2-14 水の中は冷たいもので
浮遊させている光の球以外は何一つ明かりのない暗闇で、二人分の息だけが響く。
バクバクと煩い鼓動を落ち着かせながら、手遅れになる前になんとかセド様に再生魔術を施す。
『甦れ』
人間に行うのは初めてのそれを、傷一つなく塞がった首を見て成功に安堵した。
先生はこれだけの魔力があれば何だってできると言っていた。けれどそれもイメージができれば、だ。
水が冷たい、服が重い、一命を取り留めたとはいえ、意識を失った男性を抱えながら浮かび続けるには神経を使う。
しかも、セド様は徐々に冷たくなるのだ。
私がなんとかしなければと思えば思うほどに何も思い浮かばない。
どうして、こんな思いをしなければならないのか。誰も彼も私が何をしたと言うのか。
光の魔術師というだけで。
「助けて、......誰か!助けて......。」
誰にも声が届かないことが、こんなに恐ろしいことなのか。
涙でぐしゃぐしゃになった顔もそのままに叫び声をあげる。
「誰か!お願い!」
ズリ落ちそうになるセド様を抱えながら、何度も声をあげる。浮かぶのは剣を構えて汗を流す、アレクの姿だった。
私、今度こそこのまま死ぬのかな。乙女ゲームルートでは悪役令嬢のバッドエンド、破滅回避ルートではヒロインのバッドエンド。すごく綺麗な対比じゃない。
こんなことなら、伝えれば良かった。
アレクの心に誰がいたって、伝えれば良かった。
いつどんなことになるかわからない世界にいるっていうのに、どうして簡単に諦めてしまったんだろう。
こんな間際に後悔するぐらいなら。
『......会いたいよ。アレク。』
心から漏れ出た言葉は、魔力を帯びて辺りに反響した。
「うわっ!」
ざぶん、と音を立てて人が水の中に落ちる音がした。
もしかして、そんなはずない。そう思いながら伸ばした手を掴んだのは、
「アレク......!!」
今一番会いたいその人だった。
「何でこんなところにいるんだよ、というかずぶ濡れじゃないか。セドリック様まで!いや、とにかくまずはここを出るぞ。捕まって、絶対離すな。」
抱きしめられて、驚く間もなくまとわりついていた水から解放されたことを実感した。
緊張で強張った私の腕は、まだセド様を抱きしめている。
アレクの転移魔術によって移動した先は、いつかの保健室だった。
「......いつまで抱いてるんだ?」
セド様から引き剥がされて、タオルを渡される。呆然としている私に小さいタオルを被せて、アレクがそのまま髪を拭いてくれた。
「どうして、きてくれたの?」
「リーチェの声が聞こえたから。呼んだだろ?」
その笑顔に、今度は安堵で涙が出てくる。涙を人差し指で拭って、ほっとしたように微笑むアレクにさらに涙が出た。
「無事で良かった。」
噛み締めるように、微笑んで、私が手に持っていた大きいタオルは肩からかけてくれた。
「御前試合は!?」
「大丈夫だ、まだ両陛下ともに来ていないし、始まるまでは時間がある。」
早朝の人目につかない時間を狙って行ったのだろう。まだ始まっていないと聞いてほっとした。
ほっとした?のっぴきならない事情でサボれるなら仕方がないし、状況を考えれば願ってもないことだと思っていたのに。
だけど、この国の未来を思えば、暴力で、権力で思い通りになるのだと、アーサー様に成功体験を積ませたくはない。絶対に。
個人的にもかなり腹を立てているのだ。二人分の命を思えば頭を触るぐらいなんの不敬にもあたらない。
それこそ、喉から手が出るほど望んでいるローズ様との婚約を、人質にしようじゃないか。
「ウィルを呼んできてもらいたいのだけど。」
まだ私が助かったことを知られたくはないのだと告げると、アレクが頷いて扉から出て行った。
転移魔術は秘伝の魔術だと聞く。それなのに私のために目の前で使ってくれたのだと思うと、今更ながらに嬉しくて、鼓動が強まった。
一人で、胸を押さえていると、横でセド様が呻き声をあげる。我に返って、冷静になった頭で防御層をイメージして空間に魔術をかけた。
「リーチェ!!」
アレクと一緒に戻ってきたウィルに抱きしめられる。
「ウィル!?」
驚きにウィルの腕を叩いてみるがびくともしない。さすが細くは見えても軍人の家系だ。
見かねたアレクが引き剥がしてくれて、やっとウィルも我に返った。
「すまないね。また貴女を失うかと思ったらいてもたってもいられなくて。」
「......ウィル、やっぱり私あなたとどこかで会ったことがあるのかしら。」
切なそうに目を細めて微笑むウィルに、まるで自分じゃないように、頭の隅で胸の鼓動が高鳴るのを感じる。
私はやっぱりアレクが好きだと自覚したばかりなのに。
ごほん、と咳払いを受けて、慌ててアレクをみた。
「そろそろ、どうして二人して抱き合って死にそうになっていたのか、教えてもらいたいんだが。」
不機嫌そうなアレクに、たしかに巻き込んでおいて何の説明もしていなかったと我に返った。
二人にことの成り行きを説明すると、アレクが驚きに目を丸くし、ウィルは「皇家の人間は相変わらずだな。」と、日頃の丁寧な物腰はどこへやら、嫌悪感丸出しの様子で眉間に皺を寄せた。
先帝の時に何かあったのだろうか。
「庇うわけではないけれど、精神干渉の魔術がかかっているのではないかと思う。」
「とはいえ、精神干渉の魔術は0を1にはできません。計画的かつ、自分の手を汚さないところを見ると、ノートリアム卿とは比べ物にならないぐらいタチが悪いと思いますがね。」
「そうね。だから一先ず正気に戻ってもらって、お灸を据えようと思うわ。」
私のお灸発言に、ウィルも楽しそうに唇の端を持ち上げた。そうして見ると、随分と腹黒そうな笑顔になる。
「それは良い考えです。そのためにはまず作戦を練らなくては。」
「ええ、その通り。既に大筋は考えているのよ。協力してくれる?」
「もちろん。」
「俺だって......!」
アレクが声を上げてくれる。麗しい友情だ。だけど、だからこそアレクには迷惑をかけられない。
「皇家を相手にするかもしれないのに、アレクを巻き込めないわ。」
私とは別に、皇家に対して何らかの思惑のありそうなウィルとは違う。アレクは完全に私のために言ってくれてるのだから。
それは、本当に嬉しいことだけれど、大切だから巻き込めない。
「リーチェ、前も言ったけど、俺は巻き込まれていない。次同じことがあっても一人にしないって。肝心な時に守れなかったんだから、協力ぐらいさせてくれ。」
大切な人にかけるような言葉に、勘違いしそうになる。本当に、勘違い甚だしい。
「......本当は、アレクがいてくれると心強いのよ。」
観念して微笑めば、アレクも安心したように、困ったように笑った。
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