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ディバインワールド  作者: ねこの
第一章
1/4

prolog マキナ 傭兵少女 大剣使い


 団長の首が飛んだ。文字通りの意味でだ。


 騎馬隊の先頭に立って、敵の集団に真横から突っ込んで行き、返り討ちに合った。


 やったのは黒鉄(くろがね)の鎧兜を付けた大男だ。擦れ違い様にハルバードで一撃だった。


 俺はその様を遥か後ろから目撃していた。兵と兵が敵味方入り乱れて殺し合う中で、兜のバイザーの隙間からその様を見ちまった。


 団長が死んだ?


 無意識に、口からうめき声が漏れていた。


 十二の時に貴族をぶっ殺して、住んでいたスラムから逃げ出したあと、ゆく当てもなくさ迷っていた俺を拾ってくれたのが団長だ。

 当時まだガキで、しかも()の俺を、傭兵団に兵士として入れてくれた恩人だった。


「へたり込んでんじゃねえ!」


 盾使いのニコがこっちを振り返って怒鳴った。


 誰がへたり込んでるって?俺は、とっくに前を向いて三人の攻撃を大盾で捌いているニコの、ひょろい背中を睨んだが、本当に自分がへたり込んでいることに気付いた。情けないことに大剣まで手放していた。


「マキナさん!」


 真横から襲いかかった俺への攻撃をヨム爺が槍で弾く。


「立って下さい」


 しゃがれた声で俺に叫んだヨム爺は満身創痍だった。防具がへこみまくっていて、すき間から見える服は赤黒く染まっていた。


 何だよジリ貧じゃねえか、と思ったがそれもそのはずだ。うちの傭兵団の歩兵の基本は三人一組だ。防御、攻撃、補助、それぞれの役割が決まっている。攻撃担当の俺がサボっていたらそりゃそうなる。


 急いで大剣を拾おうとしたが、伸ばした手が震えていた。立ち上がろうにも膝に力が入らなかった。


 どうしてこうなった?ぶった切られた団長の首が頭にちらついた。腹の底がぎゅうっと縮み上がる。


 

 勝てない戦はしない、がうちの団の方針だった。そして団長が受ける仕事はいつも間違いがなかった。傭兵団にしては珍しく死人があまり出ないのも、団長がリスクの大きい仕事をいつも避けていたからだ。


 だけど今回、仕事の中身を聞いた時からずっと嫌な予感がしてたんだ。つく側を間違ってるんじゃないかって。


 サハル帝国とガルリア皇国の戦争が始まったのは半年前だった。突如、宣戦布告したサハル帝国は、一方的にガルリア皇国に侵略を開始した。負けを重ねたガルリア皇国は、だいぶ戦線を押し込まれていた。


 うちが今回参加したのはこの二国間の戦争だ。ガルリア皇国にとって重要な砦に続く荒野で、帝国を迎え撃つ(いくさ)。うちはガルリア側で参加した。


 兵力はうちらが付いたガルリア皇国が一万三千、サハル帝国が一万。数の上ではこっちが有利なのは明らかだった。


 だけどずっと嫌な予感がしっぱなしだった。帝国側には勢いがあった。ガルリアへの侵攻速度が異常だった。おそらくこの戦に向けて相当準備していたのだろう。どんなに兵力の差があるといっても、五分五分ってところだと思った。


 らしくないないなと感じた。状況を見誤っているんじゃないかって。


 そして不安を抱えたまま戦いが始まり、団長が死んだ。スラム育ちの俺の勘はよく当たる。どういうわけか、嫌な方の予感ほど当たっちまうんだ。



 敵の兵が撤退を始めた。俺はまだへたり込んだままだった。地面には未だ大剣が転がっていた。


 俺は団長をやったあいつのことを思い浮かべた。黒鉄の鎧兜の、ハルバードのあいつだ。馬に乗っているようには見えなかったからたぶん歩兵だ。歩兵のくせに、騎馬に乗った団長と同じくらいの背丈だった。


 あいつを殺す。俺は目を瞑った。そう思うことで何かを埋めようとしていた。


 こっちにもそろそろ撤退の合図がかかるはずだった。あとはガルリアの正規軍の出番だ。その前にあいつだけは見つけて殺す。そう何度も言い聞かせた。


 だけどその思いは叶わなかった。前の方から地鳴りが聞こえた。敵の騎兵突撃だ。黒毛の逞しい騎馬の群れが、横並びになって向かって来た。


 それは遊牧民の騎兵だった。帝国の西に住む何処の国にも属してなかった戦闘部族を、帝国は味方に付けたらしい。そして思い当たる。剣を交えた中にいた、やたら強い褐色の肌のやつら。


 黒毛のでかい騎馬の群れが迫る。ニコが大盾を構えて俺の前にしゃがんだ。ヨム爺も、ニコの盾を支えるように俺の横にしゃがんだ。


「クソが」


 声に出ていた。


 俺を庇うように盾を構えた二人の背中を見た。こいつらも団長のように死んでしまうのだろうか。


 周りを見た。結構な数の死体があった。その中にはうちの団の奴らの顔もあった。そうか、あいつらは死んだのか。


 生きてる仲間はニコ達と同じようにしゃがんで盾を構えていた。逃げたところで馬の足には勝てない。そうやってやり過ごすしかない。


 騎兵の群れが迫った。褐色の肌の兵士達が騎馬の上で槍を構えている。


 ニコが振り返って俺に何かを叫んだ。だけどその声は迫りくる怒号にかき消された。


 衝撃が襲う。目の裏側で何かが弾けた。すぐにそれは痛みとなって、体中で弾けた。




◇◇◇




 意識が飛んでいたのはどれくらいの間だったのか。馬の足音が遠くに聞こえた。この場を蹂躙した騎兵の群れは、こっちの陣の深くまで入り込んだみたいだ。


 仰向けに倒れた俺は、自分の体がどんな有様なのかも分からなかった。痛すぎて、ダルすぎて、もう何もかもがどうだっていい気分だった。


 そう、結局俺は、団長の死を目撃してからずっと役立たずのままだ。陣の最前線のど真ん中で、ずっとずっと地面にへばりついたままの、どうしようもないクソ野郎だ。


 ニコもヨム爺も周りの奴らも、みんなどうにかしようとしてた。なのに俺は。


 隣を見る。ニコが死んでいた。馬に踏みつけられたのか、兜ごと頭の半分がべっこりへこんでいる。やつ自慢の大盾はどこにも見当たらない。どっかに吹っ飛ばされたのか。


 ニコの上ではヨム爺が死んでいた。俺らを庇おうとでもしたのか、ヨム爺の体はニコだけでなく、俺の上にも半分覆いかぶさっていた。


 体が震えていた。死んだ二人を見たからなのか、それとも団長が死ぬのを見た時からなのか。


 遠くで、熱をはらんだ戦の喧噪が鳴っていた。


 慣れ親しんだ音、慣れ親しんだ熱気。


 だけどこんな無様に聞くのは、思い返しても初めてだ。


 勝てない戦はしない、死人があまり出ない傭兵団。団長は判断を間違えた。


 だから団長は死んだんだ、ハルバードの一撃で。


 胸の中でざわつき始めたこの感情は、いったい何なのだろう。


 くつくつと、体の震えに合わせて声が漏れる。潰れた喉を引き攣らせながら、くつくつと。


 声が段々大きくなっていく。




 そして次の瞬間にはもう、()は声を上げて笑っていました。



◇◇◇



 ひとしきり笑ったあと、私は呼吸をととのえました。どうして笑ってしまったのかとっても不思議だったので、考えてみることにしました。結論はすぐに出ました。ストレスです。抑圧と解放は()()()のテーマでもあります。


 ここにきてストレスが爆発してしまったのだと、私は考察します。それ故にこんなに激しく笑ってしまったのでしょう。


 それも無理はありません。私、マキナはずっとストレスを抱えたまま生きてきました。ここからずっとはなれた国の、大都会のスラムで娼婦の子として生まれ、五才で母様の仕事の意味を理解し、八才の時に初めて人を殺し、十二才の時には貴族を殺し、そして母様を置きざりにして生まれ育ったスラムから逃げ出しました。そのあとも、女の身でありながら傭兵団で荒くれた殿方に囲まれ日々を過ごし、戦場では死と隣り合わせになりながら、たくさんの人をこの手にかけてきました。


 私の人生はストレスそのものです。密かに思いを寄せていた団長も殺されてしまいました。共に戦い抜いてきた仲間までも殺されてしまいました。


 久しぶりに()が出てきてしまったのも納得です。


 ああ、申し遅れました。私、マキナの第二人格、とでもいえば良いのでしょうか。いつの間にか私の中に存在していたもう一人の()です。物心ついた頃にはもう私はいました。普段は意識の影から自分を見守るだけの存在なのですが、極度のストレスにさらされ続けると、こうして表に出てきてしまうようなのです。


 主人格である純情で可愛い私は私のことを知りません。私が出てきている間はどうやら意識を失っている様なのです


 まあ、私のことなどどうでも良いのです。第二人格と名乗りましたが、結局のところ、私が何なのか自分自身よく分かっていないのですから。それにマキナであることに代わりはないですしね。


 そんなことより問題はこれからどうしたら良いか、それにつきます。このままだと死んでしまいます。敵がこっちに向かっています。おそらく歩兵の集団です。移動の音にまざってやたら騒がしい話し声が聞こえるので、正規軍ではなく、傭兵や民兵でしょう。私たちが総崩れになったのでその分戦線を押し上げるのでしょうね。


 けれど困ったことに起き上がれそうにありません。おそらく足が片ほう折れています。敵はもうすぐそこです。味方は…ガルリアの正規軍は何をやっているのでしょうか。中央を捨てて包囲でもするつもりなのでしょうか。


 そうこうしているうちに、敵の先頭集団がやって来てしまいました。たくさんのむさ苦しい男たちが駆け足で通り過ぎてゆきます。私は覚悟を決めて死んだふりをします。目をとじます。


 そこかしこで悲鳴が上がりました。きっと、生き残った味方がとどめを刺されているのでしょう。私はじっと息をひそめます。


 しばらくそうしていたのですが、とつぜん体が軽くなりました。私をかばうように倒れていたヨムさんの体がどかされたのだと思います。そして今度は重みを感じました。明らかに誰かが馬乗りになっています。


 おそるおそる目をあけます。するとどうでしょう。品のない笑みを浮かべた不細工なおじ様が、私の兜に手をのばしていたのです。


 ナイフがさし込まれ、兜のベルトが音を立てて弾けました。兜が脱がされます。


「やっぱり女だ」 


 おじ様がつぶやきました。よく気が付きましたね。


 声には熱が帯びていました。その口もとがますます歪んでいきます。澱んだ目は私をあざ笑うかのようです。


 私はこの顔を知っています。いつもスラムで見てきた顔です。私を誘拐しようとした貴族もこんな顔をしていました。傭兵団でも最初のころは、たびたびこんな顔が私に向けられていたものです。


 おじ様が、せわしない手つきで私の胸当の隙間にナイフを滑りこませました。革のベルトが弾けた音をたてます。


 気がつけば何人かが私の周りを囲っていました。皆一様に口もとが歪んでいます。戦いはまだ続いているのに正気なのでしょうか。いや、正気ではないのでしょう。


 私はふと、初めて人を殺した時のことを思い出しました。それは()が初めて表に出た時のことでもあります。

 スラムの片隅で、路地に引きずり込んだ私を囲む、三人の男。


 あの時とそっくりですね。


 胸当てが剥がされました。同時に私の腕が、天に向かって伸びました。おじ様がのけぞります。片目をおさえて何ごとかを叫んでいます。腰から抜いたナイフを、思いきり突き刺してやったのです。

 握りしめたナイフから、しっとりと赤い血がしたたっています。その向こう側の、はるか先には空がどこまでも広がっていました。濃く、深い青を背景に、白い雲が薄く伸びて、それが幾重にも重なり合って。

 もしかしたら私はここで死ぬのかもしれません。ですが、こんなにも美しい空の下で死ねるのなら、それはそれで良いのでしょうか。


 かざさしたままのナイフが、日のひかりを受けて光沢を放っています。鉄よりも鋭い刃。五才の誕生日に母様からいただいて以来、ずっと肌身離さずにいるだいじなだいじなお守りです。


 母様の事が過ります。思えば母様は不思議な人でした。初めて人を殺したあの日、私は八才の小娘でした。そんな幼い私が、私を犯そうと路地に引きずり込んだ男三人を皆殺しにできたのも、母様のおかげでした。

 私が表に出られたこと、そしていただいたナイフを持っていたことのおかげでもあるのですが、何より護身術を教わっていたことが大きかった。きっとそれが無ければ表に出てきた所で何もできなかったでしょう。

 けれど疑問が残るのです。スラムの娼婦がどうして、あんな高度な護身術を身に付けていたのでしょうか。読み書きにしてもそうでしたし、算術にしてもそうでした。大陸の主要な国の歴史、政治体制、地形、経済、民族の特徴。宗教、様々な生き物のことや、それとは別に危険な魔獣と呼ばれる生き物のこと。世界各地にあるという不思議な遺跡のことなど。他にもいろいろ、すべて母様から教わりました。


 スラムから逃げ出して私は気付きました。傭兵団に拾われて様々な場所に行き、様々な人と出会い私は気付いたのです。母様から受けた教育がいかに高いものだったのかを。


 母様は楽に死ぬことができたのでしょうか。


 ずっと避けていた考えが、突然あふれだしました。


 貴族を殺した薄汚ないスラムの小娘、その母親が無事でいられるはずがありません。私はあの日、貴族を殺したあの日、母様を連れて逃げるべきでした。

 けれど私は第二人格。意識の陰から自分を見守るだけの存在です。どうすることもできませんでした。


 せめて責め苦を負わされることなく楽に死ねたのならと、私は目を細め、ナイフを見つめて願います。


 母様ごめんなさい。あなたを思い出すことすら避けてきた、薄情な私をお許しください。私は天を見つめて懺悔します。


 そして、首をまげました。


 そうやって、おじ様が振りおろした拳をかわしました。


 そしてすぐに、ナイフを持っていない左腕を突きあげました。五本の指がおじ様の首をとらえます。



 母様を置き去りにしてスラムから逃げ出したあと、草原で行き倒れていた私は傭兵団に拾われました。もちろん私が所属している、この傭兵団です。警戒心剥き出しの小娘は食事を与えられました。近くの町まで乗せていこう、と団長に、そうこの時初めて出会った団長に、優しい言葉をかけられました。


 傭兵団は次の戦場への移動の途中で、たくさんの馬車を引きつれていました。私は傭兵団に雇われた娼婦のお姉様方がひしめく馬車に乗せられて、荒くれた殿方たちの好奇の目から隠れるようにして、何日かを過ごしました。


 そしてある夜、私は団長の天幕を訪れました。漫然と馬車に揺られ続けるなかで、私はある決心をしていたのです。


 俺に武器をくれないか。


 団長とともに円卓を囲んでいたその他の皆様を無視して、私は真っ直ぐに団長だけを睨みつけて言いました。


 私の登場に一瞬静まり返るなか、この時にはもうすっかりと板についていた男の言葉で、舐められないようにと虚勢を張った、精一杯の険しい目付きで私は団長に言いました。


 武器が使えるようになったらこの傭兵団に入れて欲しい、それまでここに置いてくれ。


 皆様ポカンとしてらっしゃいました。ヨムさんも、後になって名前を知る幹部の皆様も、呆けたお顔で私を見ていましたが、すぐに私が睨みつけている先へと目をむけました。


 その場の視線が集まるなか、やがて団長が口を開きました。首をかしげてじっと私を見つめたあとに、こう言いました。好きにしたらいいさと。


 団長からの目配せでヨムさんが立ち上がり、非難の声が団長に集まるなか私は天幕を出て、武器が積まれた馬車まで案内されました。


 好きな物をお選び下さい。ヨムさんが言いました。選んだのは一本の剣でした。それは私の背丈よりもだいぶ大きな、少なくとも二メートルはある大剣でした。男に舐められないように、甘く見られないように、それは弱者が徹底的に搾取されるスラムで生まれ育った私の…そう、私の願いでした。もしもこの武骨な大剣を自在に操ることが出来るようになったのなら、その願いが叶う気がしたのです。


 お嬢さんには無理でしょう。ヨムさんが言いました。一ヶ月で物にする。生意気にも私はそう言いました。


 それから毎日、私は剣を振り続けました。団の雑用をこなしながら、お尻を触ろうとする団員を凄い剣幕で罵りながら、暇な時間さえあれば私は剣を振り続けました。


 両手でまともに振れるようになるまでに三ヶ月かかりました。それからは、左右片手で振る訓練も始めました。


 いつしか何人かの方が、私に剣術をおしえてくれるようになりました。母様からの指導で体術の基礎ができていた私は、彼らの教えをどんどん吸収していきました。この頃には私にいやらしい目を向ける人も少なくなっていました。


 利き手一本で剣を振れるようになった時、正式に傭兵団に加わりました。

 その一ヶ月後、団に拾われてから数えると一年後、初めて戦場に出ました。その間も、私は毎日剣を振り続けていました。


 やがて左右それぞれの手で剣を扱えるようになりました。今度は重りを付けて振り続けました。


 雨の日も、風の日も、雪の日も。溶けるような暑さの日も、雷鳴轟く嵐の日も、私は剣を振り続けました。


 戦場で人を殺した日にも、街でおいしいお菓子を堪能した日にも、私は剣を振り続けました。


 背丈を軽々越えた、飾り気のない、武骨な鉄の大剣です。


 裂帛の気合いを込めた一振りを一日に数百回、それを六年間欠かさずに積み重ねてきたのです。


 その鍛え上げられた腕の先にある、鋼の如き私の指が、おじ様の首をとらえたのです。

 蛙のように潰れた声で呻きながら、私の手を引き剥がそうとおじ様は必死です。自分の両手を私の指の隙間に入れて、何とかこじ開けようとしています。みるみるとそのお顔が真っ赤に染め上がってゆきます。


 怪力馬鹿女。私の隣で死んでいる盾使いのニコラスさんが、もしも生きてこの様を見たのなら、きっとこう言って私を揶揄(からか)ったでしょう。ヨムさんだったらどうしたでしょうか。きっと静かに頷いて、黙ったまま優しく見守ってくれたかもしれません。


 いえ、違いますね。もしも二人が生きていたのなら、真っ先に私に群がる男どもを皆殺しにしてくれたでしょう。


 腕に力がこもります。親指が、おじ様の喉仏の下の柔らかい部分に食い込み始めました。皮膚が裂け、指先がゆっくりと肉にめり込んでいきます。


 ここにきて私を囲んでいた男たちが一斉に襲いかかってきました。ずっと彼らの目に帯びていた嘲りの色が消えていました。代わりに現れたのは怒りの色、でしょうか。


 男が私の上半身に覆いかぶさってきました。私はおじ様の首から手を離し、迫る男の脇腹にナイフを差し込みました。誰かが私の腕を掴みます。それを振り払い、逆に掴み返してひねり上げます。同時にナイフで近くの誰かの膝裏を切りました。


 腰の辺りから、おじ様の重みが消えました。自らどいたのか、誰かがどかしたのかは分かりません。そもそもおじ様がどうなったのかも分かりません。


 両足が押さえつけられました。胸当ての下に着ていた鎖帷子が、べろりと膝下からめくり上げられました。誰かが私のズボンのベルトに手をかけます。蹴り上げたいのですが、おそらく折れているであろう左足は、激痛が走ってちょっと無理です。動かせる右足も、押さえつけられた力を跳ね返すことができません。


 私は途方に暮れながらも、すうっと息を吸い込み力を溜めました。上半身に覆いかぶさった男の体の下に片手を入れて、手のひらを添えます。息を止め、勢いよく男の体を跳ね上げます。そしてすぐさまナイフを持った手で、ベルトをまさぐる指を切り飛ばしました。


「もういい!殺せ!」


 誰かが叫びまた。


 真上から剣が振り下ろされます。私は籠手でそれを受け流しました。同時に大きな鎚が、私のお腹めがけて振り下ろされます。私をそれを無理やり反転してかわしました。その勢いで私の足を押さえつけていた男が尻もちをついています。


 どうしてなのでしょうか。私の顔の口角が、にいっとつり上がっているのがわかります。殺せ、という誰かの言葉を聞いた瞬間から、爆発的に何かが溢れ出してきます。


 私は帷子(かたびら)を直し、ナイフを鞘にしまいました。寝転んだまま、落ちている私の大剣に手を伸ばしました。


 その間もにやにやが止まりません。大剣を掴み、半身を起こしました。そんな状態のまま、腰から上の全ての筋肉を連動させて、大剣を薙ぎ払いました。


 何て単純で、何て歪んだ人間なのでしょうか、と私は自分自身を客観視します。殺せ、という誰かの叫びにこんなにも悦びを感じるなんて。


 この男たちに認められたのだと私は感じました。


 それまで素手で私を押さえつけようとしていた男たちが、ためらうことなく武器を振り下ろした時に、認められたと感じて嬉しくなったのです。


 私を犯すことを諦め、殺しにきた。それはつまり、私は手に負えない相手なのだと、この男たちに認識させたということです。


 それは勝利に等しいことです。男に舐められないように女である自分を抑え、男の言葉で話し、男のように振る舞い、その思いにずっと執着して生きてきた私にとってそれは、勝利に等しいことなのです。


 男たちが私から距離を取ります。大剣の薙ぎ払いでやっつけたのはたったの一人だけです。それでも男たちは目を見開いたまま、後ずさりしています。


 大剣の餌食になった男が痙攣しています。鎧ごと、体の半ばまでぶった切られて吹っ飛ばされて。そして地面にうずくまったまま痙攣しています。


 後ずさる男たちを見回して、テンションが上がっていきます。そうです、その目なのです、私が見たいのは。


 私は勢いを付けて重心を前に移しました。健在である右足一本で立ち上がります。


 すぐに攻撃に移りました。右足をかがめ一番近くの男に飛びかかります。跳躍の途中で剣を両手に持ち替えて、真上から叩きつけました。兜ごと頭を叩き割り、着地と同時に体を捻ります。すぐさま剣が、隣で立ち尽くしている男に向かいます。深く沈んだ右足が私の全体重を跳ね返し、体が回転しきった時にはもう、そのさらに隣の男の首までをも跳ね飛ばしていました。


 私の口もとがさらに歪んでいきます。口の端がもっともっとつり上がっていきます。

 

 私たちを横目に無視して通り過ぎようとしていた兵士の何人かが、急に立ち止まって私に剣を向けます。その顔は引き攣っています。私を犯そうとしていた男たちは、武器を構えてはいますが腰が引けています。


 周りはもう敵がまばらです。戦線を押し上げるために投入されたであろうこの人たち傭兵、民兵の集団は、もうほとんどがここを通り過ぎていったようです。今ごろはガルリアの正規軍とぶつかっているでしょう。


 サハル帝国の正規軍は今の所見かけません。帝国の本陣がある方向には死体で埋め尽くされた荒野があるだけです。遥か遠くに小さく人の壁らしきものが並んでいますが、動く気配はありません。


 新たに加わった男の首を切断しました。逃げようと背中を向けた男に飛びかかり、腰に大剣を突き刺します。真横から切りつけてきた男の剣を、ぺたんと地べたに座ってよけました。同時に左手で抜いたナイフを男の鎧のすき間に突き立てました。背後に迫る気配に向けて、座ったまま右腕をふり回します。


 何て楽しいのでしょうか。抑えられていた何かが解放されていくようです。


 だいぶストレスも発散されたでしょう。そろそろ私の出番はおわりそうです。その前にできるだけ安全を確保しておきたいものです。


 もうひと暴れするために立ち上がりました。片足で戦うのにも慣れました。ナイフを鞘に戻して右足をかがめ、そして私は次の獲物に狙いを定めました


 できるなら、このまま表にでたままでいたいな、なんてことをおもいながらも


 ─────────

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◇◇◇


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 初めて人を殺した日のことを思い出していた。見知らぬ男に路地へと引っ張られて、ぼろい空き家に連れ込まれたあの日のことだ。三人の男に体を押さえつけられて、シャツを破かれた時に意識が飛んで、気が付いたら俺は笑い声を上げていた。目の前に転がるズタズタになった三つの死体を見下ろして、血の滴るナイフを握りしめながら、俺は甲高い声で笑っていたんだ。


 意識が飛んでる間の記憶はなかった。


 まるであの時のようだ。そう思いながら俺は辺りを見た。たくさんのズタボロの死体が転がっていた。俺が全てをやったわけではない。半分は味方の死体だ。うちの団員の死体もたくさんある。だけど。


 記憶がなくても、俺は知っていた。どういう訳か、感覚的に理解していた。首がぶっ飛んでるのも、防具ごと頭や胴が抉れているのも俺がやった。片目が抉れてるのも、腰が折れてるのも俺がやった。


 あの時もそうだった。三人を殺したのは自分なんだと、何故か知っていた。この現象が何なのかは分からない。ただ、考えても答えが出ないことは知っていた。


 意識が戻った時にあった不思議な高揚感は消えていた。代わりに重い疲労が体を蝕んでいる。


 すうっと息を吐いた。辺りはしんと静まり返っている。(いくさ)はもう終わったのだろうか?


 ニコ、ヨム爺、ジェイ、ノウェ。俺は死体へと変わり果てた仲間たちを見た。レオン、スウェン、ナキル、ガラム。ここから分かるだけで、こんなにも死んでいる。


 あの人がいたのはあの辺りだったか。俺は死体の広がる荒野の先に目を向けた。


 そして目を見開いた。視線の遥か遠くに、帝国軍が見えたからだ。


 戦はまだ続いているようだった。


 だけどすぐに、違和感を覚えた。あまりにも静か過ぎる。


 反対側を振り返った。まばらに散らばった傭兵の後ろ姿が見えた。そのずっと向こうでは、豆粒くらいの人の群れが横一面に広がっていた。ガルリア皇国の旗らしきものも微かに見えた。


 おそらくあそこで戦闘が起こっている。ぽつぽつと、騎兵らしき影もある。だけど。


 誰も、何も、動いていなかった。後ろ姿の傭兵も、遠くの人の群れも、旗も、騎兵の影も、何もかも動きを止めていた。


 静寂の中、聞こえるのは自分の呼吸音と、動くたびに鳴る鎖帷子の音だけだ。


 時が止まっている?


 ふとそんな馬鹿な考えが過った。


 いや、まさか。


 しかし考えるほど、しっくりきた。


 本当に、そうなのか?


 俺はしばし辺りを眺めた。絵のように、動きを止めた人の群れを黙ったまま見つめた。


 もしかして、俺は死んだのか?ここは死後の世界なのか?それとも夢をみているのか?


 様々な思考が巡ったが、考えても答えはない。

 

 やがて、俺は向き直った。そしてあの人が倒れた場所へと向かって踏み出した。大剣を杖に、折れた足を引きずりながら。今にも倒れそうになる体に鞭打って、無音の空間に音を響かせながら、俺は歩き出した。




◇◇◇



 やっぱり死んでしまったんだな。


 結構な距離を歩いたところで、それを見つけた。首のない団長の死体だ。


 俺は座って、藤の模様が彫り込まれた、白銀のプレイトメイルに手を乗せた。薄い皮のグローブ越しに、金属の冷たい感触がゆっくりと肌まで染み込んできた。自然と体が前に倒れ、横たわる体に額を預けていた。


 涙はなかった。この短い間に、この人の死を受け入れてしまったのかもしれない。


 祈る言葉も見つからずに、ただ、生きていた頃の団長の姿を思い出していた。


 目を瞑って静かに、顔を、声を、仕草を、かけてくれた言葉を、思い出していた。



 ゆっくりと、目を開けた。


 死体の向こうに団長の首があった。立ち上がって、首を拾った。死者を弔う作法など知らない俺は、団長の体の横にそっと置いた。


 腰を下ろしてしばらく眺めたあと、束ねた自分の髪を、帷子(かたびら)の後ろ(えり)から出した。


 密かに伸ばしていた髪だ。


 団長が抱く娼婦はいつも、髪の長い女ばかりだと知っていたから。だから気が引きたくて、髪を伸ばしていた。


 あなたはそれに気付いていましたか?


 心の中で、問いかける。


 拾ってくれて、ありがとうございました。


 初めて会った時の場面が脳裏で巡る中、ナイフを抜いた。


 

 さようなら、ロキ団長。



 俺は、髪に刃を入れた。




◇◇◇




「悪魔憑きのお姉ちゃん」


 後ろから声がした。


「ねえ、起きてる?」


 子供に話しかけられている。疲労で半ば眠りかけている頭でも、そのくらいは分かった。悪魔憑きとは何なのかまでは分からないが。


「お願いがあるんだ、悪魔憑きのお姉ちゃん」


 目を開けた。視界がぼやけている。頬に当たった団長の鎧は金属の冷たさを失い、肌の温もりと同じになっていた。結構な間こうしていたみたいだ。


 ゆっくりと顔を起こした。幼い声がした方へと振り返る。ぼやけた視界に不思議な光景が映る。夢でも見ているのだろうか。少し離れた場所で、着ぐるみを着た少年が宙に浮いていた。


「よかった、起きてた。自己紹介くらいはしておきたいからね。僕の名前はフレイス、神の使徒で死者の案内人をやってるよ。よろしくね」


 俺はフレイスと名乗った少年をぽかんと見上げた。幼いが整った顔立ちの、青白い肌の少年だ。身に付けているのは鷲なのか、鷹なのか、ずいぶんと精巧な鳥の着ぐるみだった。

 金色の大きな瞳、着ぐるみから額にはみ出でた髪も瞳と同じ金色だ。


 いまだ静止したままの戦場を背景に、奇妙な装いで宙に浮いている少年の姿は、非現実的すぎて馬鹿馬鹿しくも思えた。しかも自分のことを神の使徒で死者の案内人だと言う。だとすると、俺は案内される死者か。ならばこの状況も納得だ。



「緊急事態なんだ。実は僕たちピンチでね。だから手早くすませたいんだ」


 すうっと地面に下りて、少年は着ぐるみの黄色いくちばしに片手を乗せた。


「悪いけど、マキナのお姉ちゃんには死んで欲しいんだ」


 あまりの現実感の無さに呆けていた頭の中で、警鐘(けいしょう)が鳴った。少年は俺の名前を知っているようだ。そして理由は知らないが俺に死んで欲しいそうだ。


 何かを問いかけようと口を開きかけた時、離れたところにいたはずの少年が目の前に現れた。どうやってか一瞬でだ。

 咄嗟に俺は、腰からナイフを抜いて少年に向けた。


「下界の人間に直接手を下すのは禁止事項なんだけどね、お姉ちゃんが死んでくれないと転送装置が作動しないんだ」


 無表情な顔で、無機質に、淡々と少年は言った。だけど言ってることが理解できない。


「本当ならお姉ちゃんは死んでるはずだったの。そして他の選ばれた死者たちと一緒に僕たちの世界に転送されるはずだったの。なのにお姉ちゃん生きてるから。このままだと他の死者たちもこっちにこれないんだ。だから、本当にごめん。せっかく死の運命を回避したのにね。許して」


 少年の身に纏う雰囲気が変わった。ゆっくりと片手を上げたその動作に攻撃の予兆を感じ取った俺は、ナイフを捨てて大剣に手を伸ばした。


「無駄だよ」


 少年が言うのと同時に切りつけていた。座ったまま薙ぎ払われた大剣が無防備な少年の腰に当たる、が、弾かれた。重い岩でも切りつけたかのようだ。


「そっちのナイフなら僕も多少は傷つけられたんだろうけど」


 少年は、投げ捨てられて地面に転がったナイフに目を向けた。

 その間にかざした少年の腕が白い光を放ち始めた。明らかに危険だと勘が告げている。


「何なんだよ」


 俺は少年が現れてから初めて声を上げた。これから俺は殺されるらしい。理由もよく分からないまま、このふざけた、着ぐるみなんて格好の少年に。

 本当なら俺は死んでるはずだった?一体何を言っているのか。


「ああ、それとも自殺してくれるかな?それなら禁止事項を破らなくてすむからその方が嬉しいな。どうする?お姉ちゃん」


 少年の下ろした手から光が消えた。そして首をかしげて俺の顔を見上げる。



 ちょっと待って下さい。あなた一体なんなんですか!


 さらに意味の分からないことが起きた。自分の口が勝手にしゃべったのだ。


「こんにちは、悪魔のお姉ちゃん」


「悪魔って何ですか。もしかして私のこと言ってます?」


「うん、そうだよ」


「変なこと言わないで下さい。私は私です。マキナです」


 自分の声が勝手に少年と会話をしている。何かを言おうとしても声が出ない。


 さらに不思議なことが起きた。体が勝手に動いたのだ。何かに乗っ取られたかのように、意思とは無関係に動いた体が、ナイフを拾って少年に向けた。


 きっとこれは夢だ。俺は思考を放棄した。


 意識が朦朧とし始めて、音も急速に遠のいていった。まだ何か会話は続いているけど、内容が聞き取れなかった。


 音が消えた。同時に視界が暗転して俺は落下した。

 何処から落ちたのか、そして何処に向かって落ちているのかも分からない。ただあるのはその感覚だけだった。体のどこにも触れる物がなく、内臓が浮いて、身が(すく)む。それが延々と続く。風は感じないが、一切光のない暗闇の中を俺は確かに落下している。


 その最中(さなか)、とても懐かしい人が目に映るのは何故なのだろうか。何も見えない程の暗闇の中、俺は懐かしい姿を見ている。


 ほら、やっぱり夢だった。

 胸にちくりと痛みが走った。ずっと思い出すのを避けてきた人がそこにいた。


 母さん。そう声に出したけど、音も何も響かない。


 何かを訴えるかのように、あの頃の姿のままの母が必死に口を動かしていた。

 その声も聞こえない。


 そして唐突に、ぐしゃりと俺は底にぶち当たった。弾けた意識が飛び散って、闇に溶けていく。


 ほら、やっぱり夢なんだ。


 最後に残った意識の一欠片(ひとかけら)も、やがて完全に闇に溶けた。

 

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