八じゅうろく
「気づいたか」
揺れる馬の背でネリキリーは目覚めた。
だが、馬は大地を駆けていない。飛空している。
目の前には、大きな男の背中。マラニュだ。
彼の背中に括り付けられるようにしてネリキリーは運ばれていた。
軽く辺りを見回せば、マドレーヌとヴァリがアイオーンの背に乗って、二人を取り囲むように飛んでいた。
マラニュの背中の向こうには赤い鬣が風にたなびいている。
下を見れば、仲間たちが丘陵を走っていくのが見えた。
冒険者としてのアイオーンの初乗りが、まさかこんな風になるとは。
子供のように運ばれる自分に恥ずかしさをネリキリーは感じて、乗っているアイオーンのように赤くなった。
「残念ね。あんな感動的な場面を、立役者が見逃すなんて」
寄ってきたマドレーヌの声は揶揄いが含まれていた。
「あの後、どうなったんですか」
マドレーヌに言われて、ネリキリーは自分が塩を握ったままなことに気が付いた。
意識を失っても地に撒いてはいけないと思っていたらしい。
「ヴァリさんが歌っていたのは覚えているんですけど」
「あれを聞き逃すなんて。一生の後悔ものよ」
少しは聴いていた。ほんのさわりだけは。そう言おうかと思ったが、彼は口を閉ざした。
「サチュオーロに我々は敵ではないと伝えて欲しいと言ったのは覚えているのですが」
「そうよ。それに応えてヴァリが謳ったの。それから、アンジェリカやミシェール、最後にはゼフォンまで歌ったわね」
「それは惜しかったな。ゼフォンさんの歌は聴いてみたかった」
「奴は、ほんの一節か二節歌っただけだけどな」
ヴァリは楽し気な笑いを上げた。
「お前のおかげで、奴を当分からかうネタができたよ」
「ということは、上手くいった。サチュオーロの怒りは鎮めて、ラクミーツさん達を助けることができたってことですよね」
「そうだ」
ヴァリが力強く頷いた。
「アンゼリカさんとミシェールさんに怪我は?あと森猫も」
救援が来るまでずっと戦っていたのだ。サチュオーロが彼女達に敵意を向けなかったにしても、ラクミーツ達を守る時に少しは怪我をしたかもしれない。
「少しはね。でも、例の軟膏で傷は残らないと思うわ」
それを聞いてネリキリーは安心した。冒険者とはいえ、女性だ。傷跡が残るのは喜ばしいことではないだろう。
「マラニュも歌ったのか?」
ネリキリーはふと気になって、一心に前を向いてアイオーンを飛空させているマラニュに尋ねた。
「……」
無言だった。つまりは歌ったということだ。
「ありがとう」
「仕事だ」
ネリキリーが礼を言うとそっけなくマラニュが返した。
◇◇◇
天馬は彼ら専用の牧場ではなく、ギルテの厩舎の馬場に降りたつ。
それを待っていたように、翔驢馬が駆け寄ってきた。
見上げる瞳はネリキリーを案じているように見えた。
アイオーンから降りてネリキリーは優しく毛並みを撫でる。
タレスが一声鳴いてネリキリーに擦り寄った。
「好かれているな」
先に着いていたヴァリがネリキリーの肩を叩く。
「ええ、まあ」
好かれているのは自分というより、真証石の音色ではないかと思う。
赤駒のアイオーンがタレスに近寄り、匂いを嗅ぐような仕草をした。タレスは一歩だけ怯えたように後ろに下がる。
慰撫するように赤駒が嘶くと、タレスは元の位置に戻って相手の匂いを嗅ぐ。
「親愛を表すやりとりです」
マドレーヌがアイオーンとタレスの動作について解説してくれた。
「この翔驢馬はアイオーンの血を引いているのかもしれませんね」
「馬と驢馬の掛け合わせてできる騾馬は、繁殖能力はないですけれど」
ネリキリーの疑問に、マドレーヌは軽く首を振った。
「幻獣と普通の動物は別のものですから。身体を巡る魔力の親和性が高ければ、種が違っても子を成すことは可能です。もっとも、種が違う同士が、自然に番うことは稀です」
言われてみれば馴鹿と天馬を掛け合わせてトナイオンを魔法生物局が創っていた。
ネリキリーがマドレーヌと話している間に、アイオーンとタレスは冒険者たちから離れて馬場を走っていく。
「俺たちも行こうか。ゼフォン達はもう先にギルテに着いているはずだ。意識がないネリキリーを運ぶのでゆっくり飛んできたからな」
ヴァリが顎をしゃくって離れたところに見える事務舎を示した。