[四章]フォレ・ノワール【Ⅴ話】
5話目。まだまだいっきまーす
実は、僕は葵の全力を知らない。
正確に言えば、“現在の”全力を知らないだけだけれど。
葵の肉体は非常に脆い。
体格の小ささも相まって、魔術の補強無しじゃ格闘の技術があったって大した威力にならない。
小賢しい事は得意らしいけれど、その全部を見る機会は今のところない。ま、小賢しいことなら俺も得意だしね。
つまり、今僕の目の前にいる悪魔の王に、葵が勝てるかと聞かれたら、正直無理だと答えよう。
それほどに強かった。
葵が飛ばされた後、俺はブチギレてできる限り暴れた。
が、結果は惨敗。
影に関する魔術も使った。体術やら葵の持つ武器やらも使った。
けれど全くと言って良いほど歯が立たなかった。
あれでも多分手を抜いているだろうから、本気になったノワールの事を思うと非常に恐ろしい。
(葵、ごめん。)
契約者の力になれない無力感。それに、今までに出会った中で一番の難敵。自分の戦闘手段を試せば試すほど、それを簡単にあしらわれ続けて絶望にも似た感情が心を支配する。
やけになって鎌を振りかざして突撃しても、軽くいなされてしまう。
「おやおや、これでお終いですか?」
ノワールが息を切らして床に片膝をつく俺を見下ろす。
まるで汗一つかいちゃぁいない。あれだけ本気を出したのに、向こうは準備運動になったかどうかといったところか。
『んなわけ、ないっしょ‥‥‥‥‥』
強がりのセリフを絞り出して、踏ん張って立ち上がる。正直もういっぱいいっぱいだった。
もう打つ手がない。正直、ここまでの強さだとは思っていなかった。
いつかぶりに弱音を吐きたい気分だった。
葵を拉致されて、子供と遊ぶかのようにいなされ続けて。
もう、これ以上立ち回る体力はない。
(でも、葵のところに行かないと)
その思いだけでなんとか立っているけれど、それも長くは保たないだろう。
嫌になるなぁ、なんて思っていると、ノワールが、何かに反応したのか小首をかしげる。
(何‥‥‥?)
警戒しながら見ていると、ノワールは首をかしげたまま言った。
「おや、彼女の気配が消えましたね。貴方が何かしたのでしょうか?」
そう言ってこっちを見てくるが、生憎と覚えがない。まぁ、考えつく事と言ったら脱走くらいか。
『葵は、いつでもやらかしてくれる、から。』
呼吸もしんどい中、何とか言葉を絞り出す。
俺の答えを聞いて暫くの間、ノワールは何かを探るように宙を見ていた。
まるでこちらの事など目に入っていないかのように。
実際こいつに対して何にもできないのが腹が立つ。
どうにか抵抗しようと影を動かそうとすると、ノワールの方へと伸びている影を強く踏まれ、また身動きが取れなくなる。
『ちょぉ~っと、重いんだけど』
皮肉ったように言っても反応しない。
(コイツ、本当に僕の事眼中にないなぁ)
自分を嘲笑したくなる衝動に駆られる。けれど、それじゃ葵に会った時に合わせる顔がない。とりあえず攻撃してくる様子は無いから静かに休憩がてら呼吸を整える。
しばらくの時間が経った後の事。
唐突に、ノワールが歓喜の表情を浮かべて言った。
「あぁ、お目覚めになったのですね!」
そう言って俺の方を見てにっこりと微笑む。
「御客人、運動はこれにて終いです。我が主に会いに行きましょう。」
そう言って治癒の術式をかけてくる。
『いらねえっての、っ』
駆けられた術に嫌悪感を感じ、無駄だと知りながらも振り払うように腕を振る。
その様子を見てもなんとも思わないのか、ノワールは真顔で言う。
「貴方のためではございませんよ。我が主にやっと謁見できるというのにそんなボロボロのお姿では我が主に対して失礼でしょう。」
一々言い方が腹立つ。
そう思いつつ、そっぽを向く。どうやら勝手な治療は終わったようで、身体に力が戻ってくる。
「さぁ、向かいましょう!」
そう言ってノワールは待ちきれないといった風に指を鳴らした。
すると、景色が変わった、粉々になった氷塊の散らばる、洞窟のような空間へと転移したようだ。
(あんだけの攻撃さばいてまだこんな魔力有り余ってるとか化け物かよ‥‥‥‥)
つい心の中で愚痴を言う。
ひんやりとした空気が流れる洞窟内を見回すと黒髪の女性がぼうっと立っていることに気が付いた。
黒髪の、美しい女性。こんな時でなかったら声をかけて遊んでいたかもしれない。
紅いマニキュアに口紅。ごてごてしすぎない程度に美しくあしらわれたレースのワンピース。
あれが、シュブ=ニグラスを受肉した人間だというのだろうか。
もし、そうだとしたら、贄にされると言われた葵はどうなったのであろうか。
辺りを見回してみる。
葵の姿は見当たらない。
気配も、感じない。
(葵‥‥‥‥?)
最悪の展開が頭をよぎるが、頭を振ってその考えを振り払う。葵のみに何かあれば逆に何も感じないほうがおかしい。
「あぁ、我が主、ついにお目覚めになったのですね‼‼」
そう言って黒髪の女性の方へ向かうノワール。
女性の前に跪いて頭を垂れると、その女性はぼんやりとした様子から一転して、少し戸惑ったようにノワールを見る。
「主様、私めの名はノワール、貴女様へお仕えする日を心の底からお待ちしておりました!」
そう言って女性を見上げるノワール。
しかし、女性はノワールを見て驚いたような表情をするばかりで、特に何かする様子もない。
疑問が浮かぶ。
(あれがシュブ=ニグラスを受肉した肉体だとしたら、もっと獰猛に、そして理知的に振舞うはず‥‥‥‥‥?)
ノワールも、女性の返答がないことに不思議に思ったのか、女性を見上げて言う。
「我が主、どうかされたのですか?」
しかし、返答はない。女性は困ったような表情をするばかりであった。
「如何されましたか、我が主、何か至らないことでもあったというのですか、どうか、どうかそのお声をお聞かせくださいませ!シュブ=ニグラス様!」
そう言って女性へと縋るノワール。
その混沌とした光景を見て、俺は何も言えずに立ち尽くすしかない。
どうしようか考えていると、“何か”が自分の中から抜かれた感覚があった。
『な、』
つい言葉が零れてノワールたちの方を再度見るが、二人は何も気が付いていないようだった。
(な、何?)
戸惑いながら辺りを見回そうとした瞬間、爆音が辺りに木霊した。
なーんか既視感ありますよねー(棒読み