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七じゅうろく

  真夜中すぎに喉が渇いてネリキリーは目を覚ました。

 隣の寝台ではマラニュが安らかな寝息を立てて眠っている。


 人が同じ部屋に寝ているなんて何年ぶりだろうか。

 そのことにネリキリーはほっと息をついた。


 中庭に面した窓から月明かりが差し込む。ほの暗い部屋でネリキリーは沈思する。

 ケルンとの邂逅。

 抱きしめられた暖かさを感じながら、療養所に訪れることのなかった彼を恨めしく思っていた自分と、その気持ちに嫌悪を感じていた自分を思い出した。


 今では、あの頃の自分が置かれていた状態では、無理なことだと理解しているのに。

 凝った寂しさは胸の奥にまだ沈んでいる。


 窓の外から鳴き声が聞こえた。


 身を起こして外を眺める。月明かりの中庭は思ったより明るいが、声の主は見つけられない。


 ネリキリーは寝台から降り立ち、常に身に着けている飛びかまきり(グルーマント)の鎌を確かめる。


 武器は変わらずそこにあった。


 上着を羽織って、マラニュを起こさぬように廊下へと出た。


 一階から中庭へ。


 鳴き声を頼りに、それを探す。


 中庭の緑の影、光が届かない場所で黄金の瞳がこちらを伺っている。


 見つけた。


 警戒させないようにネリキリーはそっと手を伸ばした。


 ……Ae FRG//Aq


「おいで」


 柔らかにネリキリーは声をかける。


 一声小さく鳴いて、その生き物はネリキリーに近づき、手に溜まった水を舐めだす。


 誰かが中庭に続く扉を開いた。

 ネリキリーは生き物を抱え上げて身をひそめた。


 淡い月明かりの下で一つの影が中庭の中央へと歩む。


「うら若いレディが真夜中にそのような格好でうろつくものではありませんよ」


 ネリキリーはひそやかに近づいて彼女に声をかけた。


「誰?」

「あなたの探し物を拾いました」

 ネリキリーは拾い上げたその生き物を相手に差し出す。


「ヴァンベルミィオ」

 彼がその幻獣の名前を囁くと、相手は驚いたように顔を上げた。


「ネリキリー様?」

 彼女の問いにそうだと言うように、彼の腕の中の森招きの猫(ヴァンベルミィオ)が鳴く。


「こんばんは。美しい月夜ですね。ベッラ・アンゼリカ」


◇◇◇


「こんばんは。ネリキリー様」

 アンゼリカは最初の驚きからすぐに立ち直ったようだった。上に羽織った長衣の裾を持ち、いとも優雅に挨拶をする。

 白い花弁を思わせる夜着が長衣の下から覗く。


 ニ枚の薄布を重ね合わせて作られた夜着がほのかに光を映した。


 夜の闇の中、ぼんやりとしかその姿は見えない。

 着ているものは、ゆったりとした部屋着とさほど変わらないはずなのに、ネリキリーはなんとなく視線を逸らした。


「冒険者になられたのですね」

 優しげな声がネリキリーの耳朶を打った。

「あなたも。昼間、カスタード団の馬車に乗っていたあなたを見たときは、幻かと思いました」

「わたくしは今、目の前にいるネリキリー様が幻のように思えますわ」


 アンゼリカがネリキリーに一歩近づく。ネリキリーは後ろに下がるのを我慢した。


「いつからオーランジェットに?」

 ネリキリーはアンゼリカに問いかける。

「半年前に。特級薬茶師(ヴァリスタ)になりたくて、ファンネルさんを口説き落としました」

「ファンネルさんの困った顔が目に浮かびますね」


 アンゼリカは彼女が16歳になった時からファンネルの手伝いをラウィニアとするようになっていた。

 ネリキリーがちょうど大学(コーリッジ)へ進学する勉強に忙しくなった頃のことだ。


「療養所にいるときに一度お見舞いに来てくれていたと後から聞きました。面会できなくて申し訳なかった」

「あれは、シャルロット様がどうしてもと」


「恐れを知らぬシャルロットらしい。彼女は元気ですか?」

「あなたが療養所からいなくなってから、かなり落ち込んでいらっしゃいましたわ。昨年、王立女学院(カル・デ・リア)に入られてからは少し元気になられましたけれど」

王立女学院(カル・デ・リア)に?まだ一年あったのでは?」

「シャルロット様はとても優秀で、一年飛び級しましたのよ」

「そうなんですね」

 アンゼリカがまた一歩近づく。


「体の方はいかがですの?」

「もうすっかり。魔力が濃いオーランジェットでは、あんなに苦しめられた魔力欠乏症の症状も嘘のように出ない。それにこちらでは魔糖を使った菓子も段違いに安い。いざとなればすぐに補給できるようにいつでも持ち歩いていますよ」


「それを聞いて安心いたしましたわ」

 心からの気持ちだと伝わってくるアンゼリカの声がネリキリーの胸に届く。


「でも、それなら何故どなたにも連絡をなさいませんでしたの?」

 当然の質問だ。だが、ネリキリーは一瞬答えるのをためらった。手にした猫の様子を確かめるように下を向く。答えを待つ沈黙。

「……連れ戻されるのが嫌だったからですよ」

 それから、顔をあげてアンゼリカを見つめた。


「あなただってそうでしょう?今日、僕はケルンに会いましたよ」

「ケルン様が……」

「ケルンはあなたを探していると言っていました。ベジタブール準男爵に頼まれたと」

 ケルンが借りている宿の部屋で、彼はアンゼリカを探していると打ち明けてきた。もし、見かけたら知らせて欲しいとも言ってきた。


「ケルン様にわたくしのことをお話になりましたか」

 不安そうにアンゼリカは聞いてくる。

「いいえ。馬車の中で見かけた女性があなただと確信が持てなかったし、あなたの事情も分からずにケルンに告げるのはどうかと思ったので」


 アンゼリカが息をついた。

「父は私が行き遅れていることを気にしていますの。何度か縁談の話がありましたが、わたくしはすべて断っていて。父は古い秩序を重んじる性格ですから、女が職を持つということに理解がないのですわ。こちらでは、女性だって冒険者になっていますのにね」


「それで家出を」


「家出ではありませんわ。ラウィとファンネルさんが説得してくださって、父は一度はしぶしぶながらオーランジェットに来ることを承諾しましたのよ。今さら呼び戻そうなんて約束破りですわ」

 アンゼリカの言葉が少しだけ憤慨している口調になる。

 アンゼリカが正しいと猫が二回鳴いた。


 ケルンが探しにきたのは、アンゼリカに求婚をするためだろうか。


「ケルンは鍵穴のない箱”と言う宿にいます。一度、会ってみてはいかがですか。お父上に手紙を書いて言付けてもいい」

 彼女はしばらく沈黙する。それから大きく息を吐いた。


「そうですね。そういたしますわ。でも、ネリキリー様に同じ言葉をお返しいたしますわ。“故郷に手紙をだしたほうがいい”」

「一度だけ家族に手紙は書きましたよ」

「まあ、シャルロット様がご家族にお尋ねした時は、どこにいるか知らないとおっしゃっていたのに」

「手紙を出したのは旅の途中でしたからね」

「わたくし達にも欲しかったですわ」

 少し恨みがましい声を出すアンゼリカは愛らしかった。


「ケルンに叱られました」

「当たり前です」

 それから、アンゼリカはケルンと同じ目をする。ネリキリーは少し慌てて猫を差し出した。


「そろそろ戻られたほうがいい。こんな処を誰かに見られたらあらぬ噂を立てられる」

「そうしましたら、ネリキリー様が責任を取ってくださいませ」


 ネリキリーはアンゼリカの言葉に二の句が継げなくなった。


「この子を探していたと責任を持って皆様に説明してくださいませね」

「えっ、ああ。もちろんです」


 アンゼリカが森招きの猫(ヴァンベルミィオ)に手を差し伸べる。

 その柔らかな生き物を渡す時に、同じように柔らかいアンゼリカの手に触れた。

 近くに寄った彼女の髪からはさわやかな薬草の香りがした。


「カスタード団に入られるのですよね」

 ネリキリーは言わずもがなのことを訊いた。

「合格できましらた」

「お互い受かるといいですね」

「ええ。でもしばらくは、ネリキリー様は競争相手ですわ。負けませんわよ」

 少し茶目っ気のある口ぶりでアンゼリカが言った。

「これは手ごわそうだ」


 お互いに、お休みなさいと言って、二人は月明かりが残る中庭を後にして、別々の棟に戻っていった。


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