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29.婚約者

※第二章突入です。




 ラッピングされたピンクのガーベラを一輪持って、ユリシーズは馬車の揺れに身を任せていた。


『いい加減、花束ぐらい準備したらどうだ』


 ユリシーズが家を出る際、溜め息混じりにそう叱責してきたのは、妻を大層大切にしている父親だった。


『……約束なので』


 にっこりと微笑みを貼り付けて迎え撃つ。威厳を全面に出す父親が持たない方法で攻める事を学んだのは、ジェラルドの末の弟からだった。


(まぁ、それはさておき……)


 笑顔の下で、次に飛んで来る言葉への返しを準備する。

 毎度お馴染みのやり取りなので最近ではテンプレートみたくなっているが、先々代の国王──ジェラルドたちの祖父の補佐を若くして務めた父親が、不意に別の言葉で切り込んで来た時が厄介だった。


『……もう何年も経っているんだ。マリー嬢もヴァイオレット嬢と同じく婚期に突入している。未だに婚約では向こうとて気が気でないだろう……未だにお前にその気がないなら、こちらで話を進めるぞ』


 父親の台詞に、ああ……良かった、と、ユリシーズの表情筋が若干緩んだ。


 マリー・オルブライド

 侯爵家の次女であり、アベルたちの従姉妹の少女だ。


 いつも通りの台詞に、いつも通りのやり取り。マリーと婚約してからというもの、彼の父親はユリシーズにしつこく結婚を急かして来る。

 それはユリシーズが悲しみに酷く憔悴していた頃、命を絶ってしまうのでは……と、不安にさせた反動である事を重々承知しているが、それでも今、父親が告げた事を認める訳にはいかなかった。


『心配せずとも、マリーとは将来的に結婚しますよ。大切にする事も誓っています……そのために必要な事だと、彼女とも話し合って決めた事なので』


 暗に「勝手にするな」と告げる。

 実際、自分の事は棚上げして、子どもには家との繋がりしか見てこなかった父親に、今更心情を訴えてられるのも迷惑でしかなく、嫌悪すら抱いていた。


『……では、行って参ります』


 口を開きかけた父親よりも早くにそう告げて、ユリシーズは家を出て馬車に乗り込んだのだった。


「………わかっていますよ」


 窓の外を眺めながら、独り言つ。

 見慣れた景色でも、よくよく見れば少しずつ変化している様に、人の心もまた変わっていく。

 それは自分だけでなくマリーもそうだ、と、父親が言いたい事をユリシーズは理解しているが、それでもまだ現状に浸っていたい思いが勝っていて、そこから動くのを拒否している。


「政治的の結び付きと割り切れたら良かったのですが」


 置いていく想いが泣き叫ぶ度そう思うが、そうすれば、今度は今の婚約者であるマリーへの愛情を否定しなくてはいけなくなってしまう。


「わかっています……今の状況に酔っている事ぐらい」


『ユリシーズ様のお気持ちが私に向いたその時に、両手いっぱいの大きな花束を持って来て下さい』


 マリーと婚約した時、かつての婚約者を亡くした事を今でも嘆いている自分に、マリーが告げた言葉だった。

 甘えている。似た悲しみを持つマリーの優しさに寄りかかり、置いて行かなくてはいけない想いを手放せずにいる。

 それがどんなにマリーを、そしてかつての婚約者を侮辱しているのか、ユリシーズ自身、十分わかっていた。

 だから、せめて感謝している事は伝えたくて、ユリシーズはマリーに似合うガーベラを……感謝の意味を持つピンク色のそれを一輪、会う時には必ず準備していた。

 この花の色が黄色に変わり、抱えるほどの大きな花束を持って会いに行く事を考えた事は幾度もあった。

 だがその度に、花束を抱えた腕から零れ落ちる想いが悲鳴を上げて訴えるのだ。


「リリィ……」


 名を呼んでも、記憶の中の少女は、ただユリシーズに微笑むだけで、何も答えてはくれない。


 リリィ・オルブライド

 ユリシーズのかつての婚約者であり、マリー・オルブライドの実姉である。


「君は……君を置いていく俺を、許してくれますか?」


 形成した胸の内は、馬車の中で霧散して消えた。



読んで下さりありがとうございます。

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