絶対に仏教由来語を使ってはいけない異世界
「勇者さま、お願いします! どうかこの世界を」デデーン
光に包まれて気づいたら見知らぬ場所にいた。目の前には西洋の魔女崇拝を思わせる、しかしどこかエキゾチックな、装飾付きの黒衣を着た女が身の丈ほどの杖を持って立っている。彼女が口を開いて何か喋ったかと思うと、不安感を煽るような恐ろしい音がどこからともなく聞こえた。
——召喚師 OUT
天の声が響き、広間の入り口から威圧的な覆面をつけた屈強な人物が入場する。その人物は黒衣の女を跪かせ、
ズバァン!!
「ッアァッ!」
持っていた弾力のありそうな棒で尻を打ち付けた。鈍い音と鋭い悲鳴が上がったのを確認して人物は来た方向へ帰っていった。
「勇者さま、どうかお救いください」
勇者とは自分のことらしい。とにかく、状況を把握しようとした。上からは太陽光と思われる光が差し込んでいる。広間の中で自分がいるところだけを明るく照らすように調整されているようだ。円形の広間の壁には火の玉が浮いている。松明などではない。火の玉そのものが浮いているのだ。勇者にはなんとなく事情が察せてきた。さっきのデデーン召喚師アウトーを除けばの話だが——
「俺は、魔法の世界に転生したのか」 デデーン
推測を口にすると、不安感を煽るような恐ろしい音がどこからともなく聞こえた。
——勇者 THREE OUT
「スリーアウト!?」
天の声が響き、広間の入り口から威圧的な覆面をつけた屈強な人物が三人入場する。勇者は彼らに押さえつけられ、
ズバァン!!
「うっ」
ズバァン!!
「うあっ!」
ズバァン!!
「あぁっ!!」
三度尻を打ち付けられた。そして人物たちは速やかに退場した。
「勇者さま、翻訳の術式の問題で、あなたの出身地の特定の教えの語彙が制限されているようなのです。口にすると先ほどのように臀部を打擲されると」
召喚師と呼ばれていた女の人が言う。勇者は考えた。「転生」がアウトだったようなのでまあ仏教由来の言葉が使えないのだろう。とするとあとは「世界」と……何だろう?
「は、はい。それで救うとは」
「実はこの……大陸、には魔王が」デデーン
——召喚師 OUT
召喚師が「世界」という言葉を避けながら話し出したところ、不安感を煽るような恐ろしい音がどこからともなく聞こえた。そして天の声が響き、入り口から威圧的な覆面をつけた屈強な人物が入場する。召喚師が跪かされ、尻を打たれる。
ズバァン!!
「アァッ!」
そして人物は退場する。「魔王」はNGワードらしい。第六天魔王とか言うしな。というか「魔」がダメなのかもしれない。……勇者のこの推測はアタリである。魔とはサンスクリット語のマーラという神名または悪魔名の、漢字圏での短い形だった。
「暫定的に霊王と呼びましょう。我々の行使する力も霊術とかで。勇者さまはその教えへの理解はいかほどなのでしょうか」
「そう言っても、俺の知識なんて」デデーン
——勇者 OUT
不安感を煽るような恐ろしい音がどこからともなく聞こえた。そして天の声が響き、入り口から威圧的な覆面をつけた屈強な人物が入場する。勇者が跪かされ、尻を打たれる。
ズバァン!!
「ぐあっ!!」
そして人物は退場していく。確かに知識とか意識とか識ってついていると仏教語っぽい。そう反省する勇者を召喚師は冷ややかに見つめていた。
「ダメみたいですね」
「面目ありません」デデーン
——勇者 OUT
不安感を煽るような恐ろしい音がどこからともなく聞こえた。そして天の声が響き、入り口から威圧的な覆面をつけた屈強な人物が入場する。面目は禅の用語だった。
「もうやだよこんな世界……あっ」デデーン
…………などというのがしばらく続き、
「やっと落ち着きましたね」
「ええ、こうなったのもそちらのせいだと思うんですけどもね」
勇者は尻をさすりつつ恨めしそうに召喚師の方を見やる。
「それでは雇い主の元まで案内します」
「雇い主とかいるんですね。この翻訳周りの仕様には機嫌を悪くなさるのでは」
「そうですね……解消する方法もわかるかもしれませんが——この建物です」
見ると、中世だか近世だかの文明レベルとは思えないほど高い建物だった。性格の悪い神様がみたら不遜だとして天罰でも下しそうだ。一階の面積は小さく見える。いわゆる塔だ。
「高い塔ですね〜」デデーン
——勇者 OUT
不安感を煽るような恐ろしい音がどこからともなく聞こえた。そして天の声が響き、どこからか威圧的な覆面をつけた屈強な人物がくる。塔という単語はもともと仏塔を意味し、サンスクリット語のストゥーパに由来した。ストゥーパは卒塔婆の語源でも知られる。
ズバァン!!
「ぐあっ!!」
「入りましょうか」
もはや勇者が罰を受けているのを気にも留めなくなった召喚師である。
「おお、勇者召喚には成功したか!」
恰幅の良い、だが見る者が見れば動きに隙のない壮年の男が出迎えた。
「ええ、しかし翻訳周りでやはり問題があり——」
そうして召喚師は「雇い主」に事情を説明した。やはりって何だよ、問題があることは折り込み済みなのかよ、と勇者は睨みつけてみたが、全く意に介していないようだった。
「ふむ、そういうことなら【舌竜】を訪ねなさい。あの北の山の奥にいる」
「我々二人でですか!? あのような秘境に——」
「いや、それなら……うちの使いを貸そう。おい!」
「へっへへ、お呼びですかい」
両手を揉みながら使いとかいうのが出てきた。小男だ。なんか「旦那ァ」とか言いそうな男である。あれ? そういえば旦那って仏教用語か?
「——ご主人、ご用件はなんで」
と勇者が思ったら旦那と言うことは回避した。ソツのないできるヤツなのかもしれない。
「そこの勇者と召喚師に随行せよ」
「かしこまりまして。よろしくお願いしやす、嬢ちゃん、坊ちゃん」デデーン
——使い OUT
不安感を煽るような恐ろしい音がどこからともなく聞こえた。そして天の声が響き、塔の入り口から威圧的な覆面をつけた屈強な人物が入ってくる。使いの小男を押さえつけ、尻を打ち付けた。
ズバァン!!
「グアッ」
「大丈夫ですか?」
「いえ、あっしみたいなのにとっては、このぐらいの扱いが相応って」デデーン
不安感を煽るような恐ろしい音がどこからともなく聞こえた。そして天の声が響き、塔の入り口から威圧的な覆面をつけた屈強な人物が入ってくる。使いの小男を押さえつけ、尻を打ち付けた。
ズバァン!!
「グアッ」
勇者は少し親近感が湧いてきた。仲良くやれる気がする。
……それから数日が経ち、北の山の奥に入った勇者、召喚師、使いは、窮地にあった。彼ら三人の周りを同じ格好をしたおびただしい数の人々が囲んでいる。格好が同じなだけでない。背丈も、体の幅も、顔の作りまでもそっくりそのまま同じなのだ。
「あなたは——ま……霊王軍の幹部ですね」
それを聞いた軍勢は一斉に笑って答える。
「グワハハハハ! そうとも! ——我こそは霊王軍四天王」デデーン
——ゲオルフ OUT
不安感を煽るような恐ろしい音がどこからともなく聞こえた。そして天の声が響き、どこからか威圧的な覆面をつけた屈強な人物が集まってくる。
「名乗る前に名前バレしちゃったよこの人」
集まってくる屈強な人物に限りがない。一人一人が軍勢を一人ずつ抑え、尻を打ち付ける。
ズバァン!!
ズバァン!!
ズバァン!!
ズバァン!!
ズバァン!!
打たれた軍勢のメンバーたちは光の粉となって消えていく。どうやら数が多いだけで防御力はちり紙レベルのようだ。四天王ゲオルフが一人を残して消え、屈強な人物らもどこかへ解散していった。
「ふん……何のこれしき!」
しかし四天王ゲオルフは体にグッと力を込めたかと思うと一瞬で先よりも遥かに多くの数に増えた。
「そ、そんな——なんて能力なの!?」
召喚師が恐怖の声を上げる。
「ハッハッハ! このゲオルフは自らの体をいくらでも分けることができる! 先のように一発の攻撃で消えるが、その攻撃は本体に一割フィードバックされるのみ!! この物量に敵うものは霊王さまその人をおいて他にない——人呼んで!! 分身のゲオルフ」デデーン
——ゲオルフ OUT
不安感を煽るような恐ろしい音がどこからともなく聞こえた。そして天の声が響き、どこからか威圧的な覆面をつけた屈強な人物が集まってくる。分身とは仏が衆生救済のため様々な姿で現れることを意味した。仏教用語である。
ズバァン!!
ズバァン!!
ズバァン!!
ズバァン!!
ズバァン!!
ズバァン!!
ズバァン!!
ズバァン!!
ズバァン!!
ズバァン!!
……そして分身が全て消え、屈強な人物らが解散した後に残されたのは満身創痍のゲオルフだった。
「ぐっ……さすがだ勇者よ……」
「何もしてないけどな」
「この程度でいい気に「召喚師キーック!!」
まだ何か言うことがありそうな横たわったゲオルフに、召喚師がサッカーキックをお見舞いした。
「グワァ……」
ゲオルフが光の粉となって消えていく。とりあえず……
「召喚師とキックは関係ないだろ——」
さらに森の中をさまよって、ついに舌竜のもとにたどり着いた。舌竜が我々三人を睥睨する。目に見えないプレッシャーがのしかかった。これが竜か——。
「何用か、定命の」デデーン
——舌竜 OUT
不安感を煽るような恐ろしい音がどこからともなく聞こえた。そして天の声が響き、どこからか威圧的な覆面をつけた屈強な人物が集まってくる。
「いや今のはバカなミスだな「デデーン」……えっ?」
——勇者 OUT
不安感を煽るような恐ろしい音がどこからともなく聞こえた。そして天の声が響き、どこからか威圧的な覆面をつけた屈強な人物が集まってくる。バカの語源は諸説あるが、サンスクリット語起源説を取れば仏教由来の言葉となる。
ズバァン!!
「ぬうっ」
ズバァン!!
「ウワッ!」
勇者と舌竜が尻を打ち付けられた。勇者は投げやりに叫んだ。
「いい加減にしろー! ……もういいよ!」
どうも、ありがとうございました。
「機嫌」は仏教由来語である、「面目」は怪しい、というご指摘をいただきました。
本文はそのままにしておき、ここに付記するにとどめます。(20/11/8)
「魔法」は別に仏教由来語ではありませんでした。「魔」の字が仏典漢訳のために作られた漢字であるというだけです。(21/7/16)