八じゅうご
旋回する天馬達は地上の争いを目前と見下ろしていた。
ネリキリーは自嘲気味の笑いを浮かべた。
彼らを乗りこなすことができるのなら、攻撃の幅は広がるのに。
ネリキリー達はサチュオーロを捉えようと何度も攻撃を繰り返した。
だが、恐ろしく彼らは強い。
今まで、アンゼリカ達がラクミーツを守っていられたことが奇跡に感じるほどに。
互角以上と言えるのはゼフォンとヴァリの二人組だけ。
ヴァリが戦線から少し離れる。アイオーンで再び空に上がろうとしている。
しかし、一頭のサチュオーロがヴァリ達に突進する。強く太い角がアイオーンの足を払い、天馬が駆けあがるのを阻んだ。
アイオーンが舞い上がるには前駆が必要なのを知っているのだ。
葡萄の樹が茂る丘陵では駆ける場所も決まってくる。
ゼフォンがアイオーンに乗らなかったのはこのためか。
ネリキリーは彼の指導官の選択を理解した。
天を駆けるアイオーンの足は普通の馬に比べても弱い。
ネリキリーはちらりと空にいる赤駒を見上げた。彼らは高みの見物をしているわけではなく、サチュオーロに手を出しかねているのかもしれない。
サチュオーロがヴァリのアイオーンに向かって跳ねた。
体制を崩したヴァリは応戦が甘くなる。
サチュオーロの角がアイオーンの翼に届こうとした瞬間、ゼフォンの槍が間に入り、手品のように敵の身体が回転した。
ヴァリが空中で回転したサテュオーロの足をつかんで、朗々とした声で何かを詠唱する。
もがこうとした敵の幻獣が急に大人しくなった。身体も急速に縮んでいく。
子ヤギほどの大きさになったそれはぐったりとしていた。
ヴァリはそれを抱えたまま空にあがり、マドレーヌに手渡す。
「さすがです」
マドレーヌが受け取る。
「次もこう上手くいくといいのですが」
ヴァリの声が天上から小さく響いてきた。
「俺たちの真似をしようとするなよ。あれはヴァリの声があっての技だからな」
苦戦しているネリキリー達にゼフォンが声をかけた。
皆、サチュオーロをアンゼリカ達に近づけさせまいと必死で戦っている。
膠着状態が続く。
一頭はゼフォンとヴァリの手際で減らせたが、その後はサチュオーロも学習したのか、二人に攻撃を仕掛けようとはしなかった。
ラクミーツ達を狙うことに専念している。
攻撃を受ける彼らは怯えているのか、アンゼリカとミシェールの陰にいた。
ネリキリー達の攻撃を避け、さらにはアンゼリカ達の壁を飛び越え、サチュオーロがラクミーツ達に攻撃を仕掛けようとする。
ミシェールが振り向きざま、剣を突き出してそれを止めようとした。
幻獣の硬い胴体と剣がぶつかる。
幻獣の身体は勢いを失ったが、完全に止めることは出来なかった。
サチュオーロの蹄がラクミーツ達に罹ろうとした時、水の盾がそれを防いだ。
さらに、サチュオーロを押し返そうと、水が膨らんだ。
おそらく、それは海水。ラクミーツにはマナナンの加護があるに違いない。
が、それは。
「やめろ!!」
ネリキリーは攻撃も防御も忘れて、飛び出した。
彼に向ってきたサチュオーロの背に手をかけて、飛び上がった。
唇には知らず、魔導式が紡がれる。
EGO Opt Vent//Pes
我が足に風の翼を
一瞬、身体が軽くなり、まさしく翼が生えたごとく、かなりの飛距離をネリキリーは稼いだ。
「ネリキリー!!」
後を追う様に、マラニュがサチュオーロを叩き伏せて駆けてくる。
ラクミーツの、いやネリキリーの間近に迫った幻獣の角をマラニュの槍が食い止めた。
ネリキリーはその隙をついて、ラクミーツが作り出し、はち切れんばかりに膨らんだ海水の盾に触れる。
Mix Sal et Aq // EGO 0pt PUru DUO Reduc
混ざりあう塩と水よ。純たるものに姿を戻せ
身に着けた真証石が熱を帯びた。
引き出され、膨れあがった魔力が、ネリキリーの意志と躰を伝っていく。
海水は水と塩に分かれる。
ネリキリーは塩を手に握りしめた。
「大丈夫、葡萄の樹は枯れない」
サチュオーロがいきり立った原因、ラクミーツ達が、サヴァランの番人を魔物と勘違いしたがゆえ。
防衛と攻撃のために使われた海水。
塩水は、植物を枯らす。
幻獣達は戸惑ったように攻撃を止めたものの、まだ臨戦態勢を取っている。
“伝えて。誰か、僕よりもっと上手く。我々は敵ではないと”
“古い、魔導式の元となった言葉で”
薄れる意識の中で、ネリキリーは、その場の皆に届くようにと声を上げた。
そして、雅樂が流れる。緩やかで穏やかなヴァリ・ストラドの声。重なる透明な女性の声はアンゼリカとミシェールか。
空にいるアイオーンの嘶き。
……丘は金緑に満ち、我らは集う。
……空と大地の支配者らに捧げられし、黄金の雫を共に飲み干すため。
……黄金の雫は我(人)と彼(幻獣)の境を無くし、大いなる悦びを共に築かん。
ドラコ サヴァラン アミーコ エス(サヴァランの朋よ)
ネリキリーの胸に、サチュオーロの声が聞こえた気がした。