七じゅうに
馬車の後ろの見張り台はマドレーヌが立った。
コナーと一緒なので、先程の緊張感がだいぶ軽減された。
オーランジェットの貴族である三人は昔からの知り合いらしく、会話も弾んでいる。
ネリキリーはたまに相槌を打てばよいので、気楽なものだった。
やがて夕闇が訪れる。
ヴォーダムームーの襲撃で、思わぬ時間が取られて、宿泊を予定していた町にたどり着いたのは、夜もかなりふけた頃だった。
「部屋が足りない」
宿の部屋はあらかた埋まっており、あるのは二人部屋が三つ。ひとつは女性たち三人でなんとか寝てもらえそうだが、あと二つに男が雑魚寝しても一人余る。
「食堂の隅にでも寝かせてもらえばいいですよ」
ネリキリーがそう申し出ると、マラニュがそれなら自分がそこに寝ると言う。
しかし、宿の主人がうんと言わない。
「じゃあ、私たちの部屋とご一緒しますか?ネリキリーさんなら安全安心だし」
マドレーヌがとんでもないことを言い出したので、ネリキリーは慌てて、首を振った。
「それはいくらなんでも、まずいです」
コナーが厳格に言った。
「山狩りなんかすれば、みんなで夜営ですよ?」
マドレーヌはあっけらかんとした態度だ。
「天幕は男女別ですよね」
「じゃあどうします?」
「馬車で、馬車で寝ますよ」
「それでは疲れがとれませんよ」
「馬車小屋は鍵をかけちまうから、朝まで出られなくなりますよ」
店の者が忠告する。
「そうか。何か有ったら対処ができないか」
ネリキリー達が頭を捻っていると、食堂の奥から一人の男が出てきた。
「何か、部屋が足りなくてお困りのようですね。どうでしょう、よろしければ私と相部屋では如何ですか?」
仕立ての良い服を着た紳士だった。
穏やかな微笑みを浮かべてたたずんでいる姿は上品で、気品を感じさせる。
「ありがとうございます。ですが、見ず知らずの方にご迷惑をかけるわけにはまいりません」
コナーが礼を言って、男の提案を退けようとした。
「迷惑などではありませんよ。みれば、怪我をしている人もいらっしゃるご様子。どうぞ、遠慮なさらずに。幸い私の部屋は続き部屋なので、一部屋、まるまる空いております」
続き部屋と言うなら、本来は彼の従者が泊まるはずだ。なのに空いているとは?
「続き部屋をお一人で。失礼ですが、従者の方は?」
「従者ではなく、女従者が二人なのですよ。ですので、二人には別の部屋を取っています」
近頃、従者ではなく、男装させた女従者を付き従わせるのが流行っている。
この紳士は、流行に敏感な洒落ものというわけだ。
それを聞いて、ルチナ達が眉をひそめた。
女性に取っては、女従者を二人も侍らす、しかも泊まりでは、好意的にみることができないのだろう。
冒険者の統率役でもあるコナーとバンスタインがどうするかと小声で話している。
「みれば、皆さん冒険者の方々ですよね。宿代わりに私の警護をしていただくと言うのはいかがですか」
「わしらの宿は安全だ」
宿の主人が面白くなさそうに言った。
「そうでしょうとも。しかし、万が一と言うこともありますから。それに、ダックワーズに行かれるようですね。私もです。護衛はダックワーズまで、と言うことでは?その分はいくばくかお支払しますよ」
「乗った」
イーネスが紳士の提案に返事を返す。
「イーネス」
コナーとバンスタインは自分達が言わないうちに承諾したイーネスに非難の眼差しを向けた。
「こちらの方は親切に言ってくださっているんだ。断るのはかえって礼儀知らずだろ」
イーネスの言葉に相手は紳士然とした微笑を浮かべる。
少し間をおいてから
「わかりました。ご親切なお申し出、ありがたくお受けします」
コナーが礼を口にした。
相手は、いやいやと首を振る。
「寝台は二つですか、じゃあ、あと一人。ネリキリーかバンスタイン?」
イーネスは怪我をしている二人の名を読んだ。
「護衛だからな、怪我をしてない俺達以外が良いだろ、な?」
バンスタインはネリキリーに同意を求めた。
「そうだな。その方がいい」
怪我をしている時に誰かの警護をするのは、役目をまっとうできない可能性がある。
「じゃあ、カレヌ、どうだ?」
「俺は構わないが」
カレヌはコナーとバンスタインをちらりと見上げた。
コナーはカレヌに頷いてみせた。
「この二人は中々の手練れです。万が一の場合、お役に立つでしょう」
「それは心強い。申し遅れましたが、私はラクミーツ・サルーです。リコネスから参りました」
リコネスは西の海にある島だ。距離は近いが、オーランジェットではなく、自治をしている島国である。
「コナー・フリチュールです」
コナーが代表して名乗る。
「では、コナー殿、他の冒険者の皆さまもよろしく。そちらのお嬢さんも」
ラクミーツはマドレーヌ達にいちべつをくれてから、イーネスとカレヌを連れて2階へ上がっていった。
◇◇◇
西の海のリコネス。
海の幻獣マナナンが生息する島。
そして、ロマが英雄となった場所。
三年前、マナナンを捕食する海獣ケストスがリコネスの海域に突如として現れた。
ケストスは30ダレヌを越す大きさだったという。
リコネスの公王が兵を差し向けたが歯が立たず。
たまたま別件でリコネスを訪れていたロマが一人で海獣を倒し、マナナンとリコネスを救ったのである。
さすがは竜翼の盟主であるオーランジェットの冒険者よと、リコネスは存分な報酬とリコネスでの地位を与えようとしたが、「オーランジェットの責務である」と言って最初の契約金しかロマは受け取らなかった。
ロマの名がオーランジェット国外にも知られるようになった魔獣討伐の話である。
「雷のごとき斧槍、ガランドルは海の魔物を断ち割った。海獣ケストスは怨嗟の声をあげて、海の底へと沈みゆく」
翌日の馬車の中で、コナーがふと口にした。
女性達はいない。
ラクミーツは二台の馬車を連ねて旅をしていた。
一行の人数は、主であるラクミーツと女従者二人、護衛を兼ねる御者が2人である。
一台の馬車は豪華だが、もう一つは荷物用でやや質素だった。
ラクミーツは女冒険者が珍しいのか、女従者をもう一つの馬車に乗せるから、自分と一緒の馬車に乗りませんかとマドレーヌ達を誘ってきた。
「申し訳ありません。護衛の仕事をわたくし達はお引き受けしておりませんので」
マドレーヌが丁重にお断りをする。ラクミーツの護衛を個別に引き受けたのはイーネスとカレヌだ。
万が一道中で魔物が出た場合、協力はするが、ラクミーツの馬車に張り付くのはその二人であると説明した。
そして、イーネスとカレヌは護衛として、それぞれの馬車の後方の見張り台に乗っている。
礼儀正しい冒険者達は冒険者組合の馬車の一台を女性三人に譲り、もう一つの馬車に五人で乗ることにした。
今の見張りはマラニュである。
馬車の中にはネリキリーの他は、コナー、バンスタイン、ヤードがいた。
「俺は内陸生まれだからな。海獣との戦いが想像つかない」
両手を頭の後ろに組んでヤードが言った
「ロマ将軍は、天馬から飛び降りて海獣を仕留めて一緒に海に沈んで流されたが、リコネスの浜辺に三日後に流れついたそうだ」
コナーは足を組みなおした。
ちまたで流布された話では、助けたのは美しいマナナンの少女で、ロマとマナナンの少女はお互いに好意を持ったが、種族が違うので諦めたとされていた。
人は美しい恋の話、それも悲恋をとかく好むのかもしれない。
「いつかはロマ殿と会ってみたいものだ。コナーは会ったことがあるのか」
バンスタインはコナーに訊ねた。
「話をしたことはない。垣間見たことはあるが」
「同じ貴族でもそうなのか」
「ロマ将軍はお忙しい人だし、あまり社交を好まないようだからな」
ネリキリーが会っていたロマは人好きのする、比較的話しやすい人物だったが、責任が重くなると人は口が重くなるのかもしれない。
何事もなく馬車が進む。
平らだった地形が、やや起伏に富むものになっていく。
ビスコッテ丘陵が近くなってきたのだ。
ビスコッテ丘陵はクレーム平原とは違って、少し馬を走らせれば魔物に当たるというほどはいない。
しかし、その分強い魔物がでる。
「町が見えてきたぞ」
進行方向に向かって座っているバンスタインが外を眺めてに一同に告げる。
ネリキリーは振り返るように窓の外を確かめた。
灰色の石積みが見える。
それはメーレンゲの石壁より高く積まれていた。
「いよいよだな」
バンスタインが自らを励ますように言った。経験豊富な彼も少しは不安があるようだ。
コナーやヤードも身を引き締めるように、背を伸ばす。
みな同じか。
その動作にネリキリーはかえって落ち着き、励まされた。