閑話はサブキャラのもので 召喚者の苦悩
目が覚めたとき、そこは埃の舞う薄暗い倉庫だった。
「なんだ、これ」
さっきまで家のベッドで寝ていた。服装もパジャマにしている中学の時のバスケ部の練習着。頭だって寝癖がついていて、先ほどまで寝ていたことを物語っている。
寝ぼけた頭で周囲を見回せば、足元には厨二病全開の魔法陣らしきものと、近くにやけに派手な制服、手紙が置いてあった。
『元の世界に戻りたければ、物語を完成させろ』
一言添えられた手紙と共に、情報量の多い資料も添えられている。誰かの人生を素行調査したんじゃないかと思うほどに詳細な人物像だった。
「ジルバート・ドゥ・ノースモンド......?」
まるで、俺が書いている異世界小説の貴族のようだ。そこまで考えてから再度資料に目を通す。
「ライオネル......アーサーにローズまで!!」
人間関係を描かれたその資料には俺が趣味で書いている小説の登場人物たちが記されていた。
「ああ、やっぱり夢か」
今まで客観的に見ていた世界に自分が入り込むなんて、よっぽど疲れているに違いない。
まだ幼い妹の咲歩の容体が悪く、連日看病していた疲れが出たのだろう。母も父も、難病をかかえる咲歩の治療費を稼ぐため忙しく働いており、たった一人の兄である俺が、咲歩にとっては外から来るほぼほぼ唯一の人間だった。
面白い夢を見たと咲歩に話をしたときに、小説にして見せてほしいとせがまれて書き始めたのが最初だったな、とふいに思い出しながら、せっかくなので用意された制服に袖を通す。
どうやら俺は精神干渉の魔術を使える、という設定のようで、異世界でも目立たないように皆の意識を変えることができるようだ。
見た目を変える方が早いと思ったが、得た魔術の意味を知るのはそれからすぐのことだった。
分からないことがあるたびに人に聞き、怪しまれるたびに記憶を消す。
特に一緒にいることの多い、生徒会のメンバーの中には幼なじみの設定であるアーサーや、ローズ、ライオネルがおり、自分の記憶には無い思い出話にそれらしく参加することも一度や二度ではなかった。その度に彼らの思い出の中に自分がいたと思い込ませる。
初めは自分が描いたキャラに会えたことで舞い上がっていたが、中々覚めない夢に自分は何をやっているのかと空虚な気分に襲われた。
親しみの込められた彼らの態度も全てまやかしなのに。
だから、「光の魔術師が階段から落ちたことでローズが責任を感じているんだ」と、アーサーから相談されたときに、やっと始まった、と喜んだ。
ストーリーが進めばこの夢も覚めるのだろう、と。
セシルのコーヒーを皿で受け止めた時は笑った。こういうのもありだったか、なんて。アレクの時も、一応はイベントが起こったから気にしなかった。
エドワードのときにコソコソと相談する彼らを見て、初めて少し焦った。
自分の知っているストーリーと少しずつ変わってきていると。
その不信はライオネルの時に確信に変わった。
念のためにかけた精神干渉の魔術はよく効いていて、妹に渡した睡眠薬も、事前に根回ししたドレスも落ち度はどこにも無い。
これだけ整えれば問題なくイベントを終えられるだろうと、怪しむユリナやエドワードを止めながらバルコニーを窺う。アレクが付いていくことは予想外だったが、おかげで想定以上に切羽詰まった状況になっているようだった。
心配するユリナをバルコニーへ行かせて、暫くしてから付いていき、ライオネルが光の魔術師を殺そうとしている、と騒ぎ立てる予定だった。
なのに、灰銀色の髪を靡かせた男がそっとドアを押した。
開かないように魔術を施していたのにも関わらず、いとも容易く。
開いた扉から風に乗って聞こえてきたリーチェの叫びは、俺の知っているリーチェとは何もかも違っていて、確信せざるを得なかった。
あれは俺の描いたリーチェではない。あれは誰だ?
気がついてみればおかしいことだらけで、お茶会の時のスモークも、存在は知っていても、仕組みを俺は知らない。俺が理解できないものが、俺の夢に出てくることについて不思議に思わなかったわけではない。
だけど、気がつきたくなかった。
「ジル様?どうかされましたか?」
手元の資料を片付けながら、心配そうに覗き込む彼女に罪悪感で胸が疼く。
「考え事をしててな。心配してくれてありがとな」
だって俺は、何も悪いことなんてしていないこの少女を、あの手この手で傷つけようとしている。
それがフィクションじゃなくてリアルなら、そんなこととてもじゃないけれどしたくない。
身体的に、精神的に傷つけて、最後は......、最後?
この物語はまだ途中で、ラストを決めかねている。夢に見たあの景色はラストにはふさわしく無い気がして。
こちらのリーチェはフラグを折ってしまったが、本来のセシルと立てたフラグを回収する方がまだ現実的だと考えていた。
そこで、嫌な考えが頭をよぎる。
ここがリアルな世界だとしたら、この世界に俺を呼んだ人間は、リーチェを光の魔術師を、どうしたいのか。
殺したいわけじゃないのに、傷付ける意図はなんだ?
憎しみか?あるいは、......弱った隙に付け込みたいのか?
誰かにとって都合の良い最後になるように俺が召喚されたのだとしたら。あの手紙は真実、物語をこの手で完結させるまで帰ることができないということになる。
体から血の気が引くのを感じる。全身に鳥肌が立っているんじゃないだろうか。
何日が過ぎた?
俺はあちらの世界でどれだけの時間いないのか。咲歩、咲歩は?
か弱い妹の笑顔が脳裏によぎる。いつ容体が急変してもおかしく無いと言われている妹に、この間にも一生会えなくなる可能性があるのか?
一人にしないと約束したのに。
俺の痕跡が何もないこの世界で、ただ、誰かのための物語を完結させるためだけの舞台装置として、俺は何のためにここにいるんだろう。
気が狂いそうだ。
誰か助けてくれ。元の世界に返してくれ。父さん、母さん、咲歩会いたいよ。
「一人でよく頑張ったな」
この世界で唯一俺が異世界人だと見破る可能性のあった、大賢者。
味方が誰一人いないこの世界で、バレたらどうなるかなんてわからなくて、怖くて。避けて避けて、避け続けた彼が。
こんなにも優しい声で、優しい瞳で、頭を撫でてもらえるとは思わなくて、まだ何も解決してなんかいないのに、止めどなく涙が溢れた。