1-32 春の夜は大体朧月
私だけでなく、ノートリアム卿もまた予期していなかった人物だったのだろう。
容易く距離を詰めたかと思うと、腕に触れて、それから頭を掴んだ。
瞬間、ノートリアム卿がその場に崩れ落ちる。同時に、体の自由を取り戻したアレクも沈みこんだ。
「アレク!大丈夫?」
「ああ、いや。リーチェはやっぱ面白いな。」
力の抜けた笑顔を見せるアレクの言葉に、腑に落ちないところはあるものの、安心して胸を撫で下ろす。
それから、思いがけない助け舟に、その人を見つめた。
「ごきげんよう、光の魔術師様。はじめまして。ウィリアム・フォン・オルステンと申します。」
「......。」
懐かしさに、なんだか泣きたくなる。紛れもなく初めてのはずなのに。
月の光に照らされて、鈍く光る銀に近い灰色の髪も、深い森のような緑色の瞳も、どこまでも懐かしい。
「私、あなたとどこかであったことがある......?」
その人は笑みを深めて、首を横に振った。
「貴女と似た啖呵を切る方には、お会いしたことがありますが。」
ウィリアム・フォン・オルステン。たしかに、攻略対象では無い彼に、どこで会うというのか。
「オルステン卿。」
「お久しぶりですね。マクトゥム殿。」
「ありがとうございました。」
アレクが頭を下げる。それなら私こそが頭を下げなければいけないはずで。慌てて一緒に頭を下げようとしたところで、オルステン卿に静止された。
「辞めてください。私は私の主のために動いたにすぎないので、お礼を言われる筋合いはありません。」
「それでも。助けて頂いたことに変わりはありません。」
「ならば、御礼は我が主の代わりに受け取りましょう。私を遣わせた主に。」
「あの、貴方の仕える方は皇太子殿下、なのですか。」
すべからく、貴族は王家に仕えるものだ。となると、自動的に主は皇帝陛下か皇太子殿下になる。
しかし、オルステン卿は特に肯定するでも無く、曖昧に笑った。
「貴女のよく知る方ですよ。」
と。
オルステン卿は何も答えられない私に微笑んでから、ライオネルの体を持ち上げた。自分の身長より大きい男を、細身では考えられないほど軽々と持ち上げる。
「彼を連れて会場に戻れば目立つでしょう。私が控室に運んでおきます。」
そう言って、ひらりと隣のバルコニーへと飛び移り、控室へと窓から入っていった。
驚きに目を丸くしていると、アレクが横から説明してくれる。
「オルステン辺境伯家の血統魔術は身体強化だ。だからこその辺境伯家なんだよ。オルステン卿自身は他にも魔術を持っているみたいだけど。」
「そうなの。」
2人の姿が見えなくなってから、詰めていた息を大きく吐いた。彼についても気になることはたくさんあるが、まずは、
「......アレク、巻き込んでごめんね。」
私の勝手な事情に巻き込み、アレクを貴族殺しの大罪人にしてしまうところだった。近くに第三者がいれば大丈夫だろうと、何の根拠もないのに判断してしまった。
一人で行くのが怖かったから。その感情に負けてしまった。申し訳なくて、横にいるアレクの顔が見られない。
「何のことか全くわからないな。俺は、今後も同じようなことがあればついて行くし、リーチェを一人にするつもりもない。」
その言葉に弾かれたようにアレクの顔を見上げる。月明かりに照らされた金色の瞳が弓形に優しく細められていた。
「リーチェが何も言わなくても、俺は一緒に来たから。だから巻き込まれてない。」
自分から来たのだと、そう言ってくれる言葉に鼻の奥がツンとする。
そんな風に言ってくれる友達に出会えたのは、なんて得難いことなんだろう。
最初は推しキャラで、人柄を知れば知るほど何かと助けてくれるアレクに好意を抱いて。
けれど、アレクにとっての1番がローズ様だと知っているから、胸が痛む時もあった。
この気持ちが恋心なのか友愛なのかもわからないままだけど、恋ならば失恋は確定だ。
それでも、こんなにも友達として私を大事にしてくれる異性がどれだけいるだろう。
純粋な、友達として。
それはきっと恋愛で心を通わせるよりも難しいことで、そんな友人に出会えたことこそ感謝しなければいけないんだろう。
「ありがとうアレク。好きよ。これからも友達でいてね。」
「......ああ。」
滲んだ涙が、今更遅れてきた恐怖なのか、この淡い恋心との決別への憐憫なのか、混乱する心には判断がつきそうもなかった。