1-29 悪役令嬢は大体幼少期に活躍する
アレク達と合流して会場に入る。煌びやかな会場と笑顔で迎えてくれる上級生達。アーサー様とローズ様は数段高くなった踊り場に並んで立っていた。揃ったことを確認して、アーサー様開会の挨拶を述べられる。
この挨拶が終わってから、エドワード王子と一緒にアーサー様の元へ向かう。
なんだか緊張してきた......。転びそうだな。
「終わったね。行こう。」
エドワード王子に恭しく差し出された手を取り、そのままアーサー様の元へと向かった。
様々な視線が突き刺さる。怪訝な目、好奇の目、憧憬の目。ーーー敵意のこもった目。
敵意の視線の主を確かめたくて、周りを見渡したくなるが、ぐっと堪える。
エドワード王子のファンだろうか。けれど、それよりも明確に私に対しての敵意に感じた。
アーサー様の御前で、私は深く、エドワード王子は浅く頭を下げる。
「我が国の友人。エドワード殿下、顔をお上げください。フローレンス伯爵令嬢も面を上げよ。」
その言葉に揃って顔をあげる。
瞬間、敵意の目の主がわかった。同時に思い出す。
ライオネル・ファン・ノートリアム。
私を、殺そうとする男。
✳︎
暖かな春の木漏れ日、柔らかなレースカーテンが揺れる部屋で、母様が横になっている。
「ライオネル、おいで。」
ベッド脇で、母様に近づきたくてもじもじとしていた5歳の私を、母様がベッドへと持ち上げてくれた。
「ねぇ、かぁさま。僕ね、先生に褒められたの。」
線の細い、美しい指で私の頭を撫でる母。私はこの手が大好きだった。
「ふふ、ライオネルは私の自慢の息子ね。」
囀るような優しい声。童話に出てくる妖精はきっと母のような姿をしているに違いない。そう、子供心に思うほど儚げな姿。
「かぁさまは、妖精さんみたいだね。」
「あら、まぁ。妖精さんが好きなの?」
「......父上には内緒だよ。僕が妖精さんと会ってみたいなぁ、って言ったら怒られちゃったんだ。」
目を細めて、母が優しく笑う。
「ねぇ、ライオネル。かぁさまは妖精さんとお話しできるのよ。」
「本当!?かぁさますごい!!」
「内緒よ?二人だけの秘密。」
「うん!内緒!」
今なら父の気持ちがわかる。妖精達は何も悪くない。それでも、妖精達と意思疎通することで、確実に母の命は蝕まれていく。
母は光の魔術師なのだと。妖精達と意思疎通を行うことも、千里眼を使うことも、帝国貴族としての責務なのだと、誇りある役目なのだと、母を愛していた父は心底辛そうに、私にそう言った。
10歳になったある日、白髪に赤眼の魔術師が母を訪ねてきた。いつも、その魔術師が来る時、私と妹は挨拶だけして退出させられるが、その日はそのまま部屋に残るよう母に言われた。
難しい話を続ける母とその魔術師に段々と退屈になってきて、妹と共に母の元へ寄り添う。
「じきに、次の世を支える偉大な光の魔術師が誕生するでしょう。私はその繋ぎにすぎません。」
母の言葉に退屈が吹き飛ぶぐらい驚いて、思わず顔を見上げた。いつも優しい母が、信じられないぐらい凛とした顔でその魔術師を見つめていたことを覚えている。
「馬鹿なことを言うな。千里眼に妖精の使役など、私が教えた光の魔術師の中で最も高等な魔術だ。だから、二度と繋ぎなど言うな。」
「ありがとうございます、先生。でも、私には視えてしまいますから。」
千里眼を使える母に見える景色が何だったのか、10歳の僕には、いや、18歳の私にすら未だ分からない。
「ライオネル、私の自慢の息子。遠くない未来、新たな光の魔術師が誕生します。その方をよくお守りして。共に帝国の危機を乗り越えるのですよ。」
私が12歳になった時、母は息を引き取った。
どうして、国ために、母は死ななくてはならなかったのだろう。何故体の弱い母だったのだろう。
次の光の魔術師のために、神は体の弱い母を繋としてお選びになったのだろうか。
「ライオネル様。」
「ローズ様。来ないでください!」
母の葬儀の後、中庭で一人泣く僕の元へ、シャルル家の侯爵令嬢が声をかけてきた。
私達はお互いに母方の従姉妹にあたる。幼い頃はよく遊んでいたが、皇太子妃に内定されてから、会うのは久しぶりだった。美しい従姉妹に淡い恋心を抱いていたから、意図的に距離をおくようにしていた。
「ライオネル様。」
だから、よりにもよってこんなところを見られたくは無かったのに。
「大丈夫ですよ。貴方の涙を見る者はどこにもおりません。」
座っていた私の頭を抱えるように抱きしめられて、母の温かさを思い出す。
『惜しい方を亡くされた。あのお方のお陰でどれほど外交が行いやすかったか。』
人の声が聞こえて、二人して慌てて隠れる。
従姉妹とはいえ、こんな夜更けに皇太子妃に内定したローズ様と二人でいては、どんな悪評が立つことか。
『しかし、陛下も罪な方だ。愛妻家の宰相閣下に、自分の妻の寿命を縮めるようなご命令をなさるなんて。』
母の話をしているのだ、と理解し耳を澄ませる。どちらも面識の無い人物のようで、声に心当たりは無い。
弔問客であることは確かだろうが、声の軽やかさから、内容程は母の死を悼んでいない事が窺える。
『案外、陛下の目的はそれだったのかもしれませんぞ。なんせ、彼女の次代は、歴代最高の可能性があるそうではありませんか。』
『千里眼よりも優れた魔術となると、楽しみですな。』
頭にカッと血が昇った。母上の死を、なんだと思っているのか。
「撤回なさい。」
立ち上がろうとしたところで、ローズ様に先を越され、場を出そびれた。
「......ご令嬢。迷子ですかな。」
そっと男達を見ると、困ったように眉を下げていた。帝国には珍しい銀髪と赤眼。シャルル侯爵家に連なる者だとはわかるだろうが、まさかローズ様本人だとは思っていないのだろう。
「撤回なさい、と申しました。貴方達の言葉は陛下と、宰相閣下、何より故人への侮辱です。」
「難しい言葉を知っているんだね。どこのご令嬢かな?」
もう一人の男がローズの頭を撫でようと手を伸ばしたところで、少女とは思えないほど鋭い声が投げられた。
「私に触れて良いのは、皇太子殿下ただお一人です。」
その言葉に、ローズ様だと気が付いたのだろう。男達が揃って頭を下げた。
「し......失礼致しました。」
「それは、何に対してですか。私に触れようとしたこと?それとも、悲しむ者達の大勢いるこの屋敷で、おばさまを軽んじる発言をしたこと?」
聡明だとは言われていても、まだ10歳。これほどの覇気をどこに備えているのだろうか。
小さな体でありながら、既に統治者の才覚が見え隠れする。
「おばさまは、ご自身の意思で魔術を使われました。陛下や宰相閣下の命だけではありません。国のため、民のため、前線で動いてくださる方々のためにご自身の命をかけられたのです。気高き光の魔術師でした。その恩恵を賜りながら、よくそんなことが言えましたね。」
淡々とした声音ながらも、叫んでいるかのように聞こえるほど、強い意志。十分だ。だってこんなにも悲しんでくれる人がいる。わかってくれる人がいる。誰に何と言われようと、母上は、誇り高き光の魔術師だ。
「ローズ様、こちらにいらしたのですね。侯爵閣下が探しておられましたよ。」
何食わぬ顔で、3人の前に姿を現す。聞かれていたのではないか、と男達の顔が強張っていることも、最早気にならなかった。
「......でも、ライオネル様。」
「良いのです。心から悼んでくださる人がいる。それだけで十分なのです。弔問に来てくださったお客様の中に、厚顔の輩なぞいるはずもないのですから。」
「......そうね。本日はおばさまが旅立たれる日ですもの。お優しいおばさまに免じて、私は、一晩寝たら忘れて差し上げます。けれど......。」
ローズ様の一言にあからさまにホッとした様子の男たちに、口の端を釣り上げて続けて言う。
「眠る前までに、どなたかにお伝えしてしまうかもしれませんわね。」
その言葉に顔を蒼くする男達を見て、胸がすく思いだった。
「出しゃばってごめんなさい。」
「いえ、立場上、私が強く言い返すと角が立ちましたから。代わりに怒ってくださってありがとうございます。」
「代わりにではありません。」
「え?」
「私が、尊敬する大好きなおばさまを軽んじられたことに腹を立てたのです。」
ああ、どうしてこう、欲しい言葉をくれるのだろうか。
願わくば次の光の魔術師は、ローズ様のような人であると良い。
人のために怒って、人のために悲しんでくれる。そんな、人であって欲しい。