[六章]私が私である為に。【Ⅴ話】
5話目です。回想回です。
「————————がんばれ、葵ちゃん、未希ちゃん。」
そう、誰かに言われて背中を押された。
そして、今までいた“箱庭”から落ちる。
ずっとずっと、落ちてゆく。
(どうして、あそこから出ることになったんだっけ。)
段々と記憶が剥がれ落ちてゆく。
背中を押したあの人の顔も、声も、全てが消えてゆく。
(なんで、なんで、?)
どうしてだろうか。涙が零れる。
そして、いつか来る落下の衝撃に思い至り、ぐっと身を固くした直後。
ふわり、と、芝生のような場所に着地した。
辺りを見回すと、そこはまだ空の上。
雲の中に、地面がある。
『ここ、どこ‥‥‥‥?』
辺りを見渡し、おぼつかない足取りでとてとてと辺りを歩く。
幼児のように、いや、幼児のままの少女は、訳も分からず辺りを歩いて回る。
『だれか、いないの?』
そう言いながら歩き回ると、ふと一人の人物が現れた。
前髪は金髪、後ろ髪は黒。赤い瞳に、竜と呼ばれる異形の鱗が顔の一部を覆っている。
「どうした、迷子か」
その人物の物、かどうかは分からない、機械的な音が聞こえる。
少女は戸惑って、その人物を見上げる。
『だぁれ、?』
見たこともない人。けれど、落ちる途中で記憶をなくした彼女にとっては初めての“人”だった。
「俺は若狭。落ちてきたお前を主様が見つけてな。保護しろと言われたからここに来た。」
『わかさ、ぬしさま、?』
訳が分からないといった様子で少女は小首をかしげる。
若狭と名乗った人物はそれこそ戸惑ったように、周囲をふよふよと浮いている機械に向かって声をかけた。
「主様、この少女は‥‥‥‥?」
その機械を見つめる少女。なんだろう。あれは。
そう思っていると、機械からホログラムのように美しい少年の姿が映し出された。
『きれい、』
思ったことを口にする少女。
すると、若狭と名乗った人物と映し出された少年は一緒になって目を丸くした後、少年の映像が微笑んだ。
「素直で可愛らしいものだ。そなた、名前は分かるか?」
可愛い。素直。言っていることの意味はあまり分からなかった。けれど、名前を聞かれて少女は名乗る
『あおい。‥‥‥天音 葵‥‥‥‥‥‥‥たぶん?』
その答えを聞いて満足そうに微笑む少年の映像。
「そう。じゃあ葵、ここまではどうやってここに来たか覚えているか?自分が何者か、分かるか。」
『?‥‥‥‥‥どう?』
言葉もあまり理解していない様子の少女に、少年の映像は微笑みかける。
「そうか。分からないのか。ならば若狭、この少女に、自衛手段を教えてあげなさい。でないと、地上で何が起きてしまうか分からない。」
「分かりました、主様。けれどこの少女にどこまで教えれば‥‥‥」
「“反射的に防衛できるまで”。良いな?」
「それはとても‥‥‥‥‥いえ、分かりました、主様。」
二人のお話について行けない少女は首をかしげる。
何のお話をしているのだろうか。
「ふふ、怖がらなくてもいい。かわいい子だな。僕はアース・プラネット。この舟を取り仕切るものだ。」
『あーす、ぷらねっと。』
「そう、上手。それから、このお兄さんはそなたをこれから育ててくれる大切なお兄さん。名前は若狭。」
『‥‥‥‥おにーさん、わかさ?』
こくりと頷く青年。機械から
「可愛いな」
と、声がした。
こてんと小首をかしげる少女に、青年は慌てた様子で駆け寄りながら言う。
「な、なんでもない」
そう言った直後にハッとして自身の口許を押さえる青年。しかし少女は何だろう?という表情を隠さない。
「魅了が効いていないのか。まぁ、いい。これからいろいろと厳しいこともする。よろしくな。」
機械からまた声がする。
純真無垢な少女は戸惑う。
『どっちが、どっち?えっと、わかさ。』
一瞬戸惑った様子を見せてから、機械が話し始める。
「一身上の都合により、この機械から俺の声は出力される。だから、同じ声、同じ人物が話していると思ってくれていい。」
『いっしんじょー‥‥‥‥?‥‥‥‥さっきの声、きれいだったからきいてたい。だめ?』
少年のホログラムがクスクスと笑い声を零す。
若狭という青年はあわてたように何かを探し、諦めたように口を開いた。
「んんっ、こちらで話すのは、久しぶりで、な。えぇと、こっちのほうがいい、か?」
咳払いをしてからたどたどしく話す青年。少女は無垢な顔でうなずいた。
『うん、きれい。』
「ふふ、本当に可愛らしい子だ。若狭、その子の事は任せた。よろしく頼むぞ?」
「はい、主様。」
そう言うと、少年の姿は消えてしまう。少女は途端に顔をくしゃくしゃにしてしまう。
『あす、ぷらねっと、きえちゃった。』
「心配ない。彼は大丈夫。」
そう言って頭を撫でる青年。
そして、とあることに気が付く。
「葵、自分の姿、分かるか?」
『すがた?』
少女は小首をかしげる。
青年はふぅとため息をついてから、何でもないと頭を撫でる。
純白の、彼女の長い長い髪を。
『わ、わぁ』
びっくりしたのかあわててわたわたする少女。暫く撫でられてから、深紅の瞳を開いてきゃははと笑う。
『わかさ、くすぐったい、』
微笑ましそうにふっと口元に笑みを浮かべて、少女を抱き上げてみる。
跳ねのように軽い少女に驚きつつも、若狭は肩車をしてやる。
『たかい、たかーい!』
無邪気に笑う少女。
少女の髪と瞳の色は、徐々に、徐々に、“空の色”へと染まってゆく。
少女はそれに気が付かない。
青年は、それに気づいていない“フリ”をする。
アース・プラネットはこの時彼に一つ、使命を与えた。
“彼女が空の色に染まり、神々の目から逃れるまでの間だけ。彼女を育成するように。”
彼らからしたらほんの刹那のひと時。
けれど、だけれど。
その時間は、何にも代えがたい価値のある時間であった。
少女はやがて幼子からようやく少女と呼べる外見に成長し、青年と渡り合える程度の護身術を身に着けた。
『若狭、私絶対若狭より強くなるからね!』
無邪気に笑う少女。しかし。
(もう、時間はないな。)
青年は思う。
もう、殆ど空の色に染まってしまった少女。
分かれは近い、と青年は思う。
思うけれど。
(あともう少しだけ。)
そう、青年は願う。
けれども時間は残酷で。
「若狭、そろそろ刻限だ。葵を地上へ。」
「‥‥‥‥もう、ですか、主様。」
「えぇ。こちらとしても名残惜しい。けれどもこれは、定められた運命なんだ。それに。」
「?」
青年は、残酷な現実を突きつけられる。
「“地上に降りた葵は、ここでの出来事の一切を忘れるようにした”。」
「—————、」
何も言えず、無邪気に走り回る少女を見ながら青年は主に問う。
「“全て”、ですか。俺の事も、主様の事も。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥あぁ。」
長い沈黙の後の肯定。
きっと、主も迷ったのだろう。
けれど、いまだ無邪気な彼女にここの情報を与えたまま放置するわけにはいかないのも事実であった。
「しかたが、無い事なのですね。」
「そうだ。‥‥‥けれど、いつか。いつか彼女が、またこの高さまで“飛べる”ようになったら。
ここを、見ることができたら。そうしたら、その記憶の制限は解除しよう。だから若狭。悲しむな。悲しまず、あの子の成長を見守ろう。我々にはずっと時間があるのだから。」
主にそう言われ、彼は決意し、少女が眠ったある日、空から彼女を落とした。
良い人間に拾われますように。
幸せになりますように。
そう願って、ずっと見ていた。
彼女が新たな師匠の下で修業をしているときも。
初めての相棒を得て進み始めた時も。
迷い、戸惑い、転んで、それでも歩みを止めない彼女の行く末を。
ずっと、ずっと見守っていた。
だから、青年は見ていた。
彼女が、空高く飛び、“ここを見つけた”瞬間を。
そして即座に彼は彼女の元へと旅立った。
主様の支配領域に入ってしまい、翼が壊れてしまい、落ちる彼女を抱きかかえ、地上へと降り立つ。
「久しぶり、葵。」
こうして、数百年越しの再会は果たされた。
きっと若狭さんは見守ってたことは言わないと思います。
けれども、彼女の苦悩も苦痛もすべて、見て、見守って。ずっと無力感を感じていたはず。
その彼がようやく再会できた彼女。
さて、まぁ師匠同氏はバッチバチですけど葵さん的にこれ以上に嬉しいことってないですからね。
次話は合流です。段々“異形だらけ”になってきました。