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七じゅうご

「やあ、ケルン、久しぶり」

 ネリキリーは髪をかき上げる。扉は開いたままだ。逆光でケルンの表情は影になっていた。

 差し込む光にネリキリーは目を細めた。


「入らないのか?」

 入り口に立ったままの旧友に彼は声をかけた。

 弾かれたようにケルンは動き出す。店の者は二人の空気を読んだのか、近づいてこない。


 ゆっくりと、おそらく意識してゆっくりとケルンはネリキリーに近づいた。

「相変わらず、甘いものが好きなんだな」

 そばに来たケルンにネリキリーは言った。

 高級菓子店での再会。せっせと菓子を振る舞ってくれていたケルン。魔糖菓子(リ・ボン)を食べたいと言っていたケルン。

 あまりにらしく、ゆえに想像すら出来なかった。


「リアクショーには、店に独自の商品があるって知ってた?ここのはエストレという菓子だって」

「知っている。それを買いに来たんだ」

 名前を呼んでから黙ったままだったケルンが返事をする。

「だろうと思った」

 ネリキリーは最初に対応してくれた店員に視線を投げた。


「いらっしゃいませ」

 すかさず店員の男が近づてきた。ケルンは店員の方へ顔を向ける。

「じゃあ、ケルン」

 ネリキリーはマラニュ達と店を出るつもりでケルンに声をかけた。

 ケルンの手がすばやく動き、ネリキリーの腕をつかんだ。


「おいていくな」

 かすかにかすれたような低いケルンの声。

 掴かむ指の強さにネリキリーは驚いたが、顔にはださない。


「何?依頼?僕は高いよ」

 からかうように言って、ネリキリーは襟につけた冒険者の証を指で示した。

「いい値で払ってやる」

 オーランジェットでもちらほら名前の聞くようになったシュトゥルーデル商会の次期会頭だ。

 金は持っているだろう。


「じゃあ、支払いはケルンのお姉さんたちのお菓子で」

 ネリキリーは、ないだろうとばかりに言った。

 ケルンは少し目を開き、次いでにやりと笑う。


「わかった。あとで分けてやる。姉と妹が旅のお供にと食べきれないほど持たせてくれた」

 今度はネリキリーが目を見張る番だった。

 相変わらず、ケルンの姉妹たちはケルンに甘いらしい。


「了解。お前がお菓子を買うまで一緒にいるよ」

「夕食を一緒に取り終えるまで」

「それは……一緒に来た仲間もいるし」

 ネリキリーはマラニュとイーネスを見やった。


 ケルンは初めて視界に入ったというようにマラニュとイーネスを見た。

 イーネスは珍しいものを見たように、マラニュはケルンを値踏みするような目で見ていた。


 ケルンの顔が変わった。如才ない笑顔を浮かべて二人に手を差し出しす。


「初めまして。ネリキリーの同僚の方ですか。わたくしはケルン・ランバートと申します。久しぶりに、本当に久しぶりにネリキリーと会ったので、ご挨拶が遅れまして」

「いや、ご丁寧にどうも。自分はイーネスです」

「マラニュ・エラスです」

 三人は握手を交わす。

「お二人ともすでに菓子を購入済なのですね。失礼してわたくしも購入して参ります。そうそう、よろしければ今夜わたくし達とご一緒に食事でもいかがですか?こちらでのネリキリーの暮らしぶりをお二人にお聞きしたい」

 検討してくださいと、ケルンは二人に会釈をして、改めて菓子の並べてある棚へ近づく。

 店員が商品の説明を始めた。


 イーネスが顎をあげてネリキリーを見てくる。ネリキリーは少し頭を傾げて応えた。

 ケルン達と一緒に食事を取るか、二人の判断に任せる。

 イーネスとマラニュにいて欲しいような、欲しくないような複雑な気持ちがネリキリーの中で交錯していた。




 20個入りのエストレとその他の菓子も購入して満足げにするケルン。

 髪を後ろに撫でつけて大人っぽくなっているのに、そうしていると初めてあった頃の彼が重なる。


「馬車を待たせていますから」

 愛想よくケルンはイーネスとマラニュに言った。


「俺はいいです。誘ってくださってありがたいですが、来たばかりで町を歩いていろいろ見学します」

 イーネスがケルンの誘いを断った。マラニュも断ると思いきや、彼はケルンの誘いに乗った。

「俺は、ネリキリーと一緒に行きたいのですが、よろしいか?」

 マラニュの答えにイーネスが意外そうな顔をした。

「もちろん、構いません。お誘いしたのはこちらのほうですから」

 三人は馬車へと乗り込み、イーネスはそれを見送る形になる。


 馬車が走り出した。冒険者組合(ギルテ)のものより高級な馬車だ。


「夕食を取るには少し早いな」

 ケルンは窓の外の景色を眺めながら言った。

 ネリキリーも外を見た。石畳に落ちる影は長くなっていたが、陽が落ちるまではゆうに一時間はあるだろう。


「昔だったら、夕食前にお茶とお菓子を食べているところだな」

 ネリキリーの言葉に向かいに座るケルンがわずかに目を細める。


「菓子が食べたいのか?エストレを食べるか?」

 隣のマラニュがリアクショーの包みを開けようとする。

「違うよ、マラニュ。学生時代の俺たちは、しょっちゅう菓子を食べていたが、今ではそういらなくなったってことだ」


 それだけ時間がすぎたってことだ。

 ネリキリーは心の中で付け加えた。


 二人のやり取りにケルンは不思議そうに訊ねた。

「ネル、いや、ネリキリーはエストレを買わなかったのか?」

「ああ、手持ちの菓子があるから。そのうち折を見て買うつもりだけれど。今日は場所の下見に来ただけだ」

「そうなのか。味覚は変わるっていうしな」

 なんだかさみしそうにケルンが呟く。

「別に甘いものが嫌いになったわけじゃない。美味しいものをごちそうしてもらうのに、腹を塞いでおくこともないだろ?」

「そういうことか。よし、なんでも食べろよ。何がいい?」

 ケルンの声が元気になる。声はそう変わるものじゃないのだなとネリキリーは感じる。


「春野菜、クックルの玉子焼き、鳥の丸焼き、タータにりんご酒(アプリオリ)

 歌うようにネリキリーは食べ物を名をあげていく。

「それから乾酪(カゼース)の蜂蜜かけを」

 ネリキリーはマラニュのほうを向いて彼の好物の名前を口にした。マラニュが満足げに髭を撫でた。


「二人は仲が良いんだな。知り合って長いのか」

 ケルンの言葉に二人は顔を見合わせた。初めて会ったときに自分がマラニュに決闘を申し込まれたと言ったら、ケルンはどんな顔をするだろうとネリキリーは想像した。

「命を預ける仲間だからな」

 信頼関係は大切だ。出会いは最悪だったが、その後は賭けの効果もあるが、関係は良好だと思う。

 マラニュがネリキリーを見て、静かに頷く。

「俺はネリキリーをけして裏切らない、見捨てない。フロランタンの翼に誓って」


 ほどなく、ケルンの宿に着く。

 ネリキリー達の宿より三倍は立派だ。

 両開きの大きな扉の前には守衛までいる。

「ここは料理もなかなかなんだ。三日前についたばかりで、町の料理屋はよく解っていなくてな」

 守衛が開けてくれた扉に入りながらケルンが説明した。




「先に軽いものを飲み食いしながら、日が暮れるのを待てばいいだろう」

 ケルンの提案に乗って、三人は食堂へ入った。



「お望みのりんご酒(アプリオリ)だ」

 ケルンとマラニュは麦酒エランを頼んでいた。


「再会と新たな出会いを祝して」

 ケルンが杯を掲げて言った。ネリキリー達もそれに習う。



「ケルンは三日前についたと言っていたね。奥方は遅れて?」

 ネリキリーが問いかけると、ケルンは怪訝そうになった。

「奥方?俺はまだ独り身だよ」

「……悪かった。ケルンは一人息子だし、もう結婚しているのかと」


「世に中には魅力的なご婦人が多くて、なかなか一人に絞れないんだ」

「一人に絞って貰えないの間違いじゃない?」

 考えるより早く軽口が出る。こんなとき昔だったら。


「それとも意中の人がおられるか、だな」

 マラニュがさらりとネリキリーも思ったことを口にした。

「これは、失礼。会ったばかりの方に」

 言ってからマラニュは恐縮する。ケルンは茫然に近い表情だ。


「ごめん、ケルン。マラニュは割と思ったままを口にしてしまう質なんだ」

 少し大げさにネリキリーは両手を広げて首を振った。

「いや、気にしないでください。思い当たるふしがないでもない」

 一瞬だけケルンの顔が真剣になる。しかし、すぐにからかうようにネリキリーに話を振った。


「だけど、ネリキリーはどうなんだ?冒険者になってどれくらいだ?恋人の一人や二人はできたんじゃないか」

「残念ながら。冒険者になってまだ一年ちょっとだ。慣れるのに忙しくてそれどころじゃない」

 ネリキリーはあからさまにため息をついた。


「ジュリエッタさんや、マドレーヌ嬢は?」

 マラニュがぎょっとするようなことを言い出した。

「何?やっぱりいるんじゃないか」

「マドレーヌさんは冒険者組合(ギルテ)の職員。皆に親切なんだよ。ジュリエッタさんはメーレンゲのリアクショーの売り子さん。自分が客だし、ちょっとした厄介事を引き受けたから、愛想よくしてくれただけ」

 ネリキリーはマラニュを軽く睨んだ。相手の大きな体が少しビクリとする。

「なんだ。奥手なのは変わらないか。だが、冒険者になるくらい元気になって良かったよ。長いこと転地療養していたんだろう」

 ケルンがネリキリーの身を案じるように言った。

「……ああ。そうだな」

 声の響きがかすかに苦くなる。あの頃のことは思い出したくない。

「ネリキリー?」

 マラニュがネリキリーの名を呼んだ。彼は見かけによらず、人の機微を察するのが上手い。いや、従うと言っているネリキリーだけに特化している気もする。

「悪いな。辛かった時のことはあまり考えないようにしてるんだ」

 ネリキリーは淡く微笑んだ。


 ケルンはオーランジェットとの貿易量を増やすために、いろいろ活動中とのことだ。

 しばらくは、ここに滞在すると言う。

「あと、故郷の知り合いにちょっとしたことを頼まれてね」

「どんなことを?」

 ネリキリーが訊くと、ケルンはちらりとマラニュを見て首を振った。

「守秘義務があるから」

 余人には話せないということなのか。酒のせいで、ケルンの口も少し軽くなっているらしい。


「明日のこともあるし、そろそろ帰る」

 ネリキリーは腰を上げた。

 馬車で送らせるとケルンは言う。断るのも大人げないのでありがたく使わせてもらう。


「ネリキリー、報酬を渡すから、ちょっと部屋まで来てくれないか?マラニュさん、少しここで待っていてください」

「え、ああ、菓子か」

 ネリキリーはケルンと共に二階にあがった。


 ケルンの部屋はどことなく雑然としていた。そのあたりの習慣は変わらないもののようだ。

「報酬だ。姉と妹の焼き菓子」

「みなさんは元気か?」

「元気だよ。元気すぎて義兄上は少し困っているくらいに。さっきは言わなかったが、俺は叔父さんになった」

「それはおめでとう」

 ネリキリーは心から祝福する。知り合いの幸せな近況は心を和ませる。

 なのに。次のケルンの言葉は胸の奥に石を投げこむ。


「お前は、本当に冒険者のままでいるのか?それでいいのか?」

 かつての夢を知っている者の言葉だ。

「下でも言ったろう。冒険者は報酬がいい。それに今度はあのロマのいたカスタード団に入れるかもしれない。信頼する仲間もできた」

「冒険者の絆ってやつか。だが、俺だって、ネルとは葉の円環(カロリング)の友だ。少なくとも俺はそう思っている」

「そうだ、な。葉の円環(カロリング)の、いや、鉛の竜鱗だったか?」

 少しおどけて、高等学院(リゼラ)での思い出を口にすると、ケルンの顔がゆがんだ。


「馬鹿。ほんとうに、心配したんだぞ。療養所からいなくなったと聞いて、病に絶望して、死を選んだんじゃないかと」

「ごめん、ケルン。でも、僕は」

 あそこにはいたくなかったんだ。続く言葉をネリキリーは飲み込んだ。かわりに。


「でも、僕は生きている」

 ネリキリーが言うと、ケルンは黙って彼を抱きしめた。


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