2-12 天秤はより重い方に傾くもので
殺風景な縦に長いドーム状の建物で、床を足で叩いてみれば反響音が聞こえる。下にも空間が広がっているようだ。
一先ず、魔術で出した小さな炎で手を縛っていた紐を焼き切った。足も同じように焼き切る。
立ち上がって天井を見上げれば、真上はぽっかりと丸い穴が空いており、朧月が夜を示していた。
指先に炎を灯して、出口を探してみるも、出口らしいものは全くない。あの少年はどこから出たというのだろうか。
隠し扉を探して壁を叩いても、空洞になっている箇所はなく音が吸収されるので、もしかしてここは地下なのかもしれない。
そうなると単純に建物を壊して出るわけにもいかない。最悪壊して出れば良いと思っていたので、すぐに手詰まりになった。
部屋の奥は下を覗けるようになっていたが、除いて見てもどこまでも暗く、深い闇が続くばかりだ。
探検はすぐに終了して、結局どこなのかも、わからないままだった。どうにもできないとわかると、もうどうでもいいような、投げやりな気分になってくる。
ライオネル様やニコラス先生が証言してくれるだろうから、サボりの烙印は避けられるし、とはいえ行事のドタキャンは両陛下にとって心象良くはないだろうから、婚約者候補からも外れるだろう。
願ってもないことじゃないか。
心残りは、与えられた仕事を全う出来ないことぐらいか。
本当に明後日になったら出してくれるつもりなのかはわからないけれど。3日も音信不通になればアレクやユリナが探してくれるだろう。
投げやりな気分で壁を背にぼんやり考えていると、そういえばここはどこかで見たことがある気がするな、と脳が勝手に記憶を辿りだした。
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リーチェ・ファン・フローレンスは皆が言うほど厄介な生徒だとは思わなかった。
確かに空気の読めない発言は貴族令嬢として致命的ではあるものの、その美貌や光の魔術師としての魔力の強さは十分彼女を危険から遠ざけてくれるだろう。
空気は読めないが愚かというわけでもなさそうだ。とりわけ人を見る目は確かで、仕事ができたり、高位貴族であっても、性格に難のある人間には近寄らないようにしているようだった。
そういう意味で、リーチェが身構えずに話す生徒会の人間は妹のローズと私だけだった。
花が綻ぶように微笑む様は純粋に可愛らしくて、ローズとは違う意味で妹のように可愛がっている。
「セドリック様。ご相談があるのですが、よろしいでしょうか。」
そのリーチェが、常に無く困ったように首を傾げる姿に、只事ではない、と人気の無いところまで移動した。
「実は、我が家に皇后陛下から婚約の打診がありまして。」
驚きに目を見開いた後、公爵家の考えそうなことだと眉間に皺がよった。
皇帝派筆頭の侯爵家から皇后が輩出されてしまえば、ましてや第一皇子を産めば。公爵家の入り込む余地はない。アーサー殿下はローズを愛しており、今のところ側妃を取る気配もなさそうだ。
しかし、リーチェを強引にでも皇后に据えれば、ローズを愛しているがゆえに、殿下はローズを側妃におくだろう。そうなると今度は皇帝派の派閥が強くなりすぎる。公爵家からも側妃を迎えるという話が出る。
そういった画策に、反対の出にくい皇帝派で、本人がブランド力のある「光の魔術師リーチェ・フォン・フローレンス」は非常に使い勝手がよいのだろう。
「どうするつもりだ?」
「それこそ、我が家には断れるだけの政治的発言力はございません。」
ローズとアーサー殿下の仲を割くことは本意では無いのだろう。顔を青白くしながら、声を小さくして俯いた。
「わかった。アーサー殿下に相談してみよう。シャルル侯爵家としても秘密裏にそのような動きがあることを見過ごすことは出来ない。」
シャルル侯爵家とて、派閥の力が弱まったとはいえ建国以来の名門貴族だ。素通りされて黙っているわけにはいかないだろう。
「リーチェが教えてくれたおかげで、早めに手が打てる。助かった。」
安心させるように肩に手を置いて微笑むと、ホッとしたように強張った顔も笑顔に変わった。
「殿下、今なんと?」
「二度は言わない。」
窓の外を見て、こちらに背を向けたまま告げられた、リーチェ暗殺の命令に耳を疑う。
「皇帝陛下は?皇后陛下の進言を受け入れられたのですか?」
「先日のライオネルによるリーチェ暗殺未遂によって、我が国の光の魔術師への信仰が薄れていることを懸念している。と母は父に告げた。」
「......シャルル侯爵家を軽んじることについての申し開きは無いのですか。」
「もちろん、ローズにとっては不名誉なことだろう、と隣国の王妃として推薦すること、国庫から賠償すること、ローズが望むのであれば側妃の座を用意することを提案された。」
確かに、自国で皇后になることも、他国で王妃になることも名誉であることに変わりは無い。
しかし、その政治的意味合いは大きく変わる。
「大義名分が大きすぎる。ライオネルが私の片腕として既に実務に当たっていることも悪かった。」
皇太子の腹心が、光の魔術師を殺そうとした。これほど外聞の悪い事件も無いだろう。
「公爵家にとっても親戚だ、公にするつもりは無いだろうが、リーチェに口止めは強制できないだろう、と暗に匂わせて父上を説得された。」
「リーチェは、少し空気の読めないところはありますが言いふらすような娘ではございません......!!」
「わかっている。これでも人を見る目はあるつもりだ。だがな。私情だけではない。国益を考えてもローズ以上に皇后に相応しいものはいないのだ。」
それは、明らかな私情だ。しかし、公爵家にこれ以上権力を握らせることは避けたいのも確かで。跡継ぎのいない公爵家では、次に実権を握るものがどんな人間かもわからない。
国の平定を思えば、皇帝よりも強い貴族はいるべきではない。
「......承知、致しました。」
目を閉じれば、あの天真爛漫な笑顔が浮かんできて、罪悪感に潰されそうになる気持ちを奮い立たせた。
自分の下でぐったりと横たわるリーチェを見て、随分信頼されたものだと、自嘲した。できればその信頼を裏切りたくはなかったと都合の良い考えに蓋をする。
ティータイムに誘い、紅茶に睡眠薬を盛った。殿下に借りた『犬』を使って秘密裏に運び込んだのは貯水槽だった。
事故に見せかけるために、雨の降る日を狙った。視察までに雨が降らなかったらまた別の方法を考えなくてはいけなかったから、好都合だった。
リーチェは散歩中に、何故か蓋の空いていた貯水槽に落ち、そのまま気を失って溺死した。
というシナリオだ。随分雑だが、雑だからこそ疑われにくくもある。
貯水槽に降りるための階段は『犬』の土魔術で封じてもらった。
あとは魔術で水を注ぐだけだ。
「別にさ、ただ殺すだけなら僕らに頼めば良かったと思うよ。」
横から『犬』のリーダーに声をかけられる。顔を見られないよう仮面をつけてはいたが、声は少年のものだった。
貯水槽の奥深くに横たわるリーチェを眺めながら躊躇う私に、悪魔のように囁く。
「主は貴方をどう扱うか悩んでおられる。養子であり次期侯爵候補から辞退した貴方を。ローゼリア様の一番近くで愛情を注ぎ、愛情を受けてきた貴方を。」
ひやりと、背筋に汗がつたう。薄々感じてきた、殿下からの漠然とした敵意。
「この件は貴方にとっても試金石だと思いますよ。」
仮面で表情は見えないはずなのに、確かにニヤリと笑った気配がした。
「なーんて、主の考えは僕にはわからないけどね。なんせ犬だもの。」
場に似つかわしくないほど明るい声を出して、それでもこの場を去らないのは、私を見張っているのだろう。
私が裏切れば、彼が私を殺し、リーチェの横にその死体をならべるつもりなのだろうか。否、もしかしたら成功したとしても。
嫌な考えにゾクリと肌が粟立つ。
侯爵家につらなる人間が光の魔術師を殺した。
これ以上シャルル侯爵家に首輪をつけられる出来事もないだろう。
それでもここまで来てしまえばこの道しか残されていない。確実に殺されるか、殿下に秘密を共有する腹心として受け入れられる可能性があるか、だ。
覚悟を決めて、水を注ぐ。分家の末端であっても本家に迎え入れられた魔力量に偽りはなく。
貯水槽を満タンにするだけの水は容易に溢れ出た。
リーチェが目を覚まして、私の顔を見なければ良いと願う。せめて、誰に殺されるかわからないまま、眠ったまま。
貯水槽に響くように鳴っていた水音は静まり、『犬』の彼が蓋をした。
酸素が入らないように密閉して、空気を抜いた。
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貯水槽に響き渡るけたたましい水音と、服が張り付く不快な感触に現実に引き戻された。
曇り空に明るくなった感覚がなかったが、とっくに朝になっていたようで、しかも水を注ぎ込まれている最中だった。
どうしてこう!!ギリギリに思い出すのか!!
アーサー様......乙女ゲームルートでも、破滅回避ルートでも最悪なのは貴方だけですよ!!
セド様とお茶をしていたわけではないし、回想にはなかった、『犬』の少年との会話があったことからもどこまでセド様が関わっているかはわからない。
ライオネル様は暗殺未遂を行なっていないのだから、皇后陛下の付け入る隙もないはずで、それでも犬を動かしたのは精神干渉の魔術が使われているからだろう。
セド様は脅されているようだったから、今回も脅されているのかもしれない。
何にしても高く天から降る大量の水のせいで、誰が注ぎ込んでいるのかはわからない。
どうしてあの少年の言うことを信じてしまったのか。精神干渉の魔術を受けている殿下が、軟禁で満足するはずがないのに。
足元からどんどん上がる水位に、自分の迂闊さを呪った。