[五章]彼方よりの来訪者【Ⅴ話】
五話目。
『じゃ、あ、あの時、私を止めたのは』
「説明、する暇なかったから。けど、ごめん。間違いなく、最悪の事態が想定された。」
身体から力が抜ける。
遅れて、体中がカタカタと音を鳴らして震え始める。
その場にしゃがみ込んで、耳を塞いで俯く。
何故、恐怖心を感じるのかは分からない。
何故、“手も足も出ない前提”で身体が震えるのかも、分からない。
けれど。
本能的に、“恐怖心”が止まない。
唐突に、そう、本当に唐突に、今回の件から逃げ出したくなった。
たとえ器を見つけたとしても、それで何が起きるかなんてわからない、きっと何も起きない可能性の方が格段に高い。
連れ去られた彼らに用意された末路は決まっているだろうけれど、それは今も世界のどこか私の知らないところで起きている戦争やらと何ら変わりないことで。
気にしなければ、見なかったことにしてしまえば、今回の件からはまだ手を引けるはずで
何か、嫌なことを思い出しそうな気がした。
怖いことを思い出しそうな気がした。
今すぐにここから逃げ出したい、そしてどこかへと逃げて、別の事件でも探して、
殺されるかそれ以上にひどいことになるだろう彼ら、路地裏の住人の事なんか忘れて
その中に混ざっていた、ちらりと見えた、幼い少年の救いを求めるような声なんかわすれ、て、
【——————頑張れ、葵ちゃん。】
知らない声が、聞こえた気がした。
とても懐かしくて、暖かくて、幸せで、優しくて。
けれど、きっと、きっとこれは、私の知らない私の過去の記憶。
体の震えが、止まった。
「葵、?」
心配そうな顔をして私をのぞき込む内亜。
私の契約した、あくまでニャルラトホテプで、相棒で、時にライバルで、友人で、兄のような。
最初は敵だと思っていたけれど、いつも私を助けてくれた。
さっきだって、私を想って私の意向を汲まない選択肢を取った内亜。
いつだって、一緒の存在。
何故だろう。
さっき聞こえた幻聴のようで、それでいてはっきりとしたような声は女性の物のように感じたけれど。
内亜は、その声の主と少しだけ、似ている気がした。
頼りになる存在。兄弟のような存在。
決して、決して本人には言わないけれど。いつも感謝‥‥‥‥せざるを得ない存在。
『内亜、正直私、ちょっと怖くなった。』
「?うん、なら別に関係なかったことにしても————」
『でも、』
俯いていた顔を上げる。
『やっぱり、助けよう、あの人達。』
私の言葉に、一瞬驚いた表情を見せる内亜。
けれどすぐにいつもみたいに不敵に笑う。
「ま、葵ならそう言うと思った。‥‥‥‥ほーら、よ、っと」
しっかりと手を握って、私を立ちあがらせてくれる。
『わ、と』
一瞬バランスを崩して転びそうになるけど堪える。そして顔を見合わせると、どちらからともなく不敵な笑みが零れた。
「多分、あのチェックされたとこ一通り回るだろうから次何か起きるまで多分2日はかかると思う。」
内亜は、そう言いながら地図を広げる。
『ちなみに、適合者が現れたと仮定して、もう一人適合者が現れる確率は?』
私は念のため聞いてみる。
「無いね。別の神様ならありうるかもしれないけど、あんな物騒なもの持ってて見せびらかすように何度も顕現させて目撃情報を上げてる教団なんだから、複数の神を信仰している線は薄いと思う。特にトゥールスチャなんて信仰してたら尚更。」
『つまり、集められた人間は全員殺されるだろうね。』
「そだねぇ、良くて何人か信者が増えるんじゃないかな。正気を失った信者が。」
『あはは、面白いジョークだね。‥‥‥‥笑えない。』
「同感、同感。あ、ちなみに葵」
そう言って内亜がこちらの様子を窺ってくる。
『ん?』
「作戦は?」
『当然、今から考える。』
「だぁよねぇ!そんな気がした!」
内亜があきれたように言う。
『そんな面倒くさそうな顔しないでよ』
私が不服そうな顔をすると、内亜はため息をついた。
「いやぁ、だぁってさぁ、魔術封じのアーティファクト持ち確定でしょ、所持してるやつが歩き回ってるってことは複数個拠点にあるってことでしょ、んでわが契約者サマは魔術無しじゃなぁんにもできない貧弱な身体ときた。それでも立ち向かうとかふざけてるのぉ?って感じ。」
『うん、連中皆殺しと捕縛して潰そう、全部。それで手に入れよう、そのアーティファクト。今後使えるかもしれないし。』
「うぅん話がかみ合わなぁい。」
心の底から面倒くさそうに内亜が地図をしまう。
『で、そんな貧弱な契約者を持った感想は?』
私は内亜ににっこりと微笑みを向けて聞いてみる。
内亜は一瞬ぽかんとした後、不敵に笑った。
「最ッ高。無謀で無茶でとち狂ってて非ッ常に俺好み。」
『でしょ。』
私はそう言って笑みを返す。
『じゃ、まず何からやろうか考える?』
「あっはっはっはほんとに一つも考えずに言ったの?嘘でしょ?」
私は無言で微笑みを返す。
「わぁお、‥‥‥‥‥はぁい、ちゃんと考えよっかぁ‥‥‥」
呆れたようでいて、けれどどこか楽しそうに内亜が言う。
私達は部屋を出て、とりあえずノワールのところへ意見を聞きに行くことにした。(内亜はめちゃくちゃ嫌そうな顔をしたけれど。)
悪乗りする二人の様子、書いてて非常に楽しいです。
そう言えばよく、イラストを描くときにキャラと同じ表情しながら描くという方の話を聞きますが、私は文章でもそれが出ちゃうタイプです。ついつい悪い顔しちゃう。