2-15 王子の呪いはキスでは解けないもので
「ローズ?どこにいるの?」
光の差さない資料室に足を踏み入れることなどほとんどないが、愛しい婚約者のローズに呼び出されたのだ。行かないわけにはいくまい。
普段であればこんな人気の無い場所に、愛しい恋人から呼び出されれば、下心の一つでも持って来るところだが、なんせタイミングが悪い。
今朝、『犬』からリーチェと、セドリックを始末したと報告が入った。リーチェはともかくセドリックは完全に私情だ。ローズが知ればどう思うだろうか。
バレることはないとたかを括っていたが、リーチェを狙っていることを薄々気がついているようだった。
聡明なところもローズの美点の一つだが、今回ばかりは気が付かれたくない。
わざわざの呼び出しなど、一体何を言われるのかと不安になる。
「ああ!ローズそんなところにいたんだね。」
ふいに、ローズの輝く銀髪が目に入った。暗闇のせいか影がいつもより大きい。
こちらを見る瞳も暗闇のせいだろうか、感情の読めない透き通った紅色が光る。
神秘的にすら感じる彼女の立ち姿に思わずゴクリと喉を鳴らした。
彼女は何も言わず私に手を伸ばす、その手に導かれるまま顔を近づけた。
彼女の手が私の頭に触れ、頬に移動した。彼女の手に自分の手を重ねて、そのままそっと顔を寄せた。
「殿下!!何をしているのです!?」
部屋に響く大きな声に驚いて、そちらを振り返れば、今目の前にいたはずのローズが扉のところに立っている。
馬鹿な、それでは今ここにいるのは誰なのだ。慌てて前を見れば、空色の瞳と目があった。自分と似合いだと言われる、黄金色の髪。透き通るコバルトブルーの瞳。影になるほど通った鼻梁まで、今朝始末したと報告を受けたはずの、リーチェだった。
「視察前の慌ただしい時にこんなところに呼び出して、何事かと思いましたら......こんな......。ええ、ええ。わかっておりました。私では役不足だと。......っ、ごめんなさい。失礼いたしますわ。」
今にも泣きそうな顔で言い募るローズに、誤解だと、自分でも何が起きているのかわからないのだと、駆け寄ろうとも、不思議と足はその場に縫いとめられたかのように動かない。
ぽたぽたと、光る涙を落として部屋を後にするローズに、慌てて声をかけたところで、やっと足が自由になった。
「殿下、お目覚めになりましたか。」
ローズを追いかけようと、出口へ向かう僕の前に立ち塞がったのは、先程まで僕の腕の中にいたはずの、押しのけてきたはずのリーチェだった。
もう何がなんだかわからない。
思わず振り返って確認すれば、そこには誰もいなかった。
「哀れな亡霊が水の中から這い上がって来ましたわ。」
「そんな......いや、何のことかな。そろそろ視察の時間だよ。準備に入ってくれないと。」
不思議と、先程までリーチェに抱いていたはずの嫌悪感や、怒りがスッと冷めていた。
むしろ、自分が命じたにも関わらず、無事に安堵すらしている。
「殿下、視察が終わりましたらお話がございます。」
いつになく険しい顔のリーチェに、あえて笑顔で返す。
「アーサー、と呼んでくれないの?話があるなら今聞くよ、と言いたいところだけれど、すまないね。視察後に時間をとろう。」
早く、ローズの誤解を解きたい。自分でも何が起こっているのかわからないが。それでもリーチェにキスしようとしていた、という最悪の誤解を受けた状態を放置したくはない。
視察で母に何を言われるかもわからないのに。
......母が?何を言うというのだ。
リーチェとの婚約を、言い出すと聞いた。誰から?いや、思い出せない。
何故そう思い込んでいたのか。
いや、考えるのは後だ、ひとまずローズを探しに行こう。