3-5 語り部は目覚めない2(アレク視点)
ウィリアム様が、ニコラス先生を促しながら書類の散らばった教務室を片付ける。当然のように上座へと座らされた妃殿下にニコラス先生が上等な茶葉で紅茶を入れた。
「......私の好みの紅茶ね」
満足気なニコラス先生に、妃殿下は不思議そうに首を傾げた。
「弟子、ね。いつか貴方を拾う日が来るのかしら」
「......師匠は生意気な私にも根気強く教育を施して下さいました」
「そう。まだ貴方を知る前の私でごめんなさいね」
「いえ、この日を心待ちにしておりましたので」
本当に会いたかったのは、確かに今の妃殿下では無いのだろう。しかし、それでも、ニコラス先生を見ればわかる。いつの時代であっても、愛する人に再び会えることに勝る喜びは無いのだと。
自分が、もしリーチェと死別したとして、中等部より前のリーチェでも再会できれば幸せに違いない。
などと、商人の分際で伯爵令嬢であるリーチェと並ぶことを想像するのも烏滸がましいが。
「いつか若い頃の私が貴方と会うから、と仰っておりました」
「そう、忘れずにいられるかしら」
ニコラス先生の若さに、疑問を感じながら首を傾げる妃殿下は、自分が300歳まで生きたと言われているなんて知るはずもない。
「さて、先程の話だけれど。今からどれぐらい前の話かしらね。私の時代闇の魔術を無効化、封印したのだけど、封印しきれなかった一部が手の届かないところに隠れてしまったの」
本当に300歳まで生きたとして、いつの時代の話なんだろうかとウィリアム様を見れば、ニコリと微笑まれた。黙って聞けと言うことだろう。
「実体が無いから隠れられては流石に見つけられないと、次に姿を現す時を未来視してみればはるか先の未来だし、もう任せてしまおうかしらとも思ったのよね」
確かに自分が死んでそこからさらに100年以上経ってしまえば、もう世界が滅んでいようと関係の無い話だ。
その時代の人間が責任を持って対応すべき事案だろう。そんなところまで手を伸ばしていては自分の人生どころでは無い。
「だから手助けだけして未来を変えたのだけど、その変えた先に楓がいたの。これが私がこの時代に来た一番の理由。私は貴方を元の世界に戻すためにこの時代に来た」
突然自分が出てきたことにカエデがびくりと肩を揺らした。
「俺を......あなたが?」
「貴方のお父さんの名前、水口柳でしょう?」
「もしかして」
「ええ、水口柳は私の弟。貴方、弟とそっくりですぐにわかったわ」
懐かしそうに、愛おしむように見つめるその目に、何と言うべきか逡巡するカエデの言葉を待たずに殿下は続ける。
「多分貴方が目をつけられたのは私のせいでしょうし」
近い魔力を感じて目をつけられた可能性が高いと。物語を書かなければ喚ばれることもなかったかもしれないが、巻き込んでごめんね。と、続ける殿下にカエデはゆるく首を振った。
「俺は大丈夫。あなたが、桜さんが帰してくれるんでしょ?」
殿下は、パチパチと瞬きをした後、安心したように微笑んだ。
「ええ、必ず」
カエデも、年相応に少年らしく微笑む。ここ数日で初めて見る寛いだ表情だった。
「闇の魔術の一部がこの時代にあると知った時に、この時代を未来視したわ。そうすると2つの未来が浮かび上がった」
「2つの未来」
「1つめはローゼリアがクリストファーと組んでリーチェを殺そうとする未来よ。その未来ではリーチェへの嫉妬に狂ったローゼリアが愛したアーサーから国外追放を言い渡され、絶望するの」
ローズ様がリーチェへ嫉妬すること以上に、アーサー殿下がローズ様を手放すことが考えられない。
「追放された後に当時隣国の視察に行っていたクリストファーと合流して、ローゼリアはリーチェを、クリストファーはアーサーを殺す。そういう未来が見えたから幼いローゼリアに夢を見せることでその未来を変えたの」
時々、全てを知っているのでは無いかと思うような人だった。あれだけアーサー殿下から愛されているのに、ライオネル様の鏡の魔術で簡単に騙されてしまうぐらいには、アーサー殿下の愛に自信のない方。
そう言う事情だったのかとやっと腑に落ちた。
「これで私がそちらに行かなくても、リーチェの力だけでなんとかできるかと、時間を置いてもう一度未来を見ると、今度はリーチェが絶望してクリストファーと手を組み、王国を転覆していたわ。そこに楓もいた」
リーチェが王国を転覆?そんなこと、中等部の頃のリーチェだってやりそうにない。ましてや今のリーチェがそんなことをするはずもない。
「元々の予定では海外にいたはずのクリストファーも、早めに帰国している。帝国の政治から遠いところにいるリーチェに自分を頼らせるには、側にいる必要があると判断したから?なんせ彼が要だとすぐに理解したわ」
予定よりも早いお帰りだったとリーチェは言っていたが。それすらも闇の魔術の影響だというのか。
「どう転んでしまったのか、リーチェが皆に嫌われ、謗られ、裏切られる未来。その中にはアレク、貴方も入っているわ。ただ、とどめは信じていたアーサーの殺意と、慕っていたローズが自分の手を離したこと。絶望したリーチェは唯一の味方であるクリストファーに心を開き、完全に言いなりになってしまった」
「そんな......」
ありえない、と言い切れない。他愛もない噂を間に受けて、ローズ様のためにとリーチェを問い詰めたことがある。あの時、カラリとリーチェが庇ってくれて、想定と違う人柄に噂を間に受けた自分を恥じたが。
「だけど、私の転生前の記憶を覗いたとはいえ、リーチェは自力で全ての問題を解決したわ。彼女を裏切るはずだった人たちを、あと一歩のところで留まらせて、許した」
セシル様を、ライオネル様を、エド様を、セドリック様を、アーサー殿下をそして俺も。
彼女は一人でその絶望と戦ったのだ。記憶のない手探りの状態で。
「本当は最初から最後まで私がなんとかしてあげようと思っていたのに。眠っている間に誰に裏切られたって絶望せずにすむでしょう」
荒療治ではあるが、彼女ならやってのけるのだろう。しかし、そうはならなかった。
「リーチェの魔力が器に対して大きすぎた。既に溢れかけているところに無理矢理入ろうとしたから上手く行かなかったのね」
だから、殿下の記憶と引き換えに自分の記憶を失ってしまったのか。
「案外あなたたちが言う、空気が読めなくてぼーっと何を考えているかわからない、というのはこの大きすぎる魔力のせいだと思うわ。今回のことで無理矢理キャパが広がったから、彼女も楽になると思うけど」
「キャパ」
「失礼。受け入れる器が広がったのよ。結果的にはだいぶ荒療治になってしまったけれど」
金色のまつ毛を伏せて何事か考える殿下に、執事のように後ろに控えた先生が紅茶のお代わりを注いだ。
「この時点で、ローゼリアの絶望が無い以上、クリストファーはリーチェを絶望させようとしているはず」
「俺が召喚されたのもそのため?」
「ええ。ローゼリアに夢を見せたことで変わった未来を軌道修正するために、物語を紡げる人間を呼び寄せたのね。
闇の魔術とはいえ一部だから、外側からの干渉で変えられたのは僥倖だったわ。私が未来を変えるごとに対応されてしまうなら、直接来ようと思ったのよ」
「クリストファー様の狙いも、妃殿下がこちらに来られた経緯もわかりましたが、それがどうして俺とリーチェの記憶を消すということに繋がるのです?」
「あなたに裏切られたら、リーチェは容易く絶望するわ。それぐらい大切な存在なの。だから、あなたが友人を辞めたいと思うのなら、リーチェが目覚める前に記憶を消すべきだと判断した」
今もその気持ちに変わりはない、と為政者の目でそう言う。
「大丈夫です。リーチェはリーチェですから」
「ふふ、あなたが味方でいる限り、リーチェは絶望しない。それだけは覚えていてね」
ユリナと俺はリーチェにとって、記憶を失ってからできた大切な友人だ。
その立場を、手放すわけがない。
チリと痛む胸には気がつかないフリをした。