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1-5 思い出すのは大体夢の中で

 シャルル侯爵家の月女神。社交界でそう呼ばれている僕の姉は、その名の通り、銀髪赤眼の美しい少女だ。女神という大層なあだ名には、その高慢さへの皮肉も込められているのかもしれないが。


「ローズ姉上、どうかされましたか。」


 姉が散々当たり散らした部屋に入ると、苛立った様子でこちらを見た後数度深呼吸をした。扉の前に立ち尽くす僕を部屋の中に招き入れて、自分はソファに優雅に腰掛ける。荒れ果てた部屋とひどく不釣り合いな光景だ。


「セシル、わたくしどうしても許せない女がいるの。」


 既に噂は聞き及んでいる。姉上がいじめている生徒会書記のリーチェ様。最初は、自分がなれなかった生徒会役員に、あっさり入られたことが単純に気に食わなかったのだろうが......。


「あの女狐は、あろうことかわたくしの婚約者に色目を使っているのよ。殿下は騙されているの。」


 賢明な殿下のことだ、騙されているということは無いだろう。姉上の勘違いか、そうでなければリーチェ様がそれだけ優れたお人なのだろう。婚約者のいる身で他の方へ想いを寄せるというのは褒められたものではないが。


「セシル?」


 姉上の猫撫で声にビクリと肩が跳ねる。姉がこの声で僕を呼ぶ時は大体無茶なお願いごとをされる時だ。


「なんでしょうか。姉上。」


「我が侯爵家と王家が結びつくことは大変栄誉なことよね。」


「もちろんです。国内の貴族派と皇帝派の和解の一歩となるでしょう。」


「そうでしょう。そのために育てられてきたのだもの。」


 誰が、とは言わなかった、落とされるように告げた姉の言葉。両親は確かに僕らに深い愛情を注いでくれた。しかし、未来の皇后たる姉は必要以上に厳しく教育されてきた。可哀想な人。僕がこの人の無茶なお願い事をむげに出来ないのは、この人の努力をそばで見てきたからだ。


「あの伯爵家の女狐に、次期侯爵家当主としてクギを刺してちょうだい。」


「......姉上、次期侯爵家当主はまだ僕と決まったわけでは。」


「何を言っているの?貴方以外に誰がいるのよ。」


「義兄上が、」


「セドリックを義兄と呼ぶのは辞めなさい。血の混じった彼と兄弟だなんてゾッとするわ。」


「......それでも僕にとっては、お優しい義兄上です。」


 絞り出すように言えば、ふぅ、と息を吐きソファの背もたれへと体重をかける。


「......いいわ。けれど、貴方がどう思おうと、後継ぎはセシル、貴方よ。私が王家に嫁ぐ条件だもの。後継ぎとしての責務を果たして頂戴ね。」


「後継ぎとしての責務。」


「あの女を排斥して。侯爵家のために。」


 何かを言おうとして何も言えず、黙って頭を下げた。姉は満足げに赤い瞳と唇で弧を描いた。



 翌日、姉に言われた通り裏庭に行ってみれば、噴水の中で何かを探している女性がいた。


「リーチェ様?」


 太陽のように光輝く美しい金髪に、空のように澄んだ碧眼。長く美しい髪が風にたゆたって、眩しさに目を細める。


「どちら様でしょうか。」


 明らかに年下な見ず知らずの男に名前を呼ばれ、不快な顔をするでもなくただコテンと首を傾げた。愛らしい動きに年上であることも忘れて庇護欲が湧く。


「セシル・ドゥ・シャルル。中等部の3年生です。」


「シャルル家の......。セドリック様には生徒会でお世話になっております。」


「あ、ええ。兄からもリーチェ様の優秀さはかねがね。」


 ローズ姉上の恨み言でも言われるかと身構えていたため、肩透かしをくらった気分だ。


「とんでもありません。いつもセドリック様に助けて頂いてばかりです。セシル様は中等部で生徒会長をされているとか。優秀な弟君だと、セドリック様からもお伺いしております。」


「兄が......僕のことを。」


 姉上が僕を兄上から遠ざけていたため、兄がどう思っているか知る機会がなかった。そうか、兄上が僕をそんなふうに。一方的に尊敬していた兄から褒められていたと知り、自然と頬がゆるむ。


「私には兄弟がおりませんので、羨ましいです。」


ふわりと微笑まれ、慌てて緩んだ頬を引き締めた。不思議な人だ。人前で気を抜くことは少ないというのに、この方の前では自然と気が緩んでしまう。


「ところで、リーチェ様。なぜ噴水の中にいらっしゃるのでしょうか。」


 暫く噴水の中で会話をしていたが、どうにもいたたまれなくなり、思わず聞いてしまった。


「ああ、そうですね。落とし物を探しているのです。」


 途端、太陽のような笑顔が陰る。聞いてはいけなかっただろうかと狼狽えてから思い出す。今日ここに来るように指示したのは姉上だったと。顔を上げると渡り廊下からこちらを見下ろす姉上と目が合った。背中を嫌な汗が伝う。


「何を落とされたか伺っても?」


 声が微かに震える。彼女には伝わっていないだろうか。


「お借りした万年筆を。」


「それは、皇太子殿下からの?」


「ええ。」


「姉が、したことなのでしょうか。」


「ローゼリア様がお怒りになるのも尤もですもの。」


 否定することはせず、曖昧に笑って、また噴水の中を探す。


「貴女はそこまでして、何故生徒会の一員であろうとするのですか。辞めてしまえば。殿下達と距離をおけば苦しまずに済むのに。」


 そこまでさせているのは身内だというのに。自分でも何を言っているだと思うが止まらない。被害者と加害者、立場が明確に別れていることに、あろうことが僕は苛立っている。段々と声を荒げる僕を、澄んだ空色の瞳が不思議そうに見つめた。


「本当にそうでしょうか。」


「え?」


 意図を掴めなくて間抜けな声が口から漏れた。思いの外通る声には悲壮感などまるでない。


「私は辞めてしまえばもっと苦しむと思います。与えられた責任を果たせなかったこと。誤解を解けなかったこと。自分の無力さに一生苦しむなんて、ゾッとします。」


 肩をすくめながら悪戯っぽく笑う。


「私は、未来の私のために今頑張るのです。ローゼリア様も時間をかければいつか誤解だとわかってくださいますわ。」


 凛と未来を見据える瞳に思わず口から言葉が溢れた。


「敵わないな。」


 この人には、僕はおろか姉だって敵わないだろう。この人の前では自分の抱えていることが小さく感じられる。この小さな体のどこに、これ程の芯の強さがあるのか。この人に被害者という言葉は似合わない。僕もまた、意志を持って彼女と向き合わなくては失礼だ。


「貴女の覚悟は理解致しました。しかし、貴女が姉の邪魔をするのなら、シャルル侯爵家としてそれ相応の態度をとらせて頂きます。これは僕からの、」


 先程の彼女の言葉を思い出し首を横に振った。


「シャルル侯爵家次期当主からの言葉と受け取って頂きたい。」


 わざわざ言い直した意図などわからないだろうに、目を少し丸くした後、微笑んでくれる。


「かしこまりました。セシル様。」


 噴水の中から淑女の礼をとるリーチェ様は、きらきらと輝く太陽の女神のように美しかった。


 姉上に言われたからではない。シャルル侯爵家、直系の後継ぎとして、僕も後悔しないように決意を固めよう。いつかこの優しい人を傷つける日が来るとしても。僕は僕の責任のために、侯爵家のために生きるとしよう。


「ちなみに、万年筆は多分姉が持っていると思いますよ。姉が殿下の大切な物を水につけるようなことはしないでしょうから。」


 姉はそれほど愚かではない。物的証拠は残さないだろう。


「そうなのですね、ありがとうございます。もう一度ローゼリア様にお声がけしてみます。」


 噴水から上がるリーチェ様に手を差し出して支えた後、手の甲に口付けた。


「リーチェ様に敬意を込めて。」


 目を丸くした後、顔を真っ赤に染めて。先程の凛とした表情とはまた違う、愛らしい笑顔だった。


✳︎

 勢いよく起きて辺りを見回すと、真っ暗闇だった。手探りでベッドから降りてカーテンを開ける。段々目が慣れてくると絵画の中でしかみたことがないような、中世ヨーロッパ貴族の部屋が広がっていた。一瞬記憶が混乱するがなんとか思い出す。

 

 昨日は保健室にきたローズ様とランチをご一緒する約束をして寮に帰ってきたのよね。腰に回復魔術を使ったら眠くなってしまって、そのままベッドで寝てしまったんだった。


「さっきの夢は確か......。」


 乙女ゲームルートにおけるローズ様の弟セシルとのイベント、だったと思う。


 乙女ゲームルートを思い出したところで、破滅回避ルートのイベントが思い出せないと対策のうちようがない。ランチの前に人柄を思い出せたのは良いことだけど。良心的な人柄だったことに少し安心はしている。

 

 寝ぼけた頭でその後のセシルとのやりとりを思い出すが、乙女ゲームルートでは攻略対象ではないので、それ以降イベントはなかったはずだ。元ネタで出てこないのだから回避ルートでも関係ないだろうか?


 思い出せないことを考えて疲れてきた。明日のランチタイムは、まだ思い出せていない義兄のセドリックを警戒しておけば良いかな。元々の攻略対象だし。


 もう限界だ。何も考えられない。眠気に抗えず、思考を放棄して再度ベッドに潜り込んだ。布団の気持ちよさに、今度こそ良い夢を見れそうだと目を閉じた。


見て頂きありがとうございます。

来週も日曜日の夜ぐらいに更新いたします。

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