3-4 語り部は目覚めない(アレク視点)
リーチェ・フォン・フローレンスという少女は見掛け倒しな美少女だ。
太陽に輝く天使のような金髪も、秋の空を思わせる澄んだ青色の瞳も、鼻筋の通った高い鼻も、薔薇色の小さな唇も、この世のものとは思えない造形を持つリーチェだが、中等部の時はその空気の読めなさから、高等部に上がってからは、それら全てを忘れてしまうぐらいのフランクさから素直に美少女と呼びづらいキャラクターであった。不意に真面目な顔をした時に「そういえば美少女だったな」など思い出すほどに。
だからといってリーチェの魅力は1ミリも損なわれない、と俺は思う。
そのリーチェが、俺の知っているどのリーチェとも違う。明らかに纏う空気が変わった。
じっとリーチェの瞳を見つめたカエデがパチリと音を鳴らした瞬間、急に大きな魔力の唸りが起こり、俺らは一様に膝をついた。
あまりの魔力の大きさに立っていられなくて。
元々跪いていた先生はともかく、魔術をかけたはずのカエデも、身体強化魔術を持つウィリアム様も膝をついていた。
パチリと目を開いたリーチェは、数度の瞬きの後ゆっくりと周りを見渡して、自分の体を確認した。
顔だけで振り返るようにこちらを見た眼差しは、少女のそれでは無く、妖艶さに心臓が一度跳ねる。
あれはリーチェでは無い。
......いや、カエデに精神干渉の魔術をかけられる前にリーチェが言っていた。自分はミズグチサクラだと。
魂憑依というものが何かは詳しく知らないが、憑依と言うぐらいだ。ミズグチサクラがリーチェ・フォン・フローレンスに憑依したということなのだろう。
それで行けば思い出したのならば彼女こそが本物のリーチェ・フォン・フローレンスということになるが、それにしては中等部の時のあのぼんやりとどこを見ているのかわからない彼女とも大きくかけ離れていた。
「ご無沙汰しております、サクラ」
ウィリアム様が、正しく騎士のように膝をついてリーチェに頭を下げた。
金色のまつ毛に縁取られた大きな瞳をさらに開く。目が落ちてしまうんじゃないか、などとあさってな心配が頭をよぎった。
「......アムレン、なの?」
「ええ、あなたの騎士、アムレン・オルステンです」
ウィルの言葉に驚いたのは俺だけではなかったようで、ニコラス先生もまた目を見開く。
「私と一緒にこちらに来た、というわけでは無さそうだけれど」
「ええ。私は死の間際にサクラに魂転生の魔術を刻んでもらいました。今よりも未来のあなたに」
「......あなたは、私よりも先に死ぬの?」
「おや、私の知るサクラは未来のことなど知りたく無いと仰る方でしたけどね」
いつもどこか大人びているウィリアム様が、楽しそうに悪戯っぽく笑ってみせる。それだけでわかってしまう。ウィリアム様が事あるごとに主と崇めていたのが目の前の少女だと。
畏敬と崇拝を滲ませた、それでいて劣情を孕む瞳は単純な恋心とも違って複雑な感情を示していた。
「他でも無いあなたのことだから知りたいのだけどね」
「幸せな前世でしたとだけ言っておきましょう」
「そう、なのに何故魂転生したのか、というのは聞かない方がいいのかしら」
「一つは今この場のためですよ。リーチェの中で見てきたでしょう。元の時代に帰られたあなたに説明されたのでこの時代を選びました」
「ちょ、ちょっと待ってください。俺だけ全然ついていけてなくて。リーチェはどこにいったんですか?あなたは誰なんですか?」
向けられた瞳にリーチェには無い意思の強さが宿っている。誰なのかはわからないが、ウィリアム様が跪いているのだ貴族でない自分が割って入って許されるとは思わない。
それでも聞かずにはいられないぐらい心配だった。
「このお方はサクラ・アイニス妃殿下。帝国の側妃様であらせられる。元の時代であればあなたがその瞳に映すことを許されないお方です」
咎められるような視線は、日頃同じ学舎で学ぶ同級生とは思えないほど年上に感じた。
「......サクラ・アイニス妃殿下」
薄々、感じてはいた。先生が跪く相手なんてそれしか思い浮かばない。それでも思っていた以上の大物に、口が乾く。言葉が出ない。
「この時代の子がわかるのかしら」
当の本人には思いがけず優しい眼差しで、そう目を細められた。
「アレク、リーチェと友人になってくれてありがとう。リーチェは今私の中で眠っているわ。私の記憶と自分の記憶を同時にインプットしたから、脳が疲れたのでしょうね」
「インプット......」
「サクラの異世界語を話す癖ははまだ直っていないのですね。リーチェにも影響していましたよ」
「無理よ、21年分の積み重ねはそう消えないわ。こちらの世界で21年を越えれば直るのかしらね」
「ええ、きっともう少し早く」
わからない言葉をわからないままに、口を挟みにくい空気になってしまったが、要は全て同時に思い出したから疲れて意識が眠っている、ということなのだろうか。
「ああ、ごめんなさいね」
呆気にとられる俺と、カエデに気がついて続ける。
「まぁ、だから、リーチェは無事よ。あなたや、リーチェ本人が懸念していたような、今のリーチェが消えるということもないわ」
無事だということも、リーチェが消えることが無いという言葉にも、ほっとする反面解せない。
だが、過去の人とはいえ、殿下に対して気軽に声をかけても良いものか悩む。
「サクラ・アイニスも召喚者だったのか?」
カエデが驚きに膝をついたまま黒い瞳を大きく見開いた。伝承にあるサクラ・アイニスは黒髪黒眼の乙女だ。
たしかにカエデと同じ世界から来た可能性があるのかもしれない。
「私は転移者よ。ある日駅の階段から突き飛ばされた瞬間黒い大きな穴に落ちたの。目が覚めたら帝国の城の噴水の上。気がついた衛兵に不審者が聖女かと狼狽えられたのは、今から思えば少し面白いかしら」
口元に指を添えて、過去を回想する殿下は確かに少し可笑しそうに微笑んだ。
「リーチェが口にした前世の最後と同じだ」
「ええ。私はサクラ・アイニス。元の世界での名は水口桜よ」
カエデの疑問に答える形であっさりと口にされたそれは脳に混乱をきたすに十分だった。
「リーチェは自分が水口桜だと言っていたが」
「魂憑依した私の記憶の中でも、元の世界の記憶を見たようね。時々私が未来視した内容も見ていたようだけど。彼女の能力とも絡まって自分の前世が水口桜だと勘違いしたんでしょう」
......なんという迂闊さ。しかし天然なところのあるリーチェならあり得るかもしれない。
「ねぇ、アレク。目が覚めたリーチェが昔のままだとしたら友人を辞めるかしら」
殿下の言葉に一瞬、いやもう少し長い逡巡があった。今までも、まさかあのリーチェと仲良くなるとは、と思ったことが無いではない。
中等部時代のリーチェが付き合いやすい人間ではなかったことも確かだ。だけど、たとえ自分をミズグチサクラだと思っていたのだとしても、あのリーチェも間違いなくリーチェだ。
「いえ。辞めません」
「迷いがあったわね。辞めない理由があって?」
「恐れ多くも妃殿下。むしろ辞める理由がございません。どうあっても、リーチェはリーチェです。その魂の形は変わりません」
中等部時代のリーチェだって、悪くはなかった。今のリーチェと話せばわかる。言葉が足りなかっただけだと。目覚めた時に全てを思い出したリーチェがどうなっているのかはわからないけど、共に過ごしたこの数ヶ月を忘れていなければ、きっと大丈夫だ。
「そう。それならリーチェとあなたの記憶を消さなくて済みそうね」
ニコリと微笑まれても、その言葉の衝撃が大きくて言葉が出ない。
「私がこの時代にわざわざ危険な魂憑依を行ってまで飛んだ理由の一つはそれだもの」
「どういうことですか?」
「そうね、闇の魔術師の件も含めて色々話したいのだけど、まずはこのずっと跪いている彼をどうにかしてくれないかしら?」
ここまでずっと跪いていた先生にやっと触れられた。殿下が触れないのでどうしたものかと思っていたけれど、顔を上げたニコラス先生は幸せそうな表情をしていた。
幸せそうで何よりではある。
この回からしばらくアレク視点が続きますが
しっかり本編です。