1-9 二次元の好きなキャラクター大体現実では好きじゃない
アクション待ちで良いでしょう。とは思ったものの、本当にすぐアクションがあるとは思っていなかったのだけど。
「リーチェ様。」
いつものごとく何か言いた気に名前を呼ばれて振り返る。放課後の廊下はもう人もまばらで、私も先生に呼び止められていなければ、こんなに遅くはなっていなかっただろう。アレクサンドラはこんな時間まで私を待っていたのだろうか。
「なんでしょうか。」
「失礼かもしれないのですが、お伺いしてもよろしいですか。」
失礼だと思うなら聞かないで下さい。とは言えないのが貴族の悲しいところ。
「どうぞ。」
「......セシル様に、その、コーヒーをかけたというのは本当ですか?」
「は......い?」
驚きのあまり、令嬢にあるまじき声で、は?と言いそうになるのを必死で堪えた自分を褒めたい。
かけられたのは私!
大声で叫びたくなる気持ちを堪えながら、噂の出所を探る。もしかして、だからクラスメイトは遠巻きなの?
「それはどなたから?」
「どなた......と言われても。......もしかして本当なのですか。」
唐突に声色が変わる。この、回避ルートつまり、ローズ様が主役の世界では、アレクサンドラは色気のある紳士というキャラクターだ。だから間違っても、こんな剣呑な声で、瞳で詰め寄ってきたりしない。
金色の瞳から光が消え、徐々に距離を詰められる。圧迫感に後ずさるとあっという間に廊下の壁に行き当たった。逃さないと言わんばかりに、ダンっと、アレクサンドラが私の顔の横に両手をついた。
乙女ゲームルートにもあった、アレクサンドラからリーチェへの壁ドン。でもあのときは不良キャラクターだった。心なしか、顔つきも厳しくなっている。
推しキャラからの壁ドン。こんな状況じゃなきゃ、もっと嬉しかったのに。なにこれ、なにこれ。すっごい怖い。目に光がない。
「どうなの。」
不良バージョンが垣間見えてますます怖い。少なくとも乙女ゲームルートにも回避ルートにもこんなシーンは無い。
私がセシルを言い負かした、あの地味にストーリーを改変した皺寄せがこんな所に来ているの?それとも、私のキャラクターが回避ルートのリーチェと全然違うから、他の人のキャラクターにも影響が出ているの?
「なぁ、どうなんだよ。」
前世から今まで、不良と言われる人種とは関わりがない。だからこそ二次元の不良キャラを推せていたのだとわかる。不良すごい怖い。
「黙ってたらわかんねぇだろ。」
凄むように低く出る声。否定したいのに、この状況で何を言っても信じてもらえなさそうで、何よりも怖くて言葉が出てこない。早く言わなきゃ、違う、って。
「ローズ様の制服にコーヒーの染みがついててさ、珍しいから聞いたんだよ。身内の恥だから聞かないで。って笑って言われたんだけど。噂を探ったらあんたがセシル様にコーヒーをかけたって耳にしてな。セシル様とやり合うのは勝手だけどな、ローズ様を巻き込むな。」
低い声で噛み付くように、勝手なことを言う。あれは正当防衛だった。いきなりこんな世界に連れてこられて、見知らぬ誰かになって。痛い思いや、怖い思いをさせられて。挙げ句の果てにこの言いがかり。いい加減腹が立ってきた。
苛立ちが怖さを上回り、言い返してやろうと顔を上げる。どんな理由があろうと、人を脅して良い理由にはならないのだと、ガツンと言ってやりたい。
キッと気合を入れて見上げたところで、聞き覚えのある声が廊下に響いた。
「アレク、何をしているの?」
途端、勢いよくアレクサンドラが私から離れた。開放感から廊下にへたり込みそうになるところを何とか堪える。
「ローズ様......何も。クラスメイトとお話をしていただけですよ。」
「......そう。」
チラッと、ローズ様の視線がこちらに向いた瞬間、一つの可能性がよぎる。
これはローズ様視点で見たリーチェ攻略イベントなのではないか。
もしここで私がローズ様に助けを求めれば、多分ローズ様はアレクを嗜めて、本当のことを言ってくれる。物語のヒーローのように私を守ってくれるだろう。
本来のリーチェであれば、階段に続いてこんなシーンがあれば間違いなく「お姉様、はぁと」となる。
原作にこんなシーンは無かったので、数度のイレギュラーを受けて発生したイベントの可能性が高い。でなければ、こんなにタイミング良く三人が校舎に残っているはずがないだろう。
私はこのイベントにおいて、ローズ様に助けを求めるべきか、アレクサンドラを庇う動きをするべきか。
アレクサンドラを見ると、鋭い目で何も言うなという圧をかけられた。普通に考えればこれ以上読めないルートに突入するよりは、ここで一旦ローズ様に助けを求めた方が良い気がする。一方で、助けを求めたらアレクサンドラとは決定的に溝ができる予感がする。
この未完の物語に先があるとするなら、その先こそ小説とか前世を気にしなくて良い、正真正銘の転生生活になるのだろう。その時のためにできるだけ敵は作りたく無い。
少しの逡巡の後、仕方ないと腹を括った。
「ローズ様、こんなところでお会いできて嬉しいです。先日はありがとうございました。」
急な快活な声で挨拶しだした私を、アレクサンドラがギョッと見つめた。何を言い出すか気が気では無いのだろう。
「こちらこそ、セシルが申し訳無かったわ。あの子はあの後謝りに行ったかしら。」
「いえ......。でも、いいんです。私も言いすぎましたし。」
「ありがとう。優しいのね。でも、貴女が言ってくれたことは、セシルにとってすごく大切なことだもの。図星だからと拗ねるようでは困るわ。必ず謝りに行かせます。」
謝りに来られても許せる気がしない。そう、顔に出ていたのだろうか。ローズ様は困ったように笑った。
「許さなくても大丈夫よ。セシルが貴女に頭を下げることが大事なの。私もさっき知ったのだけど、随分不名誉な噂が流れているようだしね。」
横でアレクサンドラが小さく息をのむ。ローズ様はアレクサンドラの方を見てはいなかったけど、意図は正しく伝わったのだろう。
「お気遣いありがとうございます。」
「元々こちらの不始末よ。本当にごめんなさいね。私がリーチェを可愛い後輩だと思っている気持ちは本当だから、これからも仲良くしてくれると嬉しいわ。」
アレクサンドラへのパフォーマンスか、私への敵意が無いアピールか。いや、この方の場合は本当にそう思ってくれている可能性が一番高い。
私も言葉を素直に受け取って、ありがとうございます。と笑顔で応えた。
まだ少し心配そうなローズ様に手を振って、廊下に残ったアレクサンドラに再び向き合う。
「何か私に言うことがあるんじゃないかしら。」
「......勘違いして悪かった。」
ローズ様に牽制されたのが余程応えたのだろう。俯きながら言うアレクサンドラの頬を両手で挟み、無理やりこちらを向かせた。
「ローズ様に告げ口しなかったことに対するお礼は?」
キョトンと目を丸くした後、みるみる内に頬が真っ赤になる。そうか、私がアレクサンドラのローズ様への恋心を知っているはずがないもんな。でももう言っちゃったから、さっきのやり取りでわかりやすかったって事にしよう。
何度か口をパクパクした後、私の手を振り払う。
「お気遣い、ありがとうございます。」
口を少し尖らせて、まだ顔は赤いまま不満気に言う様子が年相応に可愛くて、思わず笑ってしまった。
「どういたしまして!」
「お前そんな感じだったか?」
指摘されて、自分が素に戻っている事に気がつく。
「アレクサンドラ様もでしょ。」
「アレクでいい。今のお前に様付けで呼ばれるの変な感じだ。大体、俺は親しい同性の友人とかの前ではこんな感じだ。」
そう、だっただろうか。中等部から同じ学年だったはずだけど、クラスが違うからか記憶にない。小説内ではローズ視点でもしくは、ローズに対して語られるのだからそれ以外の人にどのように接しているかは確かにわからない。
もし、アレクサンドラが中等部から私を認識していたのだとすれば、確かに私こそキャラクターが全然違うのだろう。アレクの指摘に内心ドギマギしながらも、平静を装う。
「私も親しい友人の前では昔からこんな感じよ。私のことはリーチェ様って呼んでくれてもいいわ。」
冗談でさっさと話題を流す。アレクは面白そうに笑った後、
「改めてよろしくな、リーチェ。」
と、悪戯っぽく笑った。色気と不良のハイブリッドに、不意にときめいてしまったのは、ここだけの話だ。
それにしても、私のキャラクターが違うから引きずられたのかと思ったが、思い上がりだったようだ。
よく考えれば当然だ。私はどうしても小説というフィルターを通して起こりうる出来事を考えているけど、小説内で起こったイベント以外の部分にも生活があるのだから。
乙女ゲームと回避ルートで全く違う人物になる、ということはおかしいわよね。どちらも本当なのだと、思っていた方がいいのかもしれない。
ただ、私が地味にイベントを改変していることについて、何らかの力が働いている気がしてならない。
普通、ため息だけでコーヒーをかけるかしら?
答える前に質問を返したからといってクラスメイトに詰め寄るかしら?
背中を冷たいものが通り、震えが来る。
今はまだ、深く考えなくていい、深く考えても仕方がないから。まだ判断材料が少なすぎるもの。
「どうした?」
「さっきのが怖くて震えてきたの。」
「あ......ごめん。」
「嘘よ。心配してくれてありがとう。」
アレクのことをからかいつつ、大きく深呼吸して震えを止めた。
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