[二部一章]初めての異形
三話目です。
「‥‥‥‥‥手。繋いでおく?」
そう言って彼女はその小さな手を出してきた。
『‥‥‥‥‥、いいの?』
つい問いかけてしまう。
先程まで僕に対して警戒していたような気がしたのだけれど。
「‥‥‥また、転んで、手当てするの、面倒。」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥非常に不謹慎だけれど。転んでよかった。
『ふふ、ありがとう。じゃあ、お願いするよ。』
そう言って手を差し出す。
彼女は一瞬ぴくりと反応したような気がするけれど、きっと気のせいだろう。
僕は彼女の小さくて可愛らしい手を離さないようにしっかりと繋ぐと、見えているか分からないけれど彼女に向かって微笑んで見せた。
『じゃあ、よろしくね。』
「‥‥‥ん。」
彼女は短く返事を返すと、そのまま歩き始める。
けれど、足元をよく見てみると一つのことが分かった。
恐らく、彼女は僕に気を使って、危ない場所は選ばないようにして歩いてくれている。
ただ、それだけ。
本当にそれだけのことが、すごく、うれしかった。
けれど、僕はいつの間にか忘れてしまっていたんだ。
いつの間にか、もう一人の同行者の姿がない事に。
そのまま歩き続けると、段々と道が整備されているのか、歩きやすい道のりになってきた。
しかし、どこからともなく羽音が聞こえる気がする。
蚊や山に住む虫の類ならいいけれど、それにしては羽音が大きい気がする。
『ねぇ、なんか聞こえない?』
「うん。聞こえるけど?」
しれッと言われてしまわれて、反応が一瞬遅れる。
『何の羽音か分かったりとか』
「分かるけど君には関係ないからここからは目を閉じて。」
食い気味にそう言われ、僕は仕方なく瞳を閉じる。
けれど、これはこれで拷問のようだ。彼女の柔らかな手の感触だけが余計に鮮明に感じられる。
「発砲するけど気にしないで」
唐突に彼女にそう言われ、咄嗟に頷いた瞬間に疑問に思った。
(今なんて?)
タァン!
と、軽い発砲音が鳴り響く。
『え、待って今なんて、銃?え?銃でも持ってるの?銃刀法って』
「知らない五月蠅い黙って耳塞いで手繋いで。」
『‥‥‥‥‥‥はい。』
疑問は多々ある。非常に疑問に思う点がある。
けれど、彼女に言われた最後の言葉。
“手繋いでて”。この言葉だけで、僕は何も言うことができなくなってしまった。
情けないことかもしれないけれど考えても見てほしい。一目ぼれした好きな子に、傷の手当てをしてもらって、しかも手を繋いでいてくれて。それで、それを念押しされて。
それで喜ばない男がいるだろうか。いや。正直断言できるけどいないと思う。
その後も何度か発砲音は鳴り響く。
暫くしてから、彼女が声をかけてきた。
「目、もう開けていい。」
そう言われて目を開けると、目の前には巨大な神殿のようなものがそびえたっていた。
『こんな森の中に、神殿?』
「そう。ここがこのきさらぎ駅の原因。‥‥‥‥外で待つことをお勧めするけど。」
真っすぐに見つめられて、僕は首を横に振った。
『きっと、足手まといになるだろうけど。ついて行きたい。君の力になれることがあったら嬉しいから。』
そう言うと、彼女は一瞬面くらったかのように瞳をぱちくりとさせてから、不敵に微笑んだ。
「じゃあ覚悟してもらわないとね。」
『‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥うん。』
その微笑みが、あまりにも可憐で、美しくて。
もう、これが俗にいうぞっこん、というやつなのだろうか。
けれども仕方ないとも思う。
こんな彼女に惚れない方が、おかしいと思ってしまえる程に。彼女は魅力的だ。
「神殿の中では今までと一緒じゃいられない。手を繋ぐことはできない。けれど、決して私から離れてはいけない。一瞬でも離れたら死ぬと思いなさい。」
そう言われて、僕は激しくうなずく。
今までの彼女の行動的に、嘘であってほしいけれどこの言葉は本気だろうから。
そして、僕らは神殿の中へと歩みを進める。
彼女の手を握っていられないのは非常に残念だけれど、それだけ彼女自身にも危険なことが起きる可能性が高いということだろう。だったら、放ってはおけない。
内部は大理石よりもつやつやとして、それ自体が発光しているかのような材質の壁、床、天井で構成されていた。
蛍光灯の類は見つけられないのに、明るい。
『ここは‥‥‥不思議な場所だね。』
「そりゃ、外からの来訪者の技術だもの。当たり前でしょう。」
なんだか材質のせいか壁に引き寄せられそうになって、彼女の声で正気に戻る。
『外からの来訪者?』
「えぇ。‥‥‥‥今まで影見てなかったの?一度も?」
『え、あ、うん。そうだね、見てないかも。』
質問されると、意外な回答が返ってきて慌てて答える。
影、影。確かに、一度も確認していない。というか、彼女の事しか見ていなかった。
「呆れた。‥‥‥‥‥‥ま、それはそれで幸せかもね。ほら、どっちに進むの?」
それは一体どういうことかと問いかけようとして、その壁を見て黙った。
行く先は道が二つに分かれていて、片方の壁には巨大な何かがひっかいたかのようなえぐれたひっかき傷?があり、もう片方の道の壁は綺麗だった。
けれど、羽音がしっかりと聞こえる。先程の羽音が嘘でなんかないことを、この場所は証明している。
『はは、そんなの、任せちゃっていいの?』
「どちらにせよ同じことだからね。さぁ、選んで。」
そう言われて、僕は悩む。
けれど、好奇心が抑えきれない。
『羽音のする方へ行こう。なんだか、嫌な予感はするけれど、何でだろうね。“どちらもいかないといけない気がする”から、だったら安全そうな方は後回しだ。』
「‥‥‥‥‥良いじゃない。」
思うままを口にすると、彼女は微笑んだ。
つい魅入られそうになるけれど、それは後まわし。(でも目にはしっかりと焼き付けた。)
僕らは羽音のする方へと歩みを進めた。
『思っているより、中が広いね。』
「そうね。けれど、そんなこと気にしていたらこの先生きていけないから。」
そう言われて、つい黙ってしまう。
そして、行く先に扉が見えた。
『あの先、だよね。』
「えぇ。ここまで来てから引き返してもいいくらいに貴方は勇気を示した。さぁ、どうするの?」
僕は黙った。
けれど、その沈黙は一瞬だけだ。
『行こう。‥‥‥‥‥刀があれば、僕も戦えたんだけど。』
少々家柄的に習っている刀の扱いについて考えながら、つい口に出してしまう。
けれど、ここに刀はない。もし“何か”、彼女が発砲した何者かに出くわしたら僕はただの役立たずだ。
「‥‥‥‥‥?刀があればいいの?」
『うん。ちょっと習っててね。けどそんなものここにはないから』
そう言いつつ彼女の手元を見る。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥彼女はマジシャンか何かなのだろうか。
ひと振りの刀が彼女の手元にはあった。
鞘に入っている状態でも分かる。きっとこれは良い逸品だ。
『‥‥‥‥‥良いのかい?』
「戦う覚悟があるなら。」
ふぅ、と深呼吸を一つ。
そして、彼女から差し出された刀を手に取る。
なんでだろうか。非常に手に馴染むその刀は、僕の実力を遠慮なく発揮できそうだった。
『‥‥‥‥ありがとう。じゃあ、行こうか。』
そう言って扉を開ける。
そこにいたのは大量の巨大なサソリのような羽虫たち。しかし、宋のあたりがやたらと発達していてこの世ならざる空気を醸し出している。
異形。そう、こいつらは異形だと、脳が叫んでいるのを感じる。
逃げてもよいのだと。
それも仕方のないことだと、脳は叫ぶ。
けれどそれは今の僕にとって雑音でしかなかった。
だって、隣にいる彼女は“奴ら”を真っすぐ見据えている。
敵として、交戦しようと、見据えている。
だったらそこは一人の男として意地を見せる時だ。
それに。
彼女から借り受けた刀が、戦いたがっているのを感じる。
だから、僕は刀を構える。
『いつでもいけるよ。』
「‥‥‥‥‥、そう。物怖じしないんだね。じゃあ、お互い巻き込まないようにやろう。」
彼女はそう不敵に笑って虫たちの中に飛び込んでいった。
先程聞いた発砲音、それから、金属の音。
彼女の戦いを見たいけれど、それにはこいつらが邪魔だ。
『よし。‥‥‥‥‥寿文人。お前たちの事は知らないけれど、今からおまえたちを斬る者の名だ。覚えておくといい。』
そして刀を振るう。
彼女から受け取ったこの刀は、僕が思う以上の働きをする。
僕が思った通りの筋を描き、羽虫たちを斬り裂く。
そして、絶命してゆく羽虫たち。
こいつらの名前は知らないけれど、異形であるなら斬っても問題ないだろう。
そうして十分も経った頃、彼女の戦う姿が目に入った。
二丁の、白と黒の拳銃で羽虫を撃ち抜いたかと思えば、なぜかその拳銃がナイフに変形して今度は別の個体を斬り裂く。
まるで踊るように、戦場となったこの場を舞う彼女は、これ以上ないほどに美しかった。
『ははっ』
思わず笑みが零れる。
今まで、こんなに楽しく刀を振るったことがあっただろうか。
いや、無い。
こんなに可憐な、一目惚れした少女と共に刀を振るい、戦う。
これ以上の喜びが今までにあっただろうか。
(あるわけないんだなぁ、これが。)
片方は可憐に戦場を舞い、片方は凄惨に、けれど真っすぐに刀を振るう。
その時間は30分にも満たない短い時間だった。
けれど、最後の一匹の断末魔のような音が聞こえた直後。
「やるじゃない、刀に振り回されている様子もなかったし。」
『うん。すごく振るい易かった。銘はあるの?』
「無い。どっかで拾ったものだから。」
『そっか。』
そう言って僕が刀を差し出すと、彼女は不思議そうな顔をした。
『あれ、返さないとと思ったんだけど。』
「‥‥‥‥‥いいや、あげる。その方がきっとその刀も喜ぶ。」
そう言って笑う彼女の笑顔は、今までで一番かわいくて。
『そ、そう?‥‥‥えっと、じゃあ、貰うね。その、ありがとう。』
しどろもどろになりながらもお礼を言って刀を背負う。
その間に彼女は既に入ってきた扉の方へ向かっていた。
『えっと、つぎはどこへ?』
「もう一方。ここにはミ=ゴ‥‥‥えっと、さっきの化け物しかいなかったから。」
そう言ってこちらの返事を待たずに外へ向かってしまう。
慌てて扉の外に出ると、彼女は待っていてくれたみたいで、少しだけ安心した。
「じゃ、行こうか。」
彼女はそう言って先程の道を戻り、二つに分かれたもう一方の道へと進む。
『あのさ、聞いていいか分からないけど‥‥‥‥あの爪痕?って何だったんだろう。』
「トラップ。ミ=ゴ達の方へ誘う為のね。」
『敢えてそっちの道に行ったの?』
「羽音、五月蠅かったから。」
‥‥‥‥‥‥‥‥なんともまぁ、異形ミ=ゴにとっては悲しい回答だ。
そう思いつつ、今度はおいて行かれないようにと先を急ぐ。
また、先には扉があり、扉の向こうからは羽音が聞こえる。
けれども先程よりも大分静かな羽音だ。
『行くの?』
「勿論。」
そう言って彼女は扉を開ける。
すると、そこには先程の異形ミ=ゴに捕らわれた、車掌室にいた女性がいた。
「た、助けてください!いつの間にか、迷い込んでしまって、」
『いつの間に‥‥‥‥‥えっと、?』
そっと彼女の方を見る。
彼女は心底どうでもよさそうに女性を捕らえるミ=ゴをスルーして、部屋の中を見渡している。
『助けないと、じゃないの?』
「助けるべき相手ならね。」
そう言って彼女は中央に置かれたスイッチを見つけた。
「けれど、ほら、影を見てごらんよ。」
そう言われてミ=ゴと捕らえられた女性の影を見る。
そこにあったのは、ミ=ゴなんて比にならないくらいの異形の姿。
人型のようでいて、違うような。
常に形の変わり続ける、触手でできた人型の影がそこにはあった。
『この女性も、異形、』
「うん。だから殺す。」
そう言って、辺りを散策し終えたらしい彼女が戻ってきて、黒い拳銃を女性に向ける。
「いや、殺さないで、殺さないで‼」
泣き叫ぶ女性。どうやら僕に向かってやたらと声をかけてきたのは、きっと近寄った僕を襲うためだったんだろうと思う。
けれども仕方がない。
確かに女性は非常に魅力的だけれど。それ以上に彼女に僕は一目惚れをしてしまったのだから。
僕に懇願しても無駄だと悟ったのか、女性は泣き叫ぶのをやめて言った。
「そのスイッチを押したら、ここは倒壊するわよ、あなた達も巻き込まれて死ぬんじゃないかしら」
ミ=ゴはまるで敬うように女性を降ろすと、どこかへと飛び去って行った。
「うん、だから何?」
しかし、彼女は特に意に介した様子がない。
僕はもう、彼女に付いて行く。それ以外の事を考えるリソースなんてないのだからもっと関係がない。
「‥‥‥‥‥そう。けれど、折角集めた従者たちをあんなに殺してくれたからには、お説教の一つも必要よね、ねぇ、私に靡かなかった貴方、貴方は分かっていて私の事を見ようとしなかったの?」
『え?僕?いや。初めからキミに対しては何の感情も抱いてはいないよ。』
「嘘でしょう?!人間を魅了するためにこんな姿を取ったのに、」
『生憎と、もっと美しい人を僕は知っているからね。』
女性、いや。女性の姿を取った異形は悔しそうに表情を歪める。ほら、こんなにも醜い。
けれど彼女は違う。気高くて、華奢で、美しくて。
だから僕は彼女に一目惚れしたんだ。
「憎たらしい、本当に。計画も、全部ぶち壊してくれて。このままじゃいられない、ならば、」
女性の姿が異様に膨らんで、はち切れそうになる。
けれどその前に。
「うん。長口上お疲れ様。」
タン、と。
軽い発砲音がして、女性の頭部が吹き飛んだ。
「何を、一部を破壊したくらいで、?あれ、再生が。」
女性をかたどった異形は焦ったように自らの身体をまさぐる。
頭のない人間が身体をまさぐるのってなんだかシュールだと思いながら僕はその光景を見守る。
「再生なんかさせるわけないでしょ、ニャルラトホテプ。ちゃんと飛ばされた頭部見た?」
そう言われて、つられて僕も吹き飛んだ頭部を見る。
凄惨な状態の頭部はもう人間としての形をとってはおらず、脈打つ“何か”に、きらきらと光るプリズム片のようなものが突き刺さっているのが見えた。
「な、再生封じ、なんで、なんでなんでなんで‼‼‼」
『あれは何?』
「再生封じの魔力を込めた結晶。魔力塊。」
もがき苦しむ異形をよそに、僕は彼女に問いかけた。
意味はよく分からなかったけれど、どうやらあの異形はあの状態から回復することはもうないようだ。
「じゃあ、スイッチ押すけど。」
『脱出手段は?』
「んー‥‥‥‥‥‥目、閉じてて」
それならば、とすぐさま僕は目を閉じる。
すると、彼女がボタンを押したのか、建物全体が揺れて崩れる気配がする。
このまま走って出口までは間に合わないだろう。
そう思いながら僕は指示通り瞳を閉じている。
すると、軽い何かが衝突してくるような感覚がした。
「それじゃ、行くよ。」
あまりにも近いその声に、僕は思い至ってしまった。
『ちょ、まさか抱きつい——————』
「舌噛むよ」
そう言われた直後、浮遊感が全身を襲った。
『ちょ、わ、わわわ、』
慌てて暖かくてやわらかな何か、そうきっと何かを僕は抱きしめる。
「くすぐったい。あと、正気でいたいなら目を閉じてた方が良いけど、景色はいいよ。」
そう言われて、ちょっとした好奇心で目を開ける。
すると、そこは澄んだ夜空の上だった。
小さな彼女はどうやってか僕を抱きしめて、背中に真っ黒な影の翼を生やしている。
「あ、目開けた。」
『‥‥‥‥‥‥綺麗だね、君は本当に。』
「え。」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥しまった。本音が漏れてしまった。
三話分くらいの文章量になりました‥‥‥‥‥‥
いやね、つい筆が乗るとこうなるんですよ‥‥‥‥‥‥
明日は少し抑え‥‥‥‥‥られるかなぁ。