山椒魚
鼎茉莉は高校三年生時「人見知りで特定の人物としかほとんど話すことができない」という設定のキャラクタでした。
大学構内、食堂の一角に二人はいた。
同じ講義を受けている生徒曰く、一人は「態度がすこぶる悪くて教授からも怖がられている」二年生。もう一人は「率先して発言することは少ないが、ノート作りは丁寧でいざというときに頼れる優等生」の二年生。
性格で言えば真逆の二人がテーブルを挟み向かい合って同席している様子は、端から見れば随分と異質であった。何より、のほほんとした表情と、苦悩に歪んだ表情の者がお互いに向き合っているのを見ると、近くに座るのさえ躊躇われた。
「え、あれ、ヤンキーの谷川だよね」
「うわ、鼎さん絡まれてんの?」
「それにしては表情が……」
「あ、ほんとだ」
たびたび聞こえてくる通りすがりの声に、谷川雅子は苛立っていた。
「なあ、鼎。先に出来てる分のお前の課題見せて」
「だめだよ?」
自身の発案を朗らかな笑顔で否定されて、谷川は「うぐ」と音を出しながら言葉を飲み込んだ。
谷川雅子は根っから短気な性格をしており、何かあればすぐに苛立ちを見せる。中でも関係の無い他人から責任もない発言を投げかけられることを嫌い、本来ならすぐにでも文句を返して相手の口を噤ませてしまうのだ。
だが、今はそれが出来ない。その原因はテーブルに置かれた一枚の用紙。二人がともに受けている講義「教科教育法/国語」の課題だった。
なぜこうなったんだ。その言葉が谷川の心に何度も過った。
教授の課題はこうだった。
「講義を受ける者のうち二人組を作り、互いに作成した指導案を見せコメントを記入し合ったものを提出すること。なお、二人の指導案が酷似していた場合には大幅に減点を行うものとする。また、授業内容は小説分野『山椒魚』とする」
元より、講義を受けている者の間で仲の良い者がいない同士の二人ではあった。その上で鼎茉莉が谷川雅子に声をかけた。
「他にいなければ、一緒にしよう?」
二人組を作るというところから課題が始まっていると考えていた谷川は「誰かあぶれてる奴でも脅して一緒にやらせればいいか」と考えていた。しかし、その労力を払わずに済む要素が飛び込んできたならば、それを受け入れるのは必然と思えた。
しかし、谷川の思っていた通りに事は運ばなかった。
本来谷川は、言語学の勉強をするために進路を選んだ。その中で「もののついで」「持っておいて損はない」という気持ちで教員免許の授業に手を出した。その程度の心構えだったのだ。
対して鼎茉莉は、高校時代から希望職を決めた上で進学している。モチベーションに差があるのも当然のことだった。
「課題の授業内容もさー、もうちょっとならんかったんかね」
谷川の発言意図を汲み切れずに鼎が小首を傾げた。それにつられて、日本人形のような短髪がさらりと揺れる。
「『山椒魚』とか、完全にイキりオタクみたいなもんじゃん。出来もしないくせにやってやんぞって言うだけの」
単純に作風が気に入らなかっただけ。そう言ってしまえば簡単なのだが、谷川は俗っぽい言葉で例えた。
「なにそれ、面白い」
しかし、鼎はそれを真摯に受け止めて面白がった。その表情の柔らかさが、きょとんとしていてどこを見ているのかよくわからない普段の様子と違って見えて谷川は意外に感じた。
「それ、指導案に入れようよ」
いたずらっぽく笑いながら、鼎は白い歯をのぞかせる。
「『山椒魚』は寓話の形をしているから、そういう現代っぽい例えがあっても良いと思うよ?」
「いや、冗談で言ったんだけど……」
随分と気に入ったのか、頬を緩めている鼎に谷川は弱腰の話し方をしてしまう。
すると、鼎は一気に悲しそうな表情をして「そうなんだ……」と気持ちを落ち込ませた。
「なんなんだこいつは」と谷川は心の中で毒づく。
これまでに会ったことの無いタイプの相手に、ペースを乱されている気持ちになった。
「……じゃあ、なんだ。「暗黒の浴槽」は中二病っぽいとか、そういうのでも良いのか?」
意図せずに傷つけてしまった感情を覚えた谷川は、なんとなく鼎に寄り添う案を出した。
「うーん、それはちょっと違うかな。そこは作者の表現方法だから、山椒魚の棲家をこんな風に表現していて面白いねって雑談を入れてみたりするのが良いかも」
先ほどまで暗い表情をしていた鼎は、今度はキリっとした表情で話した。
「なんか、面白いな」
その様子を見て、谷川は素直に発言をしていた。
「でしょう? 私、国語の教科書を読むの好きだから、わかってくれたならうれしいな」
ドヤ顔をしている鼎に、谷川は小さな声で「ちげぇよバカ」と毒づく。
しかし、その表情は他者に向ける冷たいものではなく、片方の口角だけを上げる歪な笑いでもなく、どこか自然な笑顔になっている。
「なあ、ほんとに大丈夫かこのコメント。『谷川さんの独特な知見によるツッコミがグッドです』って、バカにしてないか?」
「大丈夫だよ。授業でもフォローしてあげる。でも谷川さんの『まともな授業案です』っていうのはどうかと思うよ」
一時間後、完成された課題を見て表情を綻ばせる二人。
その様子を見て、ある生徒はこのような感想を持ったのだと言う。
「鼎さん、猛獣使いの素養があったんだ……」
と。
「茉莉の指導案」という、ただただ「鼎茉莉がまじめに授業を行ったらどうなるか」なお話を書こうとしていたのですが、こういう路線で考えてみました。