殿下、パンデミックでゾンビが溢れかえっている最中に婚約破棄だなんだと騒ぐのはやめてください
「スフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢っ。貴様との婚約を破棄させてもらう!!」
それは喧騒響き渡る夜会でのことだった。
この世の正義は我にありとでも言わんばかりの男が少女に指を突きつけて高らかとそう宣言していた。
男の名はゼグズラ=キングフォールド。大陸でも屈指の軍事国家において次期国王と名高い第一王子にして武術も魔法も並ぶ者なしと言われている『大陸最強』である。
『大陸最強』の看板に相応しく鍛え上げられた肉体の持ち主の突きつけた指の先に立つ少女はあまりと言えばあまりな展開に呆然としていた。
腰まで伸びた八の縦ロールに光り輝く碧眼。令嬢としての価値を高めるために着飾った少女はいきなりのことについていけてなかったのだ。
まさしくなぜ今こんなことを、と言いたげに。
「なんだその顔は。よもやとぼける気ではないであろうな。笑止! よもやこの我が貴様の悪行に気付いていないとでも思ったであるか!?」
「あく、ぎょう……ですって?」
「そうである! 貴様がミラフィア=リクエント男爵令嬢に対して嫌がらせを行ってきたことはとうの昔にわかっているのであるぞ!!」
大仰に、そして一切の汚点なき正義でも語るように第一王子はすぐそばの女の子を抱き寄せる。愛らしく、庇護欲を誘う彼女こそミラフィア=リクエント男爵令嬢。社交界の縮図、貴族間の『縁』を繋ぐためだけに利用されている学園において浮いている令嬢である。
何せ身分に関係なく誰にだって媚びを売っているのだから。それこそ婚約者の有無さえ無視して節操なく男を引っ掛けようとする様はなるほどなりふり構わずというものなのだろう。
それだけ図太く貪欲であること自体は貴族社会を生き抜くためには必要なものなのかもしれないが、何事もやり方を間違えては敵を作るだけ。ゆえに真っ当な判断能力を持つ令息たちはわかりやすいハニートラップに引っかかることはなかった。
逆に言えば、真っ当な判断能力を持たない奴であれば、愛らしい外見と甘ったるい態度で籠絡することも可能なのだろうが。
だけど、だ。
(中身はともあれ)肩書きだけなら当たりも当たり、第一王子という特大の男を引っ掛けて、邪魔な婚約者を切り捨てるよう誘導してみせたにしては男爵令嬢の顔色は悪かった。
今こそ人生の絶頂期、未来の王妃をもぎ取った喜びに表情が緩んでもいいものなのだろうが──何事も時と場合による。
「あ、あのぅ、殿下ぁっ」
「ああっ、そんなにも震えてかわいそうにっ。大丈夫であるぞ、そんなに怯える必要なんて何もないのである! もうこれ以上、絶対に、ミラフィアを傷つけさせないであるからなっ!!」
「いやぁ、だからぁ」
「我が婚約者に相応しくないクズとの婚約は今ここに破棄される、正義の名の下に! それが終われば、正義が示されたその後は、我が婚約者に相応しいミラフィアを伴侶と受け入れるであるからな!!」
「それはもちろんばっちこいなんだけど、そうじゃなくてぇっ!!」
どこまでも現実主義者であったために──そう、冷たいのだろうと自覚しているくらいに── スフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢は第一王子との婚約を政略的なものとしか捉えていなかった。
第一王子の婚約者として公的な場では求められるだけのことをするが、好きでもない男と仲良くする気はなかった。
あくまで政略的、互いに利益を追求した末の婚約だ。ゆえに公的な部分に影響を及ぼさないのならば愛人だろうがなんだろうが好きにすればいいということで第一王子が男爵令嬢に手を出していることも黙認してきた。
そう、スフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢はとっくの昔に第一王子と男爵令嬢の関係に気付いていた。それでも、それが王族としての公的な役目に影響を及ばさない範囲での火遊びであるだろうと捨て置いていたのだ。流石の第一王子もその辺りは弁えていると考えていたために。
ここまで馬鹿だとは考えてもいなかったが、ここまでならスフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢も失笑と共に切り捨てただろう。第一王子との婚約はあくまで公的な、利益のみを追求したもの。ここまで一方的な婚約破棄であればドラグエル公爵家の利益に繋げることができる。……そもそも王命でもなければこんな男との婚約など断っていたのだから。
だから、婚約破棄は別に構わない。
どこで情報が捻れたのか身に覚えのない男爵令嬢に対する嫌がらせが婚約破棄の理由となっているのならば、今のうちは静観するのも一つの手だ。のちに嫌がらせがデマであった証拠を王族にでも突きつけて婚約破棄と利益、両方を手にすることもできるのだから。
だが、やはり何事も時と場合による。
流石にスフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢も黙って流れに身を任せているわけにもいかなかった。
なぜなら現状はまさしくそんな場合ではないのだから。それこそ『この後』なんて考える余裕すらないほどに。
「一ついいですか?」
「なんだ? もしやまだとぼける気であるか!? 我はミラフィアの悲痛な叫びを聞いたのである。助けてと、頼られたのであるぞ! 貴様がいかに逃げようとしても、必ずや裁いてくれるのである!!」
……もしかして嫌がらせとやらの嘘の目撃者すら用意されていないのでは? とあまりといえばあまりに杜撰なハニートラップである予感に呆れそうになるが、そんなものに構っている場合ではない。
何事にも優先順位がある。
ゆえにスフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢は相手が王族なんてことすら忘れて、感情のままにこう突きつけていた。
「殿下、パンデミックでゾンビが溢れかえっている最中に婚約破棄だなんだと騒ぐのはやめてください」
現状?
夜会が行われている王宮のホールの外にゾンビが溢れ返っていた。
ガシャガシャガッシャア!! と夜会の会場であるホールの窓ガラスを無数のゾンビが叩き割らんとする雑音が炸裂する。今は夜会参加者の貴族の護衛たちが魔法で建物を守っているのでゾンビが窓ガラスをぶち破って殺到するような事態にはなっていないが、それも時間の問題だろう。
持久戦となれば動いているとはいえ本質的には死者であるゾンビが圧倒的に有利だ。何せ彼らは食料や水を必要としないのだからこちらが飢えて死ぬまで建物をぐるりと囲んでいればいい。
いいや。
護衛たちの魔力が切れて建物防衛のための魔法が霧散、ゾンビたちに貪り食べられるのが先かもしれない。
「非常事態だからこそ『いつもの日常』を乱したところで良い事はない、でしたっけ? 心底くだらないとはいえ殿下からの命令だから仕方なく付き合っていましたが、その結果はこれです。わたくしたちが夜会に興じていた間に王都の最終防衛ラインは突破され、逃げる隙もなくこうして王都全域にゾンビが溢れ返ることになりました。この状況で婚約破棄だなんだと騒ぐとは本当何を考えているんですか?」
「ふんっ。そうやって逃げようとしても無駄である! 正義は我にあり、ゆえに崩されることはないのであるぞ!! 非常事態だからといって『いつもの日常』を乱す理由はあらず。いいや非常事態だからこそ、人間らしく生きるべきなのである!!」
「頭、おかしいんじゃないですか?」
「悪がなんと言おうとも、我は正義を貫くのであるぞ! その繰り返しが世界に平和を導くのだから!!」
話が通じないにもほどがあった。
いかに公爵令嬢とはいえ護衛の全てを失ってようやく王都まで逃げ込んだ彼女には流れを変える力なんてなかった。
だから。
軍事国家の第一王子という『力』持つ男の横暴だけが席巻する。非常事態だからこそ『いつもの日常』を、そんな言葉と共に。
「さあ、今こそ正義の名の下に断罪してくれるのである! スフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢よ、貴様を──」
そして。
そして。
そして。
ゴッッッガッシャア!!!! と。
ゾンビたちが放った魔法によって窓ガラスどころか壁そのものが木っ端微塵と吹き飛んだ。
ゾンビの本質は死者であるが、決してただの動く肉塊にあらず。身体能力の向上に加えて生前の能力をそっくりそのまま扱うことができるのだ。
ゆえにゾンビもまた魔法を扱うことができる。最終防衛ライン、王都を守護していたはずの軍勢がそっくりそのままゾンビ側に寝返った形であることを考えれば──貴族たちの護衛だけで耐え凌ぐことなんて不可能だったのだ。
「ひっ、ひいいいっ!?」
「嘘だろおい、なにくたばってんだよお前たちは俺の護衛だろうが早く守れよお!!」
「こんなの夢よ。だってわたしは伯爵令嬢だもの、こんなところで死んでいいわけないものお!!」
阿鼻叫喚とはこれこのことであった。
壁がぶち破られた最初の一撃で建物を守るために配置されていた護衛の大半は吹き飛んでいた。そうなれば残るのはむき出しの貴族だけ。守られるべき立場である彼らが護衛さえも凌駕するゾンビに敵うわけもなく、その牙に貪られていく。
赤と黒の地獄が広がる。
人だったモノが人間を喰らう。喰われた肉塊も人だったモノに変じて獲物を求めて動き出す。
ぎろり、と。
生物に引き寄せられるゾンビたちの視線が第一王子の腕に抱かれた男爵令嬢へと向かう。
「でっでで殿下ぁっ! どうすっ、こんな、どうするのぉっ!?」
「心配いらないのである。ミラフィアは我が守ってやるのであるからな」
ミラフィア『は』、だった。
そこで気付くべきだった。いいやそもそも最終防衛ラインに賭けるしかできることはないからと第一王子の戯言に付き合ってやったのがそもそもの間違いだったのか。
第一王子の魔法が炸裂する。
スフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢の両足を裂く風の刃が。
「ぐ、ぁ……っ!?」
「なぜだかゾンビは生物に引き寄せられるのである。ならばこうして囮を用意すれば、その間に悠々と逃げられるのであるぞ」
軽く、当然のように。
そう、それは正義は我にありと言外に語るようであった。
膝から崩れ落ちるスフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢を一瞥すらすることなく、第一王子は男爵令嬢を伴って去ろうとしていた。
「これが貴方の言う正義ですか? 自分さえ助かればそれでいいと?」
「当然である。何せ我は王族であるぞ。我さえ生き残れば国は再建できるのであるからな。それに罪人が王族のために命を消費できるのであるぞ。名誉あることだと喜びことすれ、非難する筋合いはないと知るべきである」
そこまでだった。
第一王子の腕の中で安堵と優越感に満ちた笑みを浮かべた男爵令嬢が『災難だったねぇ』と嘲るように吐き捨てて──そうして彼らは今度こそ逃げていった。
「……、こんなことなら素直になっていれば良かったかもしれませんね」
そうしてこの場で生きている肉はスフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢ただ一人となった。
必然、生きているものを貪り喰うゾンビたちは彼女へと殺到する。
「ごめんなさい。貴方に守ってもらったのに、わたくしはここまでみたいです……」
そして。
そして。
そして、だ。
「いいや、ここからだ!!」
轟音が炸裂する。
ゾンビの群れが薙ぎ払われる。
そして、スフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢を守るように『彼』が君臨する。
「う、そ……。貴方は、だって、わたくしが見捨てて、だからっ!!」
「あっはっはっ。嬢ちゃん、気にするなって言っただろ?」
それは。
スフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢の護衛の男であった。
ーーー☆ーーー
スフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢は護衛の全てを失ってようやく王都まで逃げ込んだ。では、それはどのような物語であったのか。
「悪いな、嬢ちゃん。野郎と馬に相乗りなんてさせちまって」
「こんな状況ですもの。気にすることありません」
それは突然のことだった。
死者が動き出し、生物を喰らう。そんな嘘のような出来事が多数勃発、瞬く間に軍事国家を覆い尽くした。
ゾンビ、と呼称されることになった動く死体に傷つけられた生物もまたゾンビへと変じることもあり、感染爆発は加速度的に進んでいた。
それこそドラグエル公爵家の領地が壊滅し、こうして王都に向けて逃げ出さないといけないほどに。
彼女と共に多数の護衛もついてきていたのだが、休憩中に襲ってきたゾンビからスフィアリーナを逃がすために戦い──唯一護衛の男がスフィアリーナの手を引き馬に相乗りして、こうして逃亡していた。
だが、
「嬢ちゃん後ろ見ろよ、すっげえ笑えるぞ。ゾンビだらけ! ありゃ百や二百じゃ足りねえなあ!!」
「何にも笑えないのですが!?」
「かねえ? あっはっはっ」
こんな時でもボサボサ頭の護衛の男は戯けるような笑みを浮かべていた。内心はどうであれ、だ。
損得勘定で世界を冷めた目で俯瞰するスフィアリーナの護衛の一人にして護身術の家庭教師である彼は初対面の頃からこうだった。
『なんだそのシケたツラは? ヘイッ、もっと人生楽しもうぜ! というわけで今日の護身術の授業は中止にして遊びに出かけような!!』
『わたくしはドラグエル公爵家が令嬢です。公爵家に利益をもたらし、もって付き従う全ての人間を守ることが役目なんです。遊びになんて些事にかまけている暇はありません』
『ぷっくく。できねえんだ?』
『はい?』
『いやあ、悪い悪い。嬢ちゃんは利益とやらを追求するのに精一杯だもんな。遊んだことなんてなさそうだし、できねえのも仕方ねえってこった。まーいいさ。満足に遊ぶことすらできず、護衛になっさけねえ様見られるのが嫌だってなら逃げるのも一つの選択肢だしな。あっはっはっ!!』
『待ってください。勝手に話を進めないでください!! わたくしはドラグエル公爵家が令嬢ですっ。できないことなど何もありません!!』
『うあー……ちょろいな、おい』
『ちょろ???』
『ああいやこっちの話。それより、できないことなど何もないというならば証明してもらおうかっ!!』
『もちろんです!!』
『よっしゃ、それじゃあ遊びに行くぞーっ!!』
『ええ!! ……あれ、なんで遊ぶことになって、あれえ???』
『はいはいつまんないこと気にしない気にしなーい。さあさ、人生楽しんでいこー!!』
それはスフィアリーナがこれまで出会ったことのない類の男だった。戯けるように、そう人生を楽しむためだけに生きているような男だったのだ。
そんな彼との出会いはスフィアリーナの人生の中でも特別なものだったのだろう。彼の前でだけは利益を追求することなんて考えることなくありのままの彼女でいられたのだから。
あの頃は楽しかった。
スフィアリーナ自身、自分の中にこんな感情があったことにはじめて気づいたほどに。それこそあんな風に感情を剥き出しにしたことなんてなかったのだから。
できることならば、護衛の男も同じように楽しいと思ってくれていたならばいいのだが。
……それはそれとして第一王子との婚約を受け入れたのはあくまでドラグエル公爵令嬢であったからか。
『第一王子との婚約、ねえ。女遊びがひでーのを筆頭に従者に対する暴行だの私的なリゾート地をつくるために「古き民」の住処である樹海を焼き尽くしただのロクな話聞かねえんだが、本当にそんなろくでなしと結婚するつもりか?』
『これ以上ドラグエル公爵家に利益をもたらす婚約はありませんから』
『いやまあそうなのかもしれんが、だからってこんな……。なあ嬢ちゃん。結婚ってのは、もっと、こう、楽しいもんじゃねえのか? そんなシケたツラでするもんじゃねえだろっ!!』
『結婚とは家と家を繋げ、もって利益とするためのものですよ。楽しいも何もあるものではありません』
『そんなの認められるか。そんな結婚突きつけられて、諦めろってのかよ!? せめて幸せになってくれないと、じゃないとよお!!』
『諦め……? それ、どういう意味ですか???』
『ぐっ。口が滑って、ああくそっ。気にするな、なんでもねえよ!!』
『そんなに怒って何でもないはないでしょうに。本当どうしたんですか?』
『分不相応な願望いつまでも捨てきれねえクソ野郎のつまんない八つ当たりだ! だから、くそっ、こんなの気にするなっつってんだよ、クソッタレが!!』
いつも戯けるような彼が唯一取り乱していたあの時にドラグエル公爵家が令嬢としてではなくむき出しのスフィアリーナとしての願望に正直になっていれば何かが変わっていたのか。
とにかく彼女は公爵令嬢であることを選択し、第一王子の婚約者となった。……現実主義者の冷酷な女は第一王子の好みには合わなかったようで、婚約者とは思えない扱いであったが。
それもこれも今となれば些事に過ぎない。軍事国家を呑み込んだパンデミック、徘徊する死者の群れによってドラグエル公爵家が治める領地は壊滅的な被害を受けた。利益を追求することで付き従う者たちを守る。そのためならば剥き出しのスフィアリーナの願望さえも切り捨てたというのに、どうしようもなかった。
ドラグエル公爵家は敗北した。
領地はゾンビが蔓延る地獄と化した。
守り抜くことはできず、逆に大勢に守られたがためにスフィアリーナ=ドラグエル公爵令嬢はこうして生き残っている。
情けないにもほどがあるが、だからといってできることは少ない。せめて大勢の命が繋げてくれたものを無駄にすることなく最後まで生き抜くしかない。
だけど、現実はどこまでも残酷に進む。
ゾンビの群れはすぐそこまで迫っていた。
このままでは王都まで辿り着く前に貪り尽くされることだろう。
「ゾンビどもは生きている奴に引き寄せられる」
「何を……?」
馬を走らせ、後ろから抱きしめるように相乗りする護衛の男の言葉が響く。
「そして、今のままでは王都に辿り着く前にゾンビどもに追いつかれる。が、王都までは後少しだ。だったら、さ。──もしもゾンビどもを足止めする『生き餌』があれば、その間に王都まで逃げのびることもできるんじゃねえか?」
「待ってっ、待ってください! 貴方、もしかして!!」
「これは俺が勝手に選択したことだ。だから、気にしないでくれよ?」
瞬間、背中に感じていた温もりが消失した。護衛の男が馬から飛び降りたのだ。
「あ」
──もしも恋する乙女であったならば、どうしていたのだろうか? 好きな人を見捨てられるわけないと駆け寄って、一緒に逃げるのだと理想を口にするのだろうか。
そんなの不可能だと、現実主義な側面が判断する。してしまう。夢見る乙女ではいさせてくれない。合理的に、被害を最小とする答えを導いてしまう。
「な、んで」
だって、最善を捨てて何になる?
一緒に死ぬのは美談かもしれないが、そんなものに何の価値があるというのだ。
護衛の男は選んだ。自分の命を捨ててでもスフィアリーナを助けることを。
「なんで、ですか。もう護衛として命をかける意味なんてないんです! わたくしを見捨てて逃げたってそれを咎める者はいないんですよ!! なのに、そんな、自分が死んじゃったら何の意味もないのに……。なんで、どうして! そこまでできるんですかあ!?」
「あっはっはっ」
こんな時でも、やはり。
護衛の男は腰の剣を抜きながら戯けるようにこう言った。
「嬢ちゃん見捨てて逃げたって楽しくねえからな」
その言葉を最後に護衛の男はゾンビの群れに呑みこまれた。彼だって公爵令嬢の護衛を任せられるだけの実力者ではあるが──同じく公爵令嬢の護衛を担っていた者たちを筆頭としたゾンビの群れが相手ではどうしようもなかった。
肉を引き千切り、骨を砕く音が連続する。護衛の男が壊れ朽ちていく。
「ああ、あああ、ァああああああああああああああああああああああああ!!!!」
嘆きが、どこまでも無力な叫びだけが響き渡る。護衛の男の命の時間でもってスフィアリーナの命が繋がっていく。そうして彼女は王都まで逃げのびたのだ。
ーーー☆ーーー
夜会が開催されていたホール。
ゾンビによって壁をぶち抜かれ、百や二百では足りないほどの軍勢が押し寄せる中、スフィアリーナを背に庇うように立つ護衛の男がゆっくりと腰の剣を抜く。
構え、そして戯けるように言い放つ。
「感動の再会を鮮血と死で染め上げようだなんて無粋にもほどがねえか?」
一振りであった。
護衛の男の斬撃がゾンビの群れも、彼らが放った魔法の数々も纏めて薙ぎ払ったのだ。
「な、ん」
護衛の男は確かに公爵令嬢の護衛を任せられるほどの実力者だ。そんな彼でもゾンビの群れにはなす術なく敗北したはずだ。
だというのに、これはなんだ?
人間離れしたその力はどこからやってきた?
「いやあ、我ながらすっげーな。ゾンビどもに噛まれてから力が漲ってたまらねえ」
「噛まれって、やっぱり感染したんですか!?」
「なのだろうが、どうだろうな。あれだけ盛大に噛まれたら数十秒もあればゾンビに変じるもんだが、こうして自我がはっきりしているもんな。理由なんてさっぱりだが、こうして無事なんだし俺にゾンビ化のアレソレは通用しないのかもな」
「そんな、ことってっ!!」
都合がいいにもほどがあった。
何の脈略もなくそんな奇跡のようなことが起こっていいというのか。
……いいや、そんなことは些事だ。
理由なんてどうでもいい。都合がいいことの何が悪い。
護衛の男はこうして生きている。
もう会えないと思っていた彼と再会することができたのだ。
「良かった……です。もう会えないと、死んじゃったと、わたくし、わたくしのせいでっ!!」
「だからさ、気にするなって言っただろ?」
振り返る。
そこには変わらぬ戯けるような笑みがあった。
「嬢ちゃんが無事ならそれでいいんだからさ。ほら、だから笑ってくれよ。人生楽しく生きねえとなっ」
「ばか、馬鹿ですっ。貴方は大馬鹿ですっ。楽しくって、そんなのっ、貴方がいないと何をやっても楽しくなんてないんですからね!?」
それを見たら、もう、駄目だった。公爵令嬢としての顔なんて吹き飛んで、剥き出しのスフィアリーナだけが残った。
ゆえに、その願望は何に止められることなく世界に放たれた。
「好きな人が死んじゃった世界で楽しく生きるなんて絶対にできないんです!!」
「……ッ」
「だから、ですから! もうあんなことは絶対にしないでください!! わかりましたか!?」
視界が歪む。
頭の中なんてぐちゃぐちゃだ。感情を喜怒哀楽で単純に表現なんてできない。
公爵令嬢としての顔を貼りつけていた時では考えられないほどに涙でぐちゃぐちゃになっているスフィアリーナを前に護衛の男は大きく息を吐く。
戯けるように、なんて余裕はない。
困ったように、嬉しそうに、それでいて泣きそうに、彼は真っ直ぐにスフィアリーナと向かい合う。
「ああ、わかったよ」
さて、何やら感動的な雰囲気だが状況は何も変わっていない。そう、王都はゾンビで溢れかえっているのだから。
ドッッッ!!!! とゾンビの群れがホールに突っ込んでくる。いかに剣の一振りで薙ぎ払おうともその何倍、何十倍ものゾンビを引き寄せる結果にしかならない。
王都の最終防衛ライン、軍事国家の精鋭中の精鋭である軍勢がそっくりそのままゾンビと変じているのだ。その群れに雑兵なんて存在しない。一体一体が猛者であるのだ。
わかっていて、それでも護衛の男はスフィアリーナを背に庇う。剣を握り締めて、ゾンビの群れを見据える。
「大丈夫だからな」
「……もうあんなことはしないですよね?」
「ああ、もちろんだ。さっき約束したんだからな」
だから、と。
護衛の男は剣を片手にこう言い放った。
「もうあんなことはしない。嬢ちゃんにつまんない心配かけずに守ってやるから!!」
ゴッ!! と勢いよくゾンビの群れと護衛の男が激突する。今度こそスフィアリーナの命だけでなく笑顔さえも守り抜くために。
その後、パンデミックの原因は『古き民』が代々守り抜いてきた樹海を第一王子が焼き払ったことで奥地に封じられていたウイルスが表に出たことであると判明したり、大陸の外からやってきた護衛の男にはゾンビ化ウイルスに感染するとゾンビになることなく身体能力が向上するだけで済む免疫力があることが判明したり、諸外国が臨時の連合軍を組み軍事国家を隔離してから大規模魔法でゾンビごと生きている者さえも殺処分しようとしていたので阻止したり、スフィアリーナが護衛の男の免疫力を参照にゾンビ化を治療する特効薬を開発したり、荒れ果てた軍事国家をスフィアリーナが先導する形で復興に努めたりと様々なことがあった。
そして、だ。
「クソッタレな第一王子が連合軍に逃げ込み、あろうことか今更この国を支配するために動き出しただって!?」
「みたいですね」
「マジかよ……。第一王子は自分が連合軍による侵攻の手引きをしているだけだって気づいているのか? 正当なる王族による支配を取り戻すために臨時で出来上がった『暫定政府』を打倒する、なんてお題目は連合軍にとってはどうでもいいんだ。戦争する理由にさえなればなんだってな。まったく、全部うまくいったってどうせ連合軍によって奪い合うように国土を分割支配されるか、傀儡として据えられるだけなんだがなあ。どちらにしても第一王子の天下なんてやってこねえってのに本当良くやるよ」
「何はともあれ、これ以上の悲劇を許すわけにはいきません。分割支配か傀儡か、どちらにしてもこの国の未来が悲劇に染まることはわかっているんですから」
「それじゃあいっちょ第一王子の鼻っ面へし折って連合軍を追い返してやるか!!」
「あの……。無事に帰ってきます、よね?」
「あっはっはっ。なんてシケた顔しているんだ。約束しただろ、だから心配いらねえよ」
ぽん、と。
スフィアリーナの頭を撫でて、護衛の男は戯けるように言う。
「嬢ちゃんには楽しく生きて欲しいからな。そのために必要なら絶対に生きて帰ってくるさ」
「うん。……絶対ですよ?」
「おうよ!!」
敵は『大陸最強』を擁する連合軍。
だからといって護衛の男は戯けるような笑みを消すことはない。
約束したから。
もう二度とあんなことはしないと誓ったから。
ゆえに護衛の男は敵がどれだけ強大であろうとも無事に生きて帰る。たったそれだけで惚れた女が楽しく笑ってくれるならば安いものなのだから。
ちなみに。
とある軍事国家の片隅では一人の公爵令嬢が戯けるような笑みを浮かべた伴侶と共に末長く楽しげに過ごしたのだという。




