その残骸から腸を取り出して遊んでいた。
高笑いをしながら、無邪気に。
私は、呆然とした。
その後に浮かんだ感情は、怒り。
自分自身への強い怒り。
何もできない弱い自分への怒り
そして、悔しさ。悲しさ、無力感。
気が付けば、唇から血が出るほど強く唇を噛みしめていた。
気が付けば、爪が食い込むほど拳を握りしめていた。
『‥‥‥‥‥‥殺して、やりたい』
けれど、それは七歳の少女にはあまりにも無理な話で。
『悔しい、悔しい‥‥‥‥‥っ‼‼‼‼‼‼‼』
家族を弄ぶ怪物を殺すこともできない。
家族をもう守ることもできない。
むしろ、私が守られて。
何も、本当に何もできない自分が何より嫌だった。
だから、祈った。力が欲しいと
だから、願った。復讐したいと
そんな刹那。
「そんなに力が欲しいんだ?」
声が、頭の中で聞こえた。
「ねぇ、君。力がそんなに欲しいの?本気で?」
『‥‥‥‥ほしい。うちの家族を殺したあの異形を。いや、それだけやない。他の異形も全部、怪異も妖怪も全部全部殺すだけの力が欲しい‥‥‥‥‥‼‼‼‼‼‼』
彼女は強く、強くその声に応えた。
「ふふ、じゃあ、そのためには何をくれるんだい?」
声は、耳元で囁くように問いかけてくる。
己の復讐にどこまで賭けられるのか。
悪魔のような、そんな囁き。
『‥‥‥‥肉体も、魂もやらん。自我もな。』
声が、嗤ったような気がした。
「へぇ、それはとてもとても強欲なことで。それでもなお。僕にとって何の意味もない取引だと分かっていても、それでもなお、君は異形を殺すための力が欲しいのかい?」
『勿論。うちにとってはそれが意味になる。やから、それで充分やねん。』
勿論、身の丈に合わない願いであることは分かっている。
けれど、この復讐に燃え上がる心を、放ってはおけなかった。
声は嗤う。嗤いながら、告げる。
「あっはっはっはっは!!そう、そうか、そうかい!それでこそ、それでこそ、だよ!あぁ、久方ぶりの制約者だ、あっはっはっはっはっはっは!!!」
「ならばきっみには一つの枷をやろう。ふふふ、それでもいいなら力をえげよう。飲むかい?」
貴女に選択肢は残されていなかった。
ゆえに、故に答えは一つ。
『肉体と魂以外なら、何でもええわ!‥‥‥‥代わりに、相応の力をよこせ!』
「あは、あはははははは!!いいよ、じゃあ力をあげよう。ふふ、相応の力、ねぇ。ふふふ、悪いけどこれは相談なんかじゃあない。一方的な制約だ。君に選択の余地なんか初めから無かったんだけどねぇ!」
『チッ、悪魔風情が。図に乗るなよ。』
すると、声はとても楽しそうに嗤う。
「ふふ、そりゃ、悪魔だからねぇ。一時の感情で欲しいものを手放さなくてよかったねぇ、本当に。」
とても、とても愉し気に嗤う。
「あぁ、あぁ可愛らしい。だから人間は愛らしい!愛おしい、愛しているともさ!あぁ、僕は人間を愛している!ふふふふ、じゃあ、君に力をあげよう。異形を否定するだけの身体能力をあげよう。」
『‥‥‥‥‥‥‥』
「あはははははは!僕の事も殺してやりたいって顔だ、いいさいいさ、制約はここに成った!
あぁ、君の行く末を見守ってやろうじゃあないか。
無論、制約は死ぬまで続くものだ。ふふ、それが嫌ならこの僕を探し出して殺してでもみるものだね。それができればの話だけど、さ!」
そう言って、声は遠ざかって行く。
そして、身体に満ちる大きな力を感じる。
私は、迷わずクローゼットから飛び出して、異形をそのこぶしで思い切り“殴りつけた”。
異形はニタリと嗤って、弱者たる私を殺そうとして、そのこぶしの行く末を見た。
「??????」
異形は、意味が分からないとでも言いたげに、その“腸の飛び出た身体”を見る。
そして、嗤った。
嗤いながら、自らの腸で遊び始める異形。
きゃっきゃと、無邪気な子供のように。
自らの命を散らしながら、異形は嗤う。
そして、急に糸が切れた人形のように倒れたまま、動かなくなる。
「初めての力はどうだい?」
耳元で亜の悪魔のささやきが聞こえる。
けれど、その声は私の耳には届いていなかった。
嗤う、嗤う。
泣きながら、嗤う。私は、嗤う。
あぁ、これが力。
これが、異形殺し。
「代わりに君からは、“大地”を奪った。‥‥‥君がその足、一本でも大地に触れようものなら、激痛が走るだろうさ。」
悪魔の声が、聞こえた。
『あぁ、あぁ、それでもいい、それでもいい!この力があれば!』
そうして私は嗤う。嗤う。嗤う。
壊れたように笑う彼女の行く末はいばらの道。それでも、それでも得たかったものが彼女にはあった。