八じゅうなな
ギルテに戻るとケルンがネリキリーに駆け足で寄ってきた。まるで飛び付かんばかりだ。
そう、思ったとたん、軽く包容された。
「子供じゃないんだから」
ネリキリーはちょうど額分だけ背が高いケルンをやや乱暴に押し退けた。
高等学院を離れてから、自分も大分背が伸びたが、ケルンはそれ以上に伸びたのが如実に解る。
「アンゼリカ嬢から戦闘中に倒れたと聞いた。何ともないんだな」
「見ての通り、五体無事だよ。少し魔力を使い過ぎただけだ」
「ネル、お前、まだ、治っていないのじゃないか」
ケルンは心配げにネリキリーに問いかけた。
「一気に魔力を解放したから、その反動」
魔力の欠乏症は今のところ完治が不可能な病だ。
オーランジェットと違い、他の国では、土地自体に魔力が少ない。
魔糖菓子で補充したとしても、日の半分は寝たきりになる。
かつての自分を思い出して、ネリキリーは唇を噛む。
「皆を守るのと同時に、葡萄を枯らしたくなくて、力が入りすぎた。マナナンの魔法を見たのは初めてだったし。次はもっと上手くやるよ。依頼主殿」
ことさら揶揄うように言って、ネリキリーは仲間の冒険者たちにも笑顔を見せる。
彼らはネリキリーとケルンの会話を面白がっている様子だ。
イーネスなどはあからさまにニヤついていた。
「ほら、みんなが君の支払う金をお待ちかねだ」
ネリキリーは冒険者達の間に入って、立場を明確にするためにケルンと対面する形を取った。
冒険者たちの中にはアンジェリカとミシェールの姿もある。お互いに頷き、微笑を交わしあった。
二人とも疲労の色は見えるが、しっかりと立っていた。ラークミーツ達の姿がないのが気になるが、集中的に攻撃されていたから、少しは傷を負っているのかもしれない。
いい薬だ。
助けた相手に向かってネリキリーは珍しく内心で毒づいた。
農作物に塩水をかける、それがどういうことになるか。
今植えてある葡萄が枯れるだけではない。塩の被害は後々まで残る。
内地の農家出身であるネリキリーが知っていたくらいだ。島であるリコネスの民なら当然、解かっていたろうに。
ネリキリーはまだ握っている塩のざらつく感触にかすかな苛立ちを覚えた。
ネリキリーとケルンがそちらに近づくと、冒険者達の集団が二つに割れた。
冒険者達の視線が二人に注がれる。
ネリキリーは素早くマラニュとバンスタインの間に入った。
ケルンが一瞬、恨めしそうな目で見たが、二人の立場は違う。
チュロス、メイベル、パトラスが愛想笑いを浮かべてケルンを待っていた。
「ご依頼は無事に果たしました。おめでとうございます」
責任者のチェロスが型通りに挨拶した。
「ありがとう。で、支払いの方だが、どうすればいい?」
「金額が金額です。本来なら現金でいただいきたい所ですが、ランバート家のお名前を信用して手形でも承ります」
ケルンは少し考えてから答えた。
「いや、全額を現金で支払おう。ジャムス」
ケルンに呼ばれて、彼の従者らしい男が外に走った。戻ってきた時には二人で、それぞれが革袋両手に持っていた。彼らはそれを横長の一枚板の受け付けに置いた。
どんという重い音と金属の鳴る音。
「ドラクル金貨で七万リーブある。確認してくれ」
ドラクル金貨は一枚百リーブという高価な金貨だった。
「承りました」
チェロスの言葉を合図に、金貨が取り出されて、十枚ずつ積み上げられていった。
輝く黄金が机に広がっていく。
冒険者の誰かが息を飲むのがネリキリーの耳に届く。
最後の一枚がメイベルの手から離れると「確かに七百枚」とチェロスが慇懃に宣言する。
ゼフォンとストラドは平然としたものだが、若い冒険者達は目の前の金貨に興奮を隠せない者もいた。
ネリキリーも金貨を見てから、ケルンの方を見てしまう。
ケルンの家が富裕なのは知っているが、自分たちに、こんなに払って大丈夫なのだろうか。
最初にケルンが金額を提示した時も驚いたが、大量の金貨を見ると現実味が増して、心配になってくる。
「確かに、七万リーブ。受取票をお書きしますので少々お待ちくださいませ」
チェロスに指示されたメイベルが受取票に金額を記入してケルンに手渡した。
「では、皆さま、それぞれに」
とチェロスが冒険者達に声を掛けたとたん、扉が開かれて、ラクミーツ達が入ってきた。
ラクミーツは机に並べられた金貨に一瞬、目を見張った。
それからおもむろにケルンに近づいた。
「ケルン・ランバート殿ですな。この度は私共の命を救うために、ギルテと契約をなさったと聞きました。面識もない我々へのご厚情なんとお礼を述べてよいか」
ラクミーツは挨拶もそこそこに礼を述べた。
「ラクミーツ様に礼を言われる事ではありません。私は、人として当然のことをし、それに加えて、友人のためにギルテと契約したのですから」
「ご友人?」
「貴方を最初から守っていたアンジェリカ嬢とあなたを救ったネリキリーです。二人とは旧知の仲ですので」
「おお、私共の最大の恩人がケルン殿のご友人とは、二重、三重に貴方は私共の恩人ということですね。まことにありがたいことです」
ラクミーツは大袈裟に感激してみせた。
「礼ならば、私の友と冒険者諸氏に言ってください」
「そうでしたな。ただ、まずは冒険者を雇って下さったケルン殿にお礼をばと」
「充分いただきました」
ケルンは冷静な口調で相手に告げると、ネリキリーに視線を投げた。
自分にラクミーツの相手をさせるつもりだ。
ケルンは如才ないが、本当に苦手な相手だと、ネリキリーに振る。
ラクミーツの大袈裟な礼は、彼が言葉の礼しか出すつもりはないと思っている証しに思える。
「ああ、私共の救い手ですな。確か名前は……」
滑らかだったラクミーツの口がネリキリーの名を思い出せずに、途切れる。
「ネリキリー・ヴィンセントです。ラクミーツ閣下」
ネリキリーは高等学院仕込みの優雅な礼をしてみせた。
あまりする事はないにしては、及第点だろう。
礼法の授業があったことをネリキリーは胸の内で感謝する。
「そう、ネリキリー殿。まるで竜のごとく、我々の前に舞い降りられたご仁だ」
これまた大袈裟な誉め言葉だった。
「竜に例えられるとは光栄ですが、過分な評価です。ラクミーツ閣下をお救い出来たのは、同輩のミシェール、アンゼリカが、我々の到着まで持ちこたえてくれたからこそです」
ネリキリーは話を二人の女冒険者に持っていった。
実際、最大の功労者はアンゼリカとミシェールだ。
「もちろんですとも。美しきお二人の勇者には、私から特別にお礼を差し上げたい」
ラクミーツは懐から箱を取り出した。
おや、とネリキリーは思った。
女従者を付き従えるだけあって、女性には言葉だけでない礼をするらしい。
「我がリコネスが誇る宝、マナナンの花真珠です」
ラクミーツがゆっくりと箱を開ける。
ドラクル金貨より一回り大きいくらいだろうか。
花弁ような四枚の貝殻の中心に独特の光沢をもった白い真珠が納まっている。
男のネリキリーが見ても、綺麗だと目を奪われる品だった。
それが二つ。
「初めて見ました」
アンゼリカが讃嘆の色を乗せて呟く。
「リコネスがロマ将軍に贈った勲章も花真珠を細工して造ったと聞いている」
ミシェールの声も幾分かいつもと違う。
「英雄ロマに贈ったものよりは、やや大きさが劣りますが、これもなかなかの品です」
どうだと言わんばかりのラクミーツの態度に、ネリキリーは一瞬だけ空目をした。
だが、二人の苦労が報いられるなら、それは良いことだ。
「ですが、二人だけ頂くというのは」
アンゼリカがためらいを見せた。ミシェールも同意するように話し出す。
「サチュオーロの心を解くきっかけを作ったのはネリキリーですし、慰めの調べは全員の力があってのことです」
「貰っておけよ」
固辞しようとする二人にゼフォンが声をかけた。
「アンゼリカとミシェールの奮闘は、全員が認めるところだ」
ヴァリ・ストラドもゼフォンに同意して、花真珠を受け取るように即した。
他の者たちも次々に、貰えと声を掛ける。
二人はネリキリーに揃って顔を向けた。ネリキリーが軽く頷いて「遠慮することはないですよ」と言うと、二人はやっと決心がついたのか、微笑みを浮かべた。
「では、ありがたく頂きます」
ミシェールとアンゼリカがラクミーツから花真珠の入った箱を受け取った。
「ネリキリー殿には申し訳ないが、花真珠の持ち合わせが二つしかなく」
「お気になさらず。あのように充分な報酬をケルンから約束されております。ただ、ご忠告を一つ聞いていただけますか」
ドラクル金貨に一度、目を向けてからネリキリーは申し出た。
「どうぞ、拝聴しましょう」
「貴方のマナナンの加護の使い方についてです。その力は強力です。いたずらにその力を振るうことなきようお願い申し上げます。自分が守る葡萄樹に塩水を大量にかけられる。それがどういう感情を引き起こすか。サチュオーロ達が怒るのも無理はありません。この一握の塩が、彼らの努力を無にさせるところだったのです。私は明日から、まだ地に残っているだろう塩分を抜くよう努めますが、多少は枯れてしまうものもあるでしょう。あなた方の災難は自らの軽率さによって引き起こされたことをお忘れになきようお願いします」
ネリキリーは手の平を開いて、ラクミーツに握り込んだ塩を見せた。
ラクミーツは気まずげに目をそらせたが、ややあって、「今後は気をつけるといたしましょう」と口にする。
それを聞いたネリキリーは、手巾を取り出して塩を包んだ。
「では、この塩を我が報酬として頂いておきます」
ネリキリーは少し笑み、軽く会釈をしてから包んだ塩を懐に仕舞い込んだ。
「さてと、話がついたところで、チェロス、俺たちに今日の働きの精算をしてくれ」
ゼフォンはくるりと反転して、ギルドの職員に向き直った。
花真珠などという珍しい物に気を取られていたが、自分が仕事をした報酬である金の輝きはまた格別だ。
一同はざわざわと会話しながら、メイベルから報酬を受け取っていく。
だいたいが、三百リーブから五百リーブを金貨で貰い、残りはギルテに預けていく。
その様子に「だったら、半分は手形でも良かったか」とケルンが小さく言った。
ネリキリーも五百リーブを金貨で貰った。
リ・ボンを補充しておかなくては、と強く思う。
移動の時に、もっと多く口にしていたら、倒れなくて済んだかもしれない。
最後にゼフォンが報酬を貰うために、受付の前に立った。
「俺の報酬のうち、四千はネリキリーとマラニュに渡して。あとの千は今夜の祝杯に提供する。行かなかった連中も参加するだろうから」
一同に驚愕が走った。
動じていないのは、マドレーヌとチェロス、そして、付き合いの長いだろう、バリ・ストラドくらいだ。
「ゼフォン教官?」
ネリキリーは自分がまだ気絶していて、夢でも見ているのではないかとさえ思う。
「それで本当によろしいのですか」
メイベルがゼフォンに確認を取った。
「問題ない。俺にはこれがあるから」
レーチカが差し出した銀の腕輪をゼフォンは取り出して、皆に見せつけるように振った。
「じゃあ、そういうことで」
ゼフォンは飄々とした態度で、ケルンとラクミーツの間を通って建物から出て行く。
「よく判らないご仁だな」
バンスタインが頭を左右に振った。
ネリキリーもマラニュも唐突さと驚きで、ゼフォンの申し出を断ることに頭が回らなかった。
「遠慮するな。あいつは時々、そういう気まぐれを起こす。気になるなら良い酒の一本も贈っておけばいい」
ストラドが、茫然としているネリキリーとマラニュの肩を叩いた。