2-6 記憶が無いのは不便なもので
「ウィルを知らないかしら。」
ウィルと同じクラスの人を呼び止めて話しかけると、皆揃って目を丸くして、それから首を横に振った。
どうやら私がウィル、と親しげに呼ぶことに驚いたらしい。私から見るウィルと、他の人から見るウィルは随分違う印象の様だった。
「オルステン卿は紳士な方だから、気安く名前を呼べる雰囲気では無いわね。」
授業で顔見知りのご令嬢からそう聞き、親しみやすいという私の評価とは真逆で驚いた。
「ウィル!」
生徒会棟のあたりで見た、と聞いたので戻ってみると近くの廊下に立っていた。
用の無い生徒は近寄らないはずだけど、と首を傾げながら声をかけると、振り返って笑顔で近寄ってくる。
「久しぶりですね。刺繍の調子はいかがですか?」
「意外と才能があったようで絶好調よ。」
笑ってくれるかと思いきや、ふ、と真顔に戻って「そうですか。」と小さく呟いた。
「ウィルはどうしてここに?」
「リーチェこそ、私を探していたのでは?」
誰かから私が探していたと聞いたのだろうか。笑顔でそう言ったウィルに、頷いて事情を話した。
「それは不自然ですね。見てみましょう。」
「助かるわ!ありがとう。」
生徒会棟の前まで来てくれていたことも助かった。無駄に広いこの学園では、生徒会関連の用事を一箇所で済ませるために、会議室や生徒会室、応接室などのある棟を一つ与えられている。1年生の教室からは少し遠いためウィルがここまで来てくれていると無駄な時間を省けてありがたい。
「こちらよ。」
会議室に案内し、緊張した面持ちで待っていたセリーナをウィルに紹介する。
「こちらが、さっき言っていたデザイナーのセリーナ。私と一度会っているのだけど、それが彼女がいるはずの無い場所だったのよ。」
セリーナにもウィルを紹介すると、慌てて頭を下げた彼女に、ウィルが顔を上げてと声をかけた。
「レディの頭に触れるのは気がひけるけど。セリーナ、失礼するよ。」
ライオネル様の時の掴むようなアイアンクローとは打って変わって、そっとおでこに手を当てる。
これでわかるならアーサー様にも不敬じゃないかしら。いやいや、皇族の頭に触ることに代わりは無いものね。などと眺めている間にも、ウィルが「終わりました。」と立ち上がった。
「リーチェ、あなたの言う通りです。彼女は精神干渉を受けています。」
「やっぱりそうなの。」
印象の違う人柄、潜在的な欲望を曝け出す行動、そして記憶を失っていること。全てライオネル様と同じだ。ライオネル様と違い魔力耐性がないため、全てを忘れているのだろう。
「セリーナ、この学園に来てから貴女が関わったのは一体誰?」
「ま、待ってください!精神干渉っていったい、何ですか、私の身に何があったんですか。」
私達の言動に不安を駆り立てられたのだろう。それはそうだ。誰だってわけがわからないまま話を進められたら不安になる。
「私に貴女のデザインするドレスを着せたくて、貴女を魔術で操った人がいるわ。記憶が無いのがその証拠。お願い、誰とあったか思い出して。」
前世のストーリーをわざわざなぞらせている人がいる。いや、まだわからない。私が覚えていないだけでこのストーリーすらも破滅回避ルートの一部かもしれないのだから。
どちらにしたって、相手の姿が見えないことほど怖いことは無い。
「私を?なんのために......。」
それは私が一番知りたいわ。そう言いたい気持ちを堪えて、彼女の言葉をまつ。
「......生徒会の、方。私が基本的に関わるのは生徒会の皆様だけです。」
学園に来て、一般的に携わるのは生徒会役員だけだと言っていた。ただ、一方でここまでの道すがら生徒会役員以外に声をかけられていてもおかしくない、とも思う。
「ありがとう、セリーナ。怖いかもしれないけれど、私が貴女を守るから、一緒に御前試合を成功させてくれないかしら。」
声をかけると、何度かの瞬きの後瞳から迷いが消える。
「大丈夫です。私はこの仕事に誇りを持っておりますから。これぐらいで根を上げたりはしません。お嬢様、取り乱して申し訳ございませんでした。」
改めて頭を下げて、上げた時には最初と同じ笑顔を向けてくれた。
守ると言ったのだから、私がなんとかしないと。そう、強く決意して微笑んだ。
✳︎
「ただいま、みんな!」
御前試合を1週間前に控えた今日、武の神と芸術の女神の衣装披露のため、生徒会室にはメンバー全員が揃っていた。
生徒会長のアーサー様、副会長のローズ様、ジル様、会計のライオネル様、生徒会相談役のセド様。
その声が響いた時に全員が驚く顔をした。
「クリストファー!早かったね。」
「アーサー様、可愛い従姉妹の晴れ舞台と聞いて急いで終わらせてきましたよ。」
茶髪に茶眼、平凡な色彩でありながら整った顔立ち。イフグリード侯爵家の次男で、私の従兄弟らしい。
「夏までかかると聞いていたけど、そうか、リーチェはクリストファーと従姉妹だったね。」
母がイフグリード侯爵家の出なので、正しく従姉妹である。
「ご無沙汰しております。」
しかし、残念ながら当然のように記憶が無いため、当たり障りなく挨拶をした。
「なんでそんなに他人行儀なんだよ。昔みたいに、クリス兄様と呼んでくれ。」
母の家系ならばこの美貌にも納得がいくというものだ。清楚な母には似ておらず、軽薄さが滲み出てはいるが。本当に久しぶりだな。とクスクス笑いながら頭を撫でられた。
「今日は愛しのローズが女神に扮するとも聞いてるからな。見ないわけにはいかないだろう。」
楽しそうに笑って、私の後ろに回る。
「クリストファー!口を慎め、ローズは皇太子妃になる女性だ。」
キョトン、と目を丸くして、クリストファーは楽しそうに笑った。
「しばらく会わない間に、随分余裕が無くなりましたね。何かありましたか?」
「あるわけないだろう。僕達は順調だよ。」
ふぅん、と笑って、クリストファーが首を傾げる。生徒会にいる以上彼もまた、攻略対象の一人なのだろう。フレンドリーさに見え隠れする毒。
ただ、ここまで学園にいなかったのだから、最近の一連の事件とは無関係だろう。
それでも、あまりの毒に首筋が粟立つ。本能的に気をつけろと警告が鳴る。
この男は、私に危険を与えるものだと。