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3-13 光の魔術師は耐えられない

「リーチェに会いに行くことは辞めなさい」


「どういうことですか?」


 書斎に響いた声に反射的に強く問い返す。


「リーチェが光の魔術師であることが判明した」


「先帝の息子である私と、光の魔術師の婚姻を、陛下が反対なさったのですか」


「......クリス、わかってくれ」


 悲痛に眉を寄せる義父に、彼も何も思っていないわけではないとわかる。それでも、それでもだ。


「また、陛下は僕から全てを奪うのですか」


 思わずこぼれ落ちた本音は止まらない。


「この十数年。家族を殺された憎しみも、皇位を狙う野心も抱いたことはありません。そんな素振り見せたこともないつもりです。それでも、信用なりませんか。それならいっそ」


 あの時に殺せば良かったのに、そう言いかけて義父の哀しそうな目とぶつかった。


「クリス、国外へ留学すると良い。既に手配は済んでいる。高等部への入学までには帰れるように手を回しておこう」


 くるりと背を向けて、そこから何を告げれば決定が覆るのかまるで検討がつかなかった。

 ただ、リーチェを連れて駆け落ちをしないよう、物理的に遠ざけられたことだけは分かった。


 留学前に一度だけ、リーチェに会いに行った。自分が何をしたかったのかわからない。一緒に逃げようとでも言うつもりだったのだろうか。

 しかし、苦しみの無い代わりにぼんやりと焦点の合わない目で見つめられては、とてもじゃないが一緒に逃げようとは口にできなかった。


 リーチェにとって、少なくとも魔力が安定するまでは、この豊かな伯爵領で守られるのが一番であると明らかだったから。


 ふらりと王宮へ向かえばいつもの図書室にダニエルの姿は無く、誰に聞いても司書などいないと言われた。


 禁書のことがばれて解雇になった?それなら尚更持ち出したのがクリストファーだと知れたら罪が重くなるかもしれない。返す予定だった書籍を持ち帰り、仕方なく留学用の荷物に詰めた。


 家に置いておいて義兄に見つかれば真面目な義兄のことだ、ダニエルが糾弾されてしまう。

 留学前にお別れを言えなかったことは残念だが、帰ってきたら侯爵家の伝手を辿って会いに行こう。



 留学先では監視や制約もなく、むしろ自国より伸びやかにすごすことができた。学園では友人と呼べる人達もできたし、ご令嬢方から声をかけられる機会も多かった。

 帝国では中立派以外と接触しないよう、無意識に陛下に気を遣っていたのだと気がつく。


 外交官になれれば国を長期間離れられるのか、と脳裏をかすめた考えは、陛下が許すはずがないかとすぐに打ち消された。


 リーチェには到着してから毎月のペースで手紙を送っている。最初は返信の無いことに心を痛めていたが、最近では来ない返事を待つこともなく一方的に送り続けている。


 そんな充実した日々を過ごし、少しずつリーチェへの気持ちと折り合いをつけつつあったある日、思いがけない人物と再会した。


「ダニエル?ダニエルだろ?」


「クリス様」


 髪を振り乱しながら、しがみつくように呼ばれた名前に、懐かしさと親しみから溢れた笑顔を引っ込める。


「どうした?まさか僕のせいでこんな状況になったのか?」


「いいえ、いいえ。私が渡した本はお読みになりましたか?」


 問われて、今まで開くこともなく押し込められた本たちに想いを馳せる。リーチェが大魔術師ニコラス・ノースモンドに処置されてから、必要なくなったそれらに目を通すことはなかった。


「すまない、読んでいないが何かあったのか?」


「皇帝陛下が、光の魔術師様と皇太子殿下の婚約を検討されているのです」


「......は?」


 思考が止まる。殿下には既にシャルル侯爵家の御令嬢が婚約者としているはずだ。なのに、何故。僕のリーチェに手を伸ばす。僕の知らないところで、僕の知らない人と幸せになるのなら諦めがつく。

 それなのに、僕は幸せになることは許されないまま、リーチェの幸せを一生近くで見続けなくてはならないのか?


「こんな、酷いこと。許せません。本当は貴方こそ誰よりも皇位に相応しいというのに」


 ダニエルの言葉がじわじわと脳に響く。穏やかになりつつあった心の内は容易く激情に支配された。

 何故ただの司書にすぎないダニエルが殿下の婚約の予定を知っているのか、僕が先帝の息子だと知っていたのか。全ての疑問を押しつぶす程に怒りが腹から迫り上がってくる。


「私がお渡しした本をお持ちください。そこに貴方が力を手に入れる方法が記載されております」


「力?」


「ええ。全てを取り返しましょう。皇位を、愛する人を、自由な立場を」


 爛々と目を輝かせる彼に、気圧されるままに部屋から本を数冊手にして戻ってきた。


「準備は、整っております」


 促されるままに近くの屋敷へと足を踏み入れる。常と様子の違うダニエルの様子や、見知らぬ場所に不用意に足を踏み入れたことへの警戒から徐々に頭が冷えていく。


 やはり帰ろうかと悩んでいると、ふいにダニエルが昔のような優しい声をかけてきた。


「覚えておられますか?初めて図書室でお会いした時。お勉強が嫌で、お母様が恋しくて泣いておられたクリス様に私がお声がけしたこと」


「あ、ああ。余りに幼くてはっきりとは覚えていないが。ダニエルがいつも用意してくれるホットミルクが好きだったな」


「ふふ、クリス様は幼いながらに健気にも耐えておられました。理不尽や、寂しさに。慰めたいと思うのも自然な感情でしょう」


「ダニエルは、僕のことを知っていたのか?」


「ええ、もちろん。年々敬愛すべきあの方に似ていく貴方を、想わない日などありませんでしたよ」


「あの方......?」


 大広間を開ければ、中には大きな魔術紋様が描かれていた。


「私は貴方のお兄様、先の皇太子殿下の側近でした。賢明なあの方の治世は、先帝陛下も皇帝陛下も、今の皇太子殿下は尚更及ばない、優れた御世になるはずでした」


 クリストファーの持つ本の中から一冊を引き抜く、闇の魔術についてかかれたその本を開き、もう片方の手で自らの腹に刃を突き立てた。


「クリス様、クリストファー殿下。あのお方の弟君。どうか偽りの皇帝から正しき治世を取り戻して下さいませ。このダニエルの命を持って力を手に入れ、愛する人を、光の魔術師を、国を、自由を......」


 最後まで言い切る前に、パタリと命が消えたと確信した。


「ダニエル......ダニエル?」


 ダニエルが開いたままのページには闇の魔術を手に入れるための手順が記載されていた。

 魔術陣を描き、見知った人物を生贄に捧げ、魔力を注ぎ込む。全て整えて自ら命を絶ったダニエルは、それほどに憎かったのか。相貌が変わるほどに、狂うほどに、禁術に手を出すほどに、憎かったのか。


 年が離れていても友人だと思っていた。ダニエルは違ったのか。兄の代わりとして、兄の復讐のためにこの時を待っていたのか?この時のために、生贄となるために僕に近づいたのか。


 クリストファーの手には何も残っていない。何故奪われなくてはいけない。愛する人も、自由も、大切な思い出も、友人も。


 全部全部今の皇帝陛下のせいではないか。


『良い絶望だ』


 ぶわりと闇に包まれた。瞬間体中から魔力が抜け出し、代わりに入り込む異質な魔力。


(なんだこれ、気持ち悪い)


 暴れていく、入り込まれていく。価値観が、魔力が、見える景色が変質していく感覚。


『ふむ、今までで一番居心地が良いな』


 響く男の声は自分の内側から聞こえて、キョロキョロと首をふった。


『久方ぶりだ、光栄に思え。この絶望と魔力に免じて、お前の望みを叶えてやろう』


 望み?叶えられるのか?怪しむ気持ちが沸き起こる。


『俺を呼び出しておいて疑うなんて図々しいやつだ。しかし気分が良い特別に教えてやろう。闇の魔術の真骨頂が何かわかるか?』


 未来への、干渉。


『そうだ。治すことしか脳のない光の魔術とは違う。未来を変えることであらゆる望みを叶えることができる』


 ドクンと心臓が音を立てる。望みなんて、そんなこと決まっている。


「リーチェとの未来を。自由を。尊厳を取り戻したい」


『そのために?』


「そのために、俺が皇帝になる」


『いいだろう。最高の未来だ。それでこそ俺の器に相応しい』


 ニタリと、顔の見えないはずの暗闇で、男の笑む姿が確かに見えた。



✳︎


 これは、クリスお兄様の記憶?中等部の頃のお兄様。確かにこの頃からお姿をお見かけしなくなった。

 いくら苦しんでたからといって、ここまで無関心でいたなんて私はなんと薄情なのか。


『本当に、無関心、無感情、薄情な女だ。クリストファーは俺と出会ってから、最後の時までずっとお前の幸せを願っていた』


 どうして、それをすぐに伝えてくださらなかったの。もっと早く知っていたら一緒に生きていく術を考えられたはずなのに。


『そうか?クリスがお前と共に歩むために努力する間、クラスのことなんか忘れて色んな男と仲良くやってたじゃないか、特にあの褐色の男』


 それは、だって記憶を失ってて。いいえ、だけどクリスお兄様の異変に気づけるタイミングはあった。


『そうだな。無効の魔術師なんかに頼らず、光の魔術でなんとかしていれば、クリスは消えずに済んだかもしれない』


 やっぱり、全て私の浅慮のせいだったのか。


『いいや、お前の怠惰のせいさ』


 尚重い罪を挙げられて胃が冷えた。


『だがな、真に悪いのは誰だ?クリスを追い詰めたのはお前か?いいや違う。お前は確かにトドメになっただろう。お前さえいれば止まれただろう。だけど原因は違うだろう?』


 ズブズブと痛いところを刺されながら、それでも蜘蛛の糸を垂らすように救いの道を示される。

 私が全て悪いわけでは無いと、男の声でそう言う。


『クリスの願いをお前が叶えてやれば良い』


 願い、クリスお兄様の願い。皇帝陛下の、


『暗殺。手伝ってやるさ。クリスもきっと喜ぶ』


 甘い甘い誘惑に、耐えがたいその囁きに、そっと目を瞑った。

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