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八じゅう

「ジョバンニとケルンって人が訪ねてきてる」

 ジョバンニのことを教えてくれた店の者がネリキリーの部屋に来て言った。

「分かった。ありがとう」

 ネリキリーは礼を言うと一緒に階下へ降りた。

 一階には使いを頼んだジョバンニと一緒に笑みを張り付けたケルンがネリキリーを待っていた。

「ジョバンニ、残りの駄賃だ」

 ジョバンニの手のひらに約束の硬貨をネリキリーは落とした。

「どうも。また何かあったら声をかけて」

 ジョバンニがが硬貨を握りしめて言った。

 ひらひらと手を振って宿を出ていく。


 ネリキリーはケルンを自室に招き入れた。食事の時間まではまだ間ある。

「すぐ来るとは思わなかった」

 ネリキリーは微かに笑う。

「あんな伝言を受ければ、飛んでくる」

「でも、彼女がこの町に来ることは分かっていたよね?」

 でなければ、わざわざケルンがこの町にいるわけはない。

「ああ、だがどこの宿いるかまでは分からなかった。冒険者組合(ギルテ)に渡りをつけようと思ったが、部外者には壁が厚い」

 冒険者の情報、特に女冒険者の情報は、冒険者組合(ギルテ)で保護されている。

 宿も冒険者組合(ギルテ)の管理している土地にある。

 それに、アンゼリカは三日前にダックワーズに来たばかりだ。


「ネルはいつ彼女と再開した?」

「三日前。ケルンと会った後に」

「何ですぐに知らせてくれなかった」

「彼女が会うかどうか決めるべきだとおもったから」

「じゃあ、今回知らせてきたのは、彼女の意志か」

「そうだ。僕ともう一人の女性が立ち合いを頼まれた」

「じゃあ、お前は彼女の味方か」

 ケルンがうろんな目でネリキリーを見つめてきた。

「そういうことになるかな。成りたいものになるために真面目に努力する人間は応援したくなるものだろう?」

「しかし、アンゼリカ嬢は女性だ。なにも特級を目指さなくても」

「一度は、ベジタブール準男爵も認めたと聞いている。ならば約束は守られるべきだ」

 ネリキリーはきっぱりとそう宣言した。



 ネリキリーとケルンはしばし相手と見つめ合った。それは睨みあうと言われてもあながち間違いではないほどの強い視線だった。



 緊張した空気をほぐすように軽快に扉が叩かれた。ネリキリーが「どうぞ」と入室の許可を出す前に扉が開かれる。

 顔を出したのは、案の定マドレーヌだった。


「ネリキリーさん、伝言を聞きました。……あら、もういらっしゃっているのですね」

 ケルンを見とめたマドレーヌがネリキリーに話しかけてきた。

「はい、マドレーヌさん。貴女が会いたがっていた旧友のケルンです」

 マドレーヌは姿勢を正してネリキリーを見た。婦装(ロージィ)ではなく、乗馬服を着ている。自室に寄らずにまっすぐここに来たようだ。

 ケルンの視線が流れて、マドレーヌの体の輪郭をなぞる。

 最後にマドレーヌの顔に戻った。

 マドレーヌの唇には微笑みが刷かれている。人を引き寄せる不思議な微笑。まだ幼さを残す顔なのに、どこか老成した雰囲気を醸し出す。


「ネリキリー、こちらは?」

 ケルンの声が微かにうわずる。

 マドレーヌは黙っていると、男の思い描く理想の女性像の一つを体現している。

 穏和で、けれど芯の強さを感じさせる瞳。

 あくまで優美な肢体はしなやかで、柔らかそうだ。


冒険者組合(アルチュールギルテ)のメーレンゲ支部のマドレーヌさん」

 ネリキリーがマドレーヌを紹介する。


「初めまして。わたくしはマドレーヌ・ショコラーテと申します。冒険者組合(ギルテ)の運営に携わっております。この度は是非、カロリングからいらした方にお話をお聞きしたくて、ネリキリーさんに紹介の労をとっていただくようお願いしておりました」

 乗馬服のため淑女の礼はせずにマドレーヌは握手の手を差し出した。

「初めまして、ケルン・ランバートです。ネリキリーとは高等学院(リゼラ)で共に学んだ仲です。今は父の手伝いをして、貿易の仕事をしております」

 ケルンはマドレーヌの手を取り、熱を込めて握った。


「シュトレーゼ商会ですわね。敏腕な後継者だと、オーランジェットでも話題に出ますわ」

「それはうれしいかぎりです」

 ケルンの顔がほころびた。

「以前から、冒険者組合(ギルテ)での収穫物を扱いたいと働きかけていらっしゃるとか」

 おや?と言う顔をケルンが見せる。

冒険者組合(ギルテ)では情報は噂より早く伝わるのです」

「それが竜王の鱗より固いと言われる冒険者組合(ギルテ)の堅固さの一因なのですね」

 マドレーヌは黙って笑みを深くした。


「ですが、繋がりは強固ながら冒険者組合(ギルテ)は支部ごとに、かなり裁量があると聞いております。是非、始まりの町、メーレンゲの支部から新たな風を吹かせてほしいですね」

 ケルンはかなり真剣な態度でマドレーヌに畳み掛けた。

「同じことを本部やこのダックワーズの支部でもおっしゃっているのではありません?」

「すべての扉を叩くのは商人の常識ですので」

 マドレーヌは右手の指を頬に当てた。

「その悪びれない態度は、私は好ましいと思いますが、シュトレーゼ商会が直接冒険者組合(ギルテ)から収穫物を買い付けるの無理でしょうね」

「新に参入する隙はないということですか」

「ご存じとは思いますが、冒険者組合(ギルテ)は依頼を受けて動きます。つまり、収穫物は依頼主に優先権があります。ついで依頼を受けた冒険者。植物の採集や魔物の遺骸そのものの取得が条件である案件を除き、大抵は依頼料を押さえるために、魔物の遺骸などは依頼主が冒険者に譲る条件で契約しています。それを冒険者組合(ギルテ)が一括して買い上げているわけです」

「そして冒険者組合(ギルテ)が幾分かの手数料を上乗せして、市井(しせい)に流すわけですね」


 ケルンの言葉にマドレーヌはそうだと頷いた。

冒険者組合(ギルテ)が素材を売る相手には資格が要ります。名の通り、組合(ギルテ)ですからね」

 マドレーヌの言いう通り、冒険者組合(ギルテ)から直接購入できるのは、組合に所属しているか、かつて所属していた者。


 薬草などもその鑑定や品質の保証を受けるために冒険者組合(ギルテ)に一度は納入してから依頼主に渡される仕組みだった。

 カロリングで世話になったエッセン氏が特級鑑定士の資格を持ち、オーランジェットの魔物を取り扱えるのも彼がオーランジェットで冒険者をしていたからだった。

 ファンネルもその経験があるために、店にはオーランジェットからの素材がいくつか用意されていた。


「寡占は、それを利用するものにとってあまり好ましくないと思うのですがね」

 ケルンがため息交じりに言うとマドレーヌは少し表情を引き締めた。

冒険者組合(アルチュール・ギルテ)の門は何人(なんぴと)にも開かれていますよ。そう、オーランジェット以外の国の女性にも」

 そこには、ケルンに襟を正させる響きがあった。

「私はケルンさんが冒険者組合(ギルテ)に所属する女性の冒険者を探していらっしゃることも伝え聞いております」

 きらりとマドレーヌの瞳が光る。


「それは」

 ケルンがいいよどむ。

「……その女性のお父上からの証明状を王都の冒険者組合(ギルテ)本部に提出しております」

「もちろん、そのことは存じております」

 当たり前だという態度をマドレーヌはとった。

「ベジタブール準男爵はアンゼリカ嬢がカロリングに帰国するのをお望みです」

 いくぶんか声を抑えてケルンが話す。

「それも知っております。しかしながら、わたくし達冒険者組合(ギルテ)は彼女をカスタード団へと推薦をいたしました。(エクス)はオーランジェットの国防にも関わり、また竜翼の誓いで結ばれた他国へも派遣される集団。冒険者組合(ギルテ)のなかでも特殊な組織。特にカスタード団は最初に認可された(エクス)であり、権威ある存在です。冒険者組合(ギルテ)の顔と言っても良いでしょう。それを、お父上とはいえ、本人の意思なくして帰国せよというのは、本人の“自由”を重んじる冒険者組合(ギルテ)、ひいてはフロランタンを戴く者としては承服いたしかねます」


 マドレーヌがケルンを紹介して欲しいと言ったのは、それを含んでのことだったのか。

 ネリキリーは、彼女が急にケルンに会いたいと言い出した理由を理解する。

 若くして見届け役(サニワ)を引き受けることのできるマドレーヌだ。単なるメーレンゲの受付嬢ではないのだと、ネリキリーは彼女に対する意識を改めた。


「マドレーヌさん、自分は外していたほうがいいですか?」

 ネリキリーは当事者のアンゼリカがいないのにベジタブール伯爵の代理人といえるケルンと冒険者組合(ギルテ)とのやり取りを聞くことにためらいを覚えた。


「あら、私を初めて会った男性と二人きりにするのですか?」

 男二人の部屋に自ら入ってきたというのに、マドレーヌはそう言った。いくぶんマドレーヌの口調が柔らかくなる。

「ですが、他の冒険者の事情を本人がいないままに、自分が聞くのは問題だと思います」

 ネリキリーが良識的な意見を述べるとマドレーヌは少し小首を傾けた。

「では、本人に会いにいきましょう。もともとそのおつもりだったようですし」

 お見通しだといった風情でマドレーヌはネリキリーを見上げた。


冒険者組合(ギルテ)の職員として、カスタード団へ彼女を推薦した見届け役(サニワ)として、そして一人の女として、アンゼリカさんとそのお父上の代理人であるケルン・ランバート氏との話し合いに同席を望みます」



 ネリキリーは、ケルンとアンゼリカの話し合いの後に、マドレーヌをケルンに紹介するつもりだった。

 彼の思惑とは外れて事態は動いている。


「まず、アンゼリカ嬢に訊いてみないと」

 ネリキリーが言うと、マドレーヌは大きく頷いて、

「では、今から訊きに行って参ります」

 とネリキリー達が言葉をかける隙もなく、部屋から出て行った。



「参ったな」

 どさりとケルンか椅子に腰を下ろした。

「アンゼリカ嬢を説得すれば良いだけかと思ったのに、冒険者組合(ギルテ)も口説かなきゃならないのか。今後の商売の事を考えると、あまり強くは出れなくなった」

 思わず漏れたケルンの本音はネリキリーにとって、あまり納得いくものではなかった。

 学生時代からの時の流れを嫌でも感じさせられる。


 見下ろすような形でネリキリーはケルンを眺める。

 視線を感じたのか、ケルンは顔をあげた。

「加えて、ネリキリーも納得させなきゃならないなんてな」

「家同士の付き合いがあるからと言って、他人の人生の去就について、安易に請け負うからだ」

 ネリキリーはにべもなく言う。


 怪角鹿(エゾック)飛びかまきり(グルーマント)を狩ったあの日から、あの場にいた大抵の人達は、シュトレーゼ商会と懇意にしている。

 ベジタブール準男爵も例外ではない。

 ファンネルの店にアンゼリカ達が通うようになってからは尚更だった。


 だが、ここまで個人に踏み込むような頼み事を引き受けるとは。


 改めてケルンがベジタブール家からの依頼を受けるに至った経緯をいぶかしく思う。


「俺の家、ランバート家とベジタブール家で縁談が持ち上がったんだよ」

 ケルンはネリキリーの心の疑問を見透かしたように言った。

「もちろん、まだ正式なものじゃない。母親同士が話の拍子に、丁度いい年回りの二人がいると口にしたくらいのものだ」

 ケルンは少し背を伸ばした。

「だが、ベジタブール準男爵は、オーランジェットから娘を帰国させるいい口実だと考えたらしい。冒険者組合との交渉に行くという俺にアンゼリカ嬢の事を頼んできた。その後の縁談も含めて」


 ああ、やはりそういうことかとネリキリーは納得する。

「お前は、彼女を?」

 ネリキリーが水を向けるとケルンは真面目な顔をして答えた。

「アンゼリカ嬢は見目も良く、性格も温和だが、意思は強い。時には商会を支える立場になるのだから、か弱いばかりでは話にならない。彼女の薬茶師(ヴァリスタ)の知識も商売の一助になる。身分も準男爵令嬢なら、ランバート家でも手が届く。理想的な結婚相手だ」


「条件ではなく」

 ケルンは彼女を想っているのか。途中で切れたネリキリーの短い言葉の続きをケルンが察した。

「物語に出てくるような、何もかも捨ててもなんていう強い感情ではないが、彼女のことは好ましく思っているよ」

 探るような視線をケルンがよこす。

「そうか」

 ネリキリーは静かな声で答える。

 後は二人の問題だ。


 ただ。


「彼女がお前との縁談を嫌って、家を出た訳ではないんだな」

 ネリキリーが確認すると、ケルンは弾かれたように立ち上がった。

「まさか。彼女がオーランジェットに向かった時には縁談話は出ていなかったし、そんなことは。いや、ベジタブール準男爵が彼女に手紙で知らせたとか?だから、カスタード団に入りたいと志願した?」

 ケルンがいささか情けない顔で、ネリキリーを見た。

「俺、もしかして嫌われてる?」

「さあ?」

 ネリキリーは両手を広げて分からないとケルンに言った。


 アンゼリカはケルンを嫌っているとは思わないが、話の持って行き方によっては嫌われてしまう可能性はある。

 ケルンの後押しをするつもりはないが、友人が嫌われてしまうのは忍びない。

「彼女の意思を押し潰すような、話し方はしないほうがいい。娘を心配するベジタブール準男爵の気持ちを真摯に伝える、それが一番だと僕は思う」

 それを聞いてどうするか。

 選ぶのは彼女自身だ。

「……わかった。そうするよ」


 窓から六時を知らせる鐘の音が響いてきた。

「ケルン、ベッラ達との会食の時間だ」

 ネリキリーは少し考え込むような表情のケルンを部屋から連れ出した。





 一足先に女性達は指定された部屋に来ていた。

「ベッラ・アンゼリカ。お久しぶりです」

「ご無沙汰しています。ケルン様。こちらはオーランジェットで知り合いましたミシェールですわ」

「初めまして。ミシェール・タミゼと言う。よろしく頼む」

 ミシェールの挨拶はかなり、そっけない。

 しかし、ケルンはそんな態度をものともせずににこやかに挨拶を返した。

「初めまして。ベッラ・ミシェール。……ベッラ・アンゼリカ、ミシェール嬢は朝露に濡れた花菖蒲のような人ですね」

「素敵な人でしょう?そして瞬く間に中級冒険者になった実力者でもありますの」

「アンゼリカ」

 誉められて、ミシェールは頬を僅かに染めた。


「ところで、マドレーヌさんは?」

 アンゼリカのところに行ったマドレーヌの姿がない。

「マドレーヌ様は服を着替えてからおいでになりますわ」

 乗馬服から婦装(ロージィ)に着替えてくるのか。では、それまでどうしたものか?

 ネリキリーは話の接ぎ穂を求めてあたりを見回した。


 用意された部屋には、葡萄の収穫の様子を描いた絵が飾られていた。

 さりげないがなかなか洗練された部屋だと、ネリキリーは感じる。

「これ、ペスカーレの作品だ」

 同じように絵を見たケルンが画家の名前を言った。有名な画家なのだろう。


 ネリキリーは画家の名前は知らない。

 ただ、良いとだけ思う。

 葡萄を摘む人々の顔が明るい。


「ケルン様は絵画にもお詳しいのですね」

 アンゼリカが関心したように言った。

「シュトレーゼ商会は美術品も取り扱いますから、有名どころなら。もちろん、実際に売り買いするのは、より詳しい専門職が行いますが」

「そうですのね。ネリキリー様もこの絵を見ていらっしゃいましたけれど?」

「僕は芸術には疎くて。ただ、この絵をみていると気持ちが明るくなる気がしますね」

 ネリキリーの言葉にアンゼリカが微笑んだ。

「ペスカーレはオーランジェットの抜けるような色彩を再現したと称される画家だ」

 ミシェールの声が少し弾んでいるように聞こえた。

「絵が好きなのですか?」

 ケルンが尋ねた。

「嫌いではないな」

 ミシェールの答えは短い。というより、ケルンに対して冷たいといったほうがいいだろう。

 ネリキリーは絵の中の人物の笑顔とはまるで違う、苦い笑いを浮かべた友人の顔を眺めた。


 かちりと扉が開かれて、マドレーヌと盆を持った給仕が部屋に入ってきた。

「あら、みなさん、まだ席につかれていませんの?」

 マドレーヌが立ったままの四人に声をかけた。

「ペスカーレの絵をみんなで鑑賞していたのですよ」

 ケルンが状況を説明すると、マドレーヌはちらりと絵を眺めた。彼女は絵については何も言わず、給仕の一人が引いた席に座った。それに従って四人も、それぞれ席に着いた。


 ネリキリーはいくつかの大皿料理を頼んでいた。給仕が出入りするのを無くすためだ。

 一皿一皿をもってくる形では、話し合いをするのに邪魔になる。

「食事と共に話し合いをするのはネリキリーさんの発案?」

 マドレーヌは並べられた料理を楽しそうに見ていた。

「ええ、お腹を減らしたままの話し合いは嫌だったので」

 かつてファンネルが言っていた。人は美味しいものを飲んだり食べたりしていると、人に対して寛容になると。

「そう。では、乾杯をしましょうか?この時間がより良き未来を引き寄せることを願って」

 マドレーヌは陽気に、しかし、どこか厳かに言った。五人はそれぞれ杯を上げる。


「アンジェリカ嬢はこちらの生活は楽しいですか」

 ケルンが探るように言った。

「もちろんですわ。新しい友人もできましたし、夢見ていた冒険者になれましたから」

「夢は、冒険者ではなく、薬茶師(ヴァリスタ)では?」

「それは不可分ですもの」

 アンゼリカの声は柔らかい。ミシェールもそうだと言わんばかりの顔をして、青菜を口に運んでいた。

「しかし、特級の試験を受けるなら、半年のあいだ冒険者として経験を積めば十分ですし、わざわざ(エスト)に加わることもないのではありませんか」

「確かに試験資格は、冒険者として半年以上の経験とされておりますが、下級ではほとんど合格はしないようですわ。団に入れば受ける依頼も多くなり、昇級も早くなると聞いております」

 ケルンはそのことを初めて知ったというそぶりをした。視線が冒険者組合(ギルテ)の職員であるマドレーヌに流れる。


「確かにそういうきらいはあります。冒険者として個々ではなく、集団で動きますから先輩の冒険者から学ぶことも多いので。むろんのこと、個人の資質もありますけれど」

 マドレーヌはアンゼリカの言葉を肯定した。

「しかし、(エスト)に入れば最低二年は(エスト)に縛られることになりますよね」

 そのことをケルンに知らせないのは、公平ではないとネリキリーは思い、団との契約の一端を口にした。

「二年は、長い」

 ケルンは小さく呟いた。

「そうかな?私は二年と半年、騎士団にいたがあっと言う間だったよ」

 ミシェールがケルンの言葉を否定した。確かに冒険者をしていれば、依頼に追われてすぐに時間など過ぎてしまう。

 もっとも、これはネリキリーがその前にほとんど何もすることができなかった、無為な時間を過ごしたせいかもしれないが。

「アンゼリカ嬢のお父上は彼女ができるだけ早く、カロリングに戻られることをお望みなのです」

「家族に何かありましたの?」

 ケルンの言葉にアンゼリカは少し心配になったようだ。

「いえ、私が最後にお会いした時はみなさんお元気でした」

 アンゼリカはほっとした様子になった。


「しかし、異なる国にいるあなたをことのほか気にかけていらっしゃいます」

「気にかけてくださるのは嬉しいですわ。けれど、父も母も、わたくしに結婚を薦めますが、結婚したら家を出る事には変わりありませんのに。オーランジェットに嫁いだとでも思っていて下さればよろしいのに」

 アンゼリカの台詞は後半は囁くような声になった。

「アンゼリカ嬢はこちらに嫁ぎたいと、誰かそんなお相手と出会われたのですか?」

 ケルンの声が少し焦り気味になる。非公式とはいえ、結婚の話が出た相手だ。無理もない。

「とんでもありませんわ。冒険者として日々を過ごすのに精一杯で、殿方に目を向ける余裕などございませんもの」

 アンゼリカの声が少し憤慨したようになる。ふしだらな女性であると言われたと受け取ったのかも知れない。あからさまに安堵したケルンにマドレーヌが、再び不安にさせるようなことを言った。


「アンゼリカさんに好意を持っている方は大勢いらっしゃるようですけれどね。アンゼリカさんはあまり気が付いてないようですね」

 マドレーヌはそれからミシェールの方を向いた。

「ミシェールさんは知っていて歯牙にもかけていない態度ですけれど」

 そういうマドレーヌも冒険者の人気者だ。本人はそれをすべて受け流しているが。


「ミシェールはともかく、わたくしに好意を寄せていただくような方はいないと思いますわ。わたくしの森猫(ミィオ)に興味を持って近づいてくる方はおられますけれど」

 アンゼリカは冒険者たちが近寄ってくるのは、幻獣の守護が珍しいからだと思っているのか。

森猫(ミィオ)を浚おうとした奴もいたしな」

 ミシェールが重々しく言った。ネリキリーとケルンは顔を見合わせた。

森猫(ミィオ)を浚おうとする輩がいるのでは、危険では、やはりここはカロリングに帰ったほうが」

 ケルンが言い募るのをミシェールが鼻で笑った。

「アンゼリカと森猫(ミィオ)が撃退したよ」

「ミシェールも手伝ってくれましわ」

「私の手助けが無くても出来たさ」

 微笑み合う二人に入る隙はないような感じがする。この仲良しな雰囲気が男を撃沈させるのに一役買っているのではないかと、ネリキリーは余計なことを考えた。


「……幻獣の守護。それが冒険者組合(ギルテ)がアンゼリカ嬢を手放したくない理由ですか」

 ケルンはマドレーヌに向かって言った。

「そうですわね。それも一つの一因でもありますけれど、彼女自身の能力の高さもあります。それから彼女がカロリング出身であることも要因の一つですね」

 謎めいた微笑をマドレーヌは唇に張り付ける。

 自分のことを二人で話はじめたアンゼリカは成り行きを見守っていた。


「それは、僕やバンスタイン、マラニュがカスタード団に推薦された事にも関わっているのではないですか?」

 マドレーヌの態度に、ネリキリーは一つの推測を披露した。


「ネリキリーさんは、やはり勘が良いですわね」

 マドレーヌは子供を褒めるような口調で言った。

「今回のカスタード団への推薦者は、オーランジェットではない者の割合が多いので、不思議に思っていましたから。ミシェールさんも、ですよね?」

「私は半分はオーランジェットの人間だ」

「ええ、騎士団にいらっしゃったのだから、お父上はこの国の方なのでしょう」

 ネリキリーはひとつ頷いた。


「つまり、冒険者組合(ギルテ)、いや、カスタード団は他国の冒険者を入団させたいということか」

 ケルンが頭を掻いた。マドレーヌはそんなケルンを眺めながら切り分けた肉を口にした。

 咀嚼した食べ物が喉を落ちていった頃合いに、四人の注視の中、マドレーヌが言った。


冒険者組合(ギルテ)では、他の国の人が、より強い魔物と闘えるようになることを希望しています。あなた方も少しは感じているのではありませんか?このところ強い魔物が表れる頻度が上がっていると」


 確かに、あの飛びかまきり(グルーマント)を狩ったあたりから、秋に現れる魔物の数が多い気はしていた。故郷のグラース村も迷い込む魔物が少し増えて。

 オーランジェットでも、ハウサオロンに遭ったばかりだ。

 ロマが将軍(アケイナス)になってから、年に一度はアーディス山脈で大規模な山狩りを行い、海も頻繁に警邏している。


「フロランタンの冬眠の時期が近づいている?」

 ネリキリーは蓄えた知識からそう推測する。


 竜王はごくまれに冬に眠る年がある。

 それは、百年から三百年の周期で訪れ、その年は魔物の数が増え、普段はほとんど出ない周辺国にも、強い魔物がでるようになると言われている。

「確かではありません。魔物の出現は規則性が見いだされていないので。ただ、このような兆候がある以上、準備はしておくべきだというのが冒険者組合(ギルテ)の見解です」


 アンゼリカの去就の話では無くなっていた。

 そういうことならば、冒険者の、それも幻獣の守護持ちの彼女を冒険者組合(ギルテ)がそうそう手放すはずがない。

 ネリキリーが指摘すると、マドレーヌは首を横に振った。

「アンゼリカさんの意思が最優先です。自由を標榜する冒険者組合(ギルテ)ですよ?カスタード団に入っていないあなたが、今カロリングに戻ると言えばそれは受理されます」

 マドレーヌはアンゼリカを見据える。アンゼリカは帰りたいとは言わない。


「だけれど、何故、この時に?私たちだけに?」

 ミシェールがマドレーヌに尋ねる。

「折を見て、他の冒険者にも話は行く予定です。今回はちょっと早すぎかもしれないですけど、彼が現れたので」

 とマドレーヌはケルンを見た。


「俺?……そう、俺は冒険者ではないのにこんなことを聞いていいのか?」

 ケルンは心底戸惑っているようだった。

「良いのですよ。こうやってお話しするのはケルン・ランバート氏が来たからです」

マドレーヌはまたちょっと微笑む。


「ケルンさん、あなたは冒険者組合(ギルテ)が一手に担う素材を扱いたいとおっしゃっていましたね?どうです?カロリングに冒険者組合(ギルテ)の出張所を作ってみませんか?」

 マドレーヌの表情は人を水に人を引き込む水妖(シレネー)のようだった。



 ケルンは突然に開いた商機の扉に戸惑っているようだった。

 食事の皿をじっと見つめて何事か考え込んでいる。

 ネリキリー達も食事の手を止めて、マドレーヌがあるいはケルンが何か言うことを待っていた。


 アンゼリカの言ではないが、冒険者組合(ギルテ)はオーランジェットと不可分。それが当たり前であり、恒常的に他の国に設置されることはない。


「……大変、魅力的なお話です。商人としての私が、この機を逃すなと心の内で叫んでおります」

 マドレーヌはそれで、と話の続きを促した。


「けれど、今の私はベジタブール準男爵の代理人として、この場におります。ベジタブール準男爵の望みを叶えずして、今、冒険者組合(ギルテ)の提案に乗るのは、いささか道義にもとります」

 ケルンは慎重に言葉を紡いでいた。


「ケルン様」

 アンゼリカがケルンの名前を読んだ。僅かに非難が込められた声。

「その言い方では、わたくしが家に帰らなければ、マドレーヌさんの提案を受け入れないと言っていると同じですわ」

 その言葉にケルンは一瞬沈黙した。

「そうですね。私は、あなたと商売を天秤にかけろと言われた気がしました。つまり、この提案は、私にベジタブール準男爵の代理人を降りろと言われたのだとね。貴女の深意そういうことではないですか?マドレーヌ嬢」

 ケルンの声はいつもとは違い、尖っていた。


 しかし、マドレーヌの表情に面白そうな色が浮かんだ。

「そんな風に受けとりましたか。でも、アンゼリカ嬢は最初から天秤には載ってはいないのではないかしら。彼女の答えは初めからの決まっている。冒険者を続けて、特級薬茶師(ヴァリスタ)になることを目指す」

 マドレーヌがアンゼリカに目を向けると、「そうですわ」と返事が返った。

 マドレーヌが得たりと頷く。


「つまりは」「ケルン、アンゼリカ嬢が心配なのは、お前自身なんだろう」

 マドレーヌが言いかけるのをネリキリーは遮るようにして言った。


「ネル」

 ケルンがネリキリーを見た。

 他の三人もネリキリーを注視する。

「ケルンには三人の姉妹がいます。そのせいか、彼は女性にたいして極端に過保護なんですよ」


 ケルンは間違えている。


 ネリキリーはそう感じた。

「ケルンが天秤にかけているのは、彼女の身の安全だと僕は思ってます」

 ネリキリーはマドレーヌに、ミシェールに、そしてアンゼリカに語りかける。


「ぼ、自分達、ケルンとアンゼリカ嬢と自分は学生時代に知り合いました。アンゼリカ嬢はまだ十代も前半で。大人しそうに見えたし、実際、彼女の友達もそう言っていました。他者の危機や、自分の夢に関すること以外は。ケルンは、いえ、ベジタブール準男爵も、その印象のままでいらっしゃるのではないでしょうか?」


 ケルンが何か言いかけるが、黙れとネリキリーは目で制する。


「ただ、今ではアンゼリカ嬢は冒険者として半年間も過ごしてきた。森猫の守護があるにせよ、冒険者に登録するには、本人自身の実力がいります。しかし、彼女の性格を考えるに、その実力をつける努力を密やかに行っていただろうし、カロリングでは披露する場も必要もない。だから、アンゼリカ嬢のお父上、ベジタブール準男爵もケルンも彼女を必要以上に心配するのではないでしょうか」

 ネリキリーはここで言葉を一旦おいて一同を見回した。

 特にマドレーヌとケルンには長く視線をおいた。


「けれど、ケルン。君は冒険者としての彼女を、きちんと認めてやるほうがいい。マドレーヌさん明日は我々(ディード)天馬(アイオーン)と接見しますよね」

「予定ではそうですね」

「部外者が、つまりはケルンがその様子を見学することは可能ですか?それと、できれば、訓練の様子も」

「カスタード団の指導員さえ許可すれば冒険者組合(ギルテ)としては構わないですよ」


 ネリキリーはゼフォンの顔を思い浮かべる。

 彼は承諾してくれるだろうか。


「ケルン様、ひいては父がわたくしを冒険者として認めてくださるような実力を発揮しなければならないと言うことですわね」

 アンゼリカがネリキリーに確めるように言ってきた。

「そうです。無理だと思われますか」

 アンゼリカの唇が少しだけ引き結ばれる。

「いいえ」

 彼女は明確に首を振った。

 すると、今まで黙っていたミシェールがケルンに向かって言う。

「その男が公正な目で見るならば、だけどね」

 その台詞にケルン瞳に一瞬だけ剣呑な色が浮かんだ。


「そうですねえ」

 マドレーヌもまたケルンを眺めやる。

「ゼフォンさんには私から話をしておきましょう。それと、ケルンさん。ただ見学されるだけでなく貴方も天馬(アイオーン)と接見しませんか?」

「はい?」

天馬(アイオーン)との接見がどれほど大変か知るためにです」

「いえ、私は」

 ケルンが断ろうとすると、ミシェールが息をはくように笑う。


「怖いのか?」


 天馬(アイオーン)と接見すると言うことは、空を飛ぶかも知れないと言うことだ。

「まさか」

 ケルンがとっさに否定すると、マドレーヌが両の手を打ち合わせた。

「では、決まりですね。アイオーンは馴れば可愛いですよー」


 ケルンが承諾の返事をしないうちに、それは当然のこととして話が進んでいった。

 



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