2-27 古来より友情は殴り合って深まるもので
艶やかな銀灰色の髪をなびかせて、私を庇うように間に立ったウィルは、剣を弾かれて手元に新たな剣を生み出そうとしているエドワード王子の腕を掴む。
その瞬間魔術が解け、今まさに剣になろうとしていたクリスタルがバラバラと音を立てて手からこぼれ落ちた。
「お前はまさか、無効の魔術師か」
「精神干渉を受けながらその結論に達するなんて、さすが王族ですね。アーサー殿下よりも優秀でいらっしゃる。」
そっと手を頭に当てる。
「ぐっ、やめろ、やめろ!痛い、いたい」
涙目になりながら背の高い男に羽交い締めにされているエドワード王子はか弱そうで、絵面だけ見たら完全にウィルが悪役だ。
「ああ、かなり強固に精神干渉の魔術がかけられていますね。我慢してください」
笑顔のままではあるものの、ツ、と頬を汗が伝う。
「嫌だ、誰も傷つけたく無い。例え騙されていたとしても」
ああ、もしかしてエドワード王子は、精神干渉の魔術で一度増幅された裏切られたという気持ちを、抑え込んでくれたのか。
だから見たことないぐらい瞳が濁っていて、一回では魔術を解くことができなかったのか。
「種類の違う精神干渉の魔術がかかっていたようです。これなら」
言うなり力がこめられたことがわかる。意識を飛ばし、ぐったりと倒れたエドワード王子を抱えて、ウィルはへたり込んでいる私も片腕で引っ張り上げた。
「わわ......っと」
「二度と、諦めないでください」
真剣な目が私を射抜く。いつもの笑顔は無く、諦めた私を責める色に思わず何度か頷いた。
「貴女が変えてきた未来には、ちゃんと意味があったのですから」
「え?」
元の話を知っているとしか思えないその言葉に、思わず声が出た。問い正そうとする私に間を与えずに、背を向けて歩き出したウィルを慌てて追いかける。
「リーチェ、目が覚めた時に側にいてあげてください。誰よりも貴女に褒めて欲しいはずです」
2種類の精神干渉魔術を使わなくてはいけない程に対抗してくれた。そんな人はエドワード王子だけだ。
「ええ。」
目が覚めたら一番初めに謝ろう。それからありがとうと伝えよう。
誰よりも、私たちを友と認めてくれるこの人に。
エドワード王子の目が覚めるまで、さっきの言葉の真意を聞こうと思ったのに、保健室のベッドに寝かせるなりウィルはさっさと部屋を出て行った。
ベッドで眠るエドワード王子の顔を見る。幼さの残る顔立ちに、ストロベリーブロンドのまつ毛が長く目元を彩る。
彼を知れば知るほど、あの小説の軽率な人柄とは無縁に感じるのに。乙女ゲームルートの方がよっぽど、彼らしい。
あの小説は一体何なのだろうか。この世界とどう関わりがあるのだろう。
今まで一度も疑問に思ったことはなかった。転生系の物語にはその辺りに言及されている物が少ないから、そういうものだと思っていた。
だけど、現実としてこの物語の中に転生した私は、何故この世界だったのかを知りたい。この世界が似た別の世界なのか、本当に小説の中の世界なのか。
「......リーチェ?」
ごそ、と動く気配がして、エドワード王子が起きあがろうとした。慌ててそれに手を添える。
「あ、腕。ある、ね」
良かった、と心から言うエドワード王子に胸が詰まる。
「黙っていて申し訳ございませんでした。」
「ん、いいよ。知ってたんだね、我が国の風習を」
「あ、はい。」
ひどくあっさり許されて、思わず素直に答えてしまう。
「まぁ言ってくれなかったのは寂しいけれど、仲良くなる前の僕なら確かに腕を取っていたかも知れないね」
苦笑しながらそう言うエドワード王子はきっと気を使ってくれているのだろう。
「言ってもあなたは私の腕を取ることはなかったと思います。精神干渉の魔術に、私を許せない気持ちに抵抗してくださって、嬉しかったです。ありがとうございます。」
大きなアメジストのような瞳をさらに大きくして、それから心底嬉しそうに微笑んだ。
「ちょっとやそっとのすれ違いがあったって、僕らは友だちだからね。だから、エド様って呼んでくれてもいいんだよ」
「ええ、ありがとうございます、エド様」
たぶん、ユリナやアレクはとっくにそう呼べたのに、私に合わせてくれていたのだろう。私だけが頑なにそう呼ばなかった。
いつか刃を向けられた時に友人だと思っていたのにと、裏切られた気持ちになることが怖くて。
「え、あ、うん。......うん」
照れたように赤くなるエド様は、私にそう呼ばれることを想定していなかったのだろう。不敬にならなくて何よりだ。
「それにしても、あの手紙はリーチェじゃないならローズかな。皇太子妃のネットワークを使ったのだろうけど、何故教えてくれたのだろう」
「ローズ様はお優しい方ですから」
「うーん、善良な人間ではあるけどね。それ以上に皇太子妃として適性な人間であるからね。アーサー以上に皇族らしいよ。何か意味があったんだと思うな」
「それなら、エド様が優秀だからではないですか?」
「へ?」
「私が皇太子妃なら、周辺諸国の王は皇太子よりは少し劣るぐらいが理想的です」
「そんなことないよ、上の兄たちの方が僕よりよほど優秀で立派だ」
「私はお兄様たちにお会いしたことはありませんが、エド様がアーサー殿下より優秀なのは確かですよ」
心の底からの本音を言う。なんと言ってもあの馬鹿皇太子にはセド様諸共殺されそうになったのだから。
「ねぇ、ちょっとどうしたの。ご褒美?」
見たことないぐらい顔を真っ赤にしたエド様が、布団を鼻の上まで被せる。
「誉め殺しなんてやめてよ。そんな目で言われたら勘違いしそうになるから」
「あ、勘違いで思い出したのですが」
「そこは流すんだね」
なんか一気に冷めたよ、と苦笑しながら顔を出す。
「昔アレクの言った『大切な人』は、ローズ様のことで私のことでは無いのです。そちらも欺く形になって申し訳ございません。」
「うーん、そういうことにしておいてもいいけどね。アレクは、僕にとっては唯一と言っても良い友人なんだよね。」
鉱物の国、と諸国の間で地位を得ているのはここ数代のことで、昔は生命資源の少ない弱小国であったらしい。そこにマクトゥム家が介入し、宝石産出国としてのブランド地位を高めたとも聞く。
私が思っている以上に王家との絆は深いのだろう。
「これはお願いなんだけど、アレクの言葉を信じて欲しい」
「それは、ええ、もちろん。私もアレクの友だちですから」
「そうだね。だけど、僕のお願いを覚えておいてくれると嬉しいな」
エド様は、まだアレクが私のことを好きだと思っているのかしら。うーん、でもそもそも最初に勘違いしたのはエド様だものね。ありえる。
「ああ、そういえば、リーチェは精神干渉の魔術に随分詳しいようだったけど、それでウィリアムと親しくなったの?」
「え?いえ、何度か精神魔術の被害にあっていまして。ウィルには何度か助けてもらったのです」
「ああ、そうなんだ」
納得したように頷くエド様におずおずと、それ以上の説明を求める。
「あの、無効の魔術と仰っておりましたが......ウィルと何か関係があるのですか?」
キョトンとした顔で見つめられて、それから首をかしげた。
「んー、サクラ・アイニスの伝記にも載っていたと思うのだけど、無効の魔術師は光の魔術師よりも発現が少なくてね。ウィリアムみたいに隠していることもあるんだろうけど、全ての魔術を手で触れることで無効化するんだ」
「それって......」
「そうだね、ウィリアムは無効の魔術師だと思う。歴史上に名前が残っているのは生涯サクラの騎士だった人物だけだよ。その騎士も辺境伯家の出身だから、先祖返りかも知れないね」
皇族に利用されるのを嫌がって隠していたのは、そういう歴史があったからなのね。
「というか、リーチェはもう少し真剣に読んだほうがいいんじゃない?自分に大きく関わることなんだから」
「耳が痛いです」
最近こんなのばっかりだな。読んだはずなのに、自分の記憶力に呆れてしまう。
「それにしても、王族に精神干渉なんて命知らずなことをするよね。特に光の魔術師信仰の強い、僕の国だよ?王族に光の魔術師を害させるなんて。反乱が起きてもおかしくないよ。でもわざわざ帝国で、うちの国を狙うメリットも無いしね」
何がしたいのかよくわからないな。と首を傾げるエド様に、改めて、そうよね、と頷く。わざわざ精神干渉の魔術を使って、あの小説通りになぞらせる理由がわからない。元の小説を知らないエド様からすればますます意味がわからないだろう。
「エド様は、正気を失う前にどなたか、例えばジル様かローズ様とお会いになりましたか?」
「ああ、昨日ジルバートに会ったよ」
「昨日、ですか?」
「うん、放課後割とすぐかな?頼んでいた資料を届けにきてくれて」
私がジル様にお会いした時には、エド様の居場所はわからないと言っていたのに。疑っていたとはいえ、疑いがほぼ確信に変わるこの状況に、動揺してしまう。
あの、人の良さそうなジル様が?本当に?
「リーチェ、顔が青いよ、大丈夫?」
気遣わしげに私の背中に伸ばされた手が温かい。
「大丈夫です」
「あのね。自分の身近な人を疑わなくてはいけない気持ち僕には痛いぐらいわかるよ」
エド様はお母様を疑い、その企みを阻止したことがある。それこそ心は痛かったに違いない。
「疑いを晴らすために、聞くんだよ。調べるんだよ」
違ったならそれでいいじゃないか、と笑ってくれる。
「それで本当にその人が犯人だったら?」
「話を聞いてあげなきゃ。なんでそんなことをしたのか、どうしてそれをする必要があったのか。僕は、それをしなかったことを、少し後悔してる」
ああ、そうだ。この優しい人と対話することを避けて、こうなってしまった私だからこそ、今度こそ間違えないようにしたい。
ちゃんとジル様の口からジル様の事情を聞きたい。
事件と全然関係が無ければジル様にも助けて貰えば良い。
「エド様、ありがとうございます」
「ふふ、お礼は我が国への慰問でいいよ」
「もちろん、いつでも伺わせていただきます。だって私はエド様の友人ですもの」
この優しい友人の力になりたい。エド様もその少女のような白い頬を桜色に染めて、はにかむように微笑んだ。