2-11 少女は王子の夢を見るもので
初めて、その少女を見た時には、こんなにも美しい人間がいるのかと驚いた。けれど、それだけだ。
今まで出会った誰よりも美しかったけれど、皇后として求められる資質は決して美しさだけではない。
その点、婚約者のローズは容姿、家柄、才能がバランスの良いご令嬢で、とりわけ政治的な意味では家柄に非常に価値のあるご令嬢だった。
人柄の難点を除いたとしても。
「殿下、お考え直し下さい。」
「ローズ、僕の判断に不満が?」
「あのような娘、殿下には相応しくありませんわ。生徒会に入れるなど......。」
「彼女は、聖地を守るフローレンス伯爵家の令嬢で、光の魔術師だ。これ以上生徒会に相応しい者もいないよ。」
「ですが!」
「ローズが不安に思う気持ちは蔑ろにしていないつもりだよ。だから君の生徒会室への出入りを許可した。わかるね?」
婚約者の機嫌を取るのもある意味仕事だろう。これ以上貴族派に力を付けさせるわけには行かない。皇帝派筆頭のシャルル侯爵家にそろそろ権力を分散させたいのだから。
「......はい。」
十分、その意図を理解しているはずの婚約者は最近立場を忘れた振る舞いが目立つ。主にリーチェ・フォン・フローレンスについて。
先日も上からリーチェが降ってきた時は驚いた。目撃はしていないが、おそらくローズかその取り巻きが突き落としたのだろう。
恐怖に震えながらも凛とした表情、私を見つめる空色の瞳は煌めいていて、随分眩しく感じたが......。
私にとってローズが大切なことに代わりはない。例え求めているものがその身に流れる血だとしても。
「僕は君を大切にしているつもりだけれど。足りないかな?」
困ったように微笑めば、ローズは頬を赤くして首を横に振る。そう、そうして僕に恋をしていてくれる限り、僕は君に優しくできるのだから。
間違っても国の宝である光の魔術師を傷つけないで欲しいものだ。
「アーサー、彼女の態度は目に余る。」
エドワードが珍しく、僕を呼び出して何の話をするかと思えば、ローズの話とは。
「そうかな?」
「そのうち、リーチェを殺しかねないよ。」
真剣な眼差しでそう言うエドワードからは、気迫が感じられた。
「それなら、エドが自国へ連れて帰れば良い。王妃に据えてくれるなら外交問題も僕が上手く処理するよ。」
「......フラれた。」
「え?」
王子の求婚を断る貴族がいると言うのか。
「皇帝陛下にご命令頂くことも可能だよ。」
「やめてよ。リーチェはこの国が大切で好きだから、その力で恩返しがしたいんだって。僕はそんなリーチェだから好きだし、尊重したいんだ。」
「そんなことを......。」
光の魔術師が愛国心を持っていることを喜ぶべきはずなのに、エドワードの優しい瞳に心が乱された。
僕と同じく王族として合理的で冷徹で、僕よりも仄暗い目をしていたのに。
「エド様!......殿下!失礼いたしました。」
金色の髪がサラと揺れて、どこまでも澄んだ空色の瞳が大きく見開かれた。桜色の唇から発せられる声までも可憐で、女神がいるならきっと、リーチェのような見た目をしているのだろう。
エドワードが嬉しそうに立ち上がり、リーチェの顔を上げさせる。
それでもこちらの様子を伺うリーチェに、「かまわないよ。」と声をかけると、安堵したように息をついて顔を上げた。相変わらず、見透かされるような眼差しだ。
エドワードに対する気安さと、僕への緊張の対比が面白くない。当然だ、過ごしてきた時間が違うのだから。ましてや僕はローズが嫌がらせをする元凶で、ローズを諌めていないのだから。
「君には、苦労をかけるね。」
罪悪感から思わず溢れでた言葉に、リーチェが目を丸くして、少しの逡巡の後「ああ、視察の準備ならばご安心下さい。」と的外れな言葉と共に、ガッツポーズをして見せた。
その姿が妙に愛おしくて笑いが込み上げてくる。そうか、彼女にとっては大したことでは無いのだな。と、愚かにも安心してしまった。
だから、苦労して作った視察の衣装が引き裂かれているのを見て、皆から隠れて涙する彼女に胸がいっぱいになった。
平気なわけがない、大したことないわけが無いのに。
「......殿下!お見苦しいところを......失礼致しました。」
「......ローズがすまない。」
「ローゼリア様とは限りませんわ。」
力無く笑うリーチェは、目元の涙を拭いながらそれでもローズを庇う。
「衣装はこちらでなんとかするから、今日はゆっくり休んで。」
「......殿下、これは私が任された仕事です。最後まで全うさせてください。」
「......君がそう言うなら。」
健気な姿に心を打たれたのだろうか。僕が?
心配で、セドリックとライオネルに頼んで見守ってもらった。側にはいられないこの身が妙にもどかしい。
それでも、芸術の女神の衣装に身を包んで、惜しげもなく晒される肩を見て、他の誰にも見せたくないと、愚かな嫉妬心が頭を掠めた。
「殿下!ありがとうございます。セド様とライオネル様が殿下に頼まれたと仰っていて。」
視察当日の朝に、生徒会で集まると真っ先に駆けて来たリーチェに、思わず胸が高鳴る。
「アーサー。」
「え?」
「他のみんなのように、アーサーと呼んでくれないの?」
ローズに目をつけられないよう、距離を取っていたはずなのに、気がつけば幼い子供のように拗ねた言葉が出た。
「アーサー、様。」
「うん。衣装、よく似合っているよ。」
リーチェの声で呼ばれる自分の名は、想像以上に甘い響きで、思わずスルリと言葉が出た。
美しいだけ、であってくれたら良かったのに。健気で、責任感が強くて、人のために、国のために身を捧げられるなんて、そんな心根の美しい人を僕は初めて見た。
「ありがとうございます。」
はにかんで笑うリーチェが妖精のように可愛らしくて、大事にしまっておきたくて。その気持ちに気がついてしまえば、もう戻れないと知っていたから、気が付かないようにそっと蓋をした。
「光の魔術師でも良いのではないかしら。」
だから、視察の日にお茶会で、皇后陛下が仰った言葉に、思わず喜びが滲んでしまったのだ。
「運営能力も高く、見目麗しく、お茶会で見せてもらった刺繍は職人も裸足で逃げ出すほどの出来栄えだったわ。家格も申し分無いし。なによりも光の魔術師だもの。」
ねぇ、陛下?としなをつくる母の意向はわかっている。貴族派筆頭ノースモンド公爵家にとっての最高は、公爵家の令嬢を皇后にすること。最悪は皇帝派筆頭のシャルル侯爵家から皇后が再度輩出されること。
学園の卒業と共に結婚する予定でいるため、母もなりふり構ってられなくなってきたのだろう。
皇帝派の中でも比較的中立に近く、政治的力の強くないフローレンス伯爵で手を打とうとしている。
政治的に考えれば、そのままローズとの婚約が続くことが最良に決まっている。わかっていても、期待してしまう。
リーチェが横にいる未来を。
「フローレンス伯爵令嬢もそう思うでしょう?」
「勿体なきお言葉にございます。私など、シャルル公爵令嬢の足元にも及びません。」
そんなことは無いだろう、と言えない程には、ローズは皇后教育をしっかり受けていたし、皇帝派のフローレンス伯爵家としても100点満点の回答だった。
「......そう。謙虚なことね。」
見た目よりも御しにくそうだと思ったのか、興が削がれた表情の母上と同様に、僕もまたがっかりした顔をしてしまった。
気がついた時には遅かった。
屈辱とショックに震えるローズは、憎々しげにリーチェを睨みつけていた。
だから、これは罰なのだろう。婚約者を蔑ろにした僕への罰。
目の前で腹から血を流すリーチェが、ぐったりと横たわっていた。
『いつか、ローズはリーチェを殺すよ。』
エドワードの言葉が脳裏に蘇る。
「......リー、チェ......。リーチェ!!」
慌てて、リーチェの元に駆け寄れば、側に立っていたローズが初めて見るような冷たい目をして見下ろしていた。
「ローズ!君なのか?リーチェを害したのは!?わかっているのか?光の魔術師がどれほど国の宝なのか。」
「陛下こそわかっておられるのですか?未来の皇后よりも一貴族令嬢を優先されることの意味を。これが最後の警告ですわ。」
言い募ろうとする僕を手で制して、浅く息を吐きながら、リーチェは体を起こした。
「おやめ......下さい。アーサー、様。私は何ともないのです。」
「何ともないわけないだろう!喋らなくて良い!今医者を呼んでいるから。」
「ローゼリア、様。......敬愛しております。貴女が私を嫌いだとしても。一途な愛も、殿下のための弛まぬ努力も。こんなところで手放さないで下さい。」
リーチェが伸ばした手の先を見れば、ローズは笑っていた。
壮絶な、笑顔。
ローズをここまで苦しめたのは、僕、なのか。
「手放すつもりなんて無いわ。貴女さえいなければ、全て元通りなのだから。」
今までで一番美しい微笑みを湛えて、優雅に首を傾げた。
「すまなかった。君をそこまで追い詰めたのは僕だね。」
謝罪の言葉を口にすれば、まだリーチェを抱えていることに不満気ではあるものの、目に光が戻る。
「けれど、リーチェがいなくなって、元通りになったとしても。僕は君を愛することは無い。これからずっと。」
ピクリ、と眉が上がる。
「王家の一員として、罪を犯した者を迎え入れることはできない。」
私情ではなく、確固たる事実として。そう告げた。
「どうして!?私の方が先に殿下を好きだった!殿下だって私を必要としてくれた。そんな子よりも、私の血の方が価値があるはずでしょう!?」
「恨んでも良い、僕は最後まで君にそう言わせるぐらい不誠実だった。......それでも罪を償って、いつかこの国へ戻っておいで。」
事実上の国外追放の宣告だった。
衛兵に引きずられるようにローズは連れ出され、部屋に残ったのは、僕とリーチェだけだった。
『甦れ。』
聞き取れない言語で、リーチェが呟いた途端、大きな光に包まれる。温かい母のお腹の中のような、あるいはぬるま湯のような光。
「今のは......。」
「陛下と、ニコラス先生しか知らない、光の魔術師の秘術です。」
服に血はついているものの、すっかり傷口も塞がり痕も残っていなかった。
「私は、ローズ様の追放を望みません。だって、本当に何ともないのですから。」
変わらない笑顔で困ったように、それでも瞳は真剣に。リーチェが訴えてくる。
「......そのようだね。でも婚約は解消する。罪は罪だ。」
「......そうですか。」
厳しい目をしたリーチェは、もう僕など好きになってはくれないのだろうな、と場違いにも頭をよぎった。
誤字脱字のご指摘ありがとうございます。