七じゅういち
新しい始まりに向かう馬車の中で、ネリキリーは緊張に包まれていた。
これから過ごすカスタード団への不安や意気込みのためではない。
馬車の中の環境のためである。
馬車の後ろの見張り台は、早々にコナーが陣取っていた。
女性冒険者と馬車で行く。
その事について深く考えなかったネリキリーが後れをとった形である。
しかも、2対1ならまだしも、3対1である。
女性と向かい合う形でなく、マドレーヌが横にいる。
魔物と対峙しているより、緊張する。
親しくなった女性がいない訳ではないが、慣れているとは言えない。
だいたい男兄弟で育って、高等学院、冒険者と男ばかりの環境にいたのだ。仕方がないじゃないか。
ネリキリーは心の中で自己弁護をした。
当たり障りのない、これからよろしくなどという会話をしてから
「失礼、昨日はグッチオと話し込んで遅かったので」
と、眠ってしまうことにした。
実際、その通りで今朝はかなり眠かった。
「どうぞ」
「楽になさって」
「おやすみなさい」
三人の承諾を得て、ネリキリーは眼を閉じた。
ややしてから、女性達が話し始めた。
話題は、メーレンゲでの思い出やこれから向かうダックワーズについて。
ネリキリーに気を使ってか、小声で話している。
絶え間なく続く女性らの声を子守唄にして、ネリキリーはまどろみにおちていった。
なんだか、体が重い気がして、ネリキリーは眼を開けた。
前に座っているルチナとジョウンがお互いにもたれかかって眠っている。
少し無防備なその様子にネリキリーは我知らず微笑みかけた。
横を見れば、マドレーヌがネリキリーの肩に頭を預けて眠っていた。
あまりの近さにネリキリーは、体を固くした。マドレーヌの寝息がネリキリーの首筋にかかる。
起こしてしまおうか。
役得と楽しむ余裕は、ネリキリーにはない。
けれど、安らかに眠るマドレーヌを起こすのも忍びなかった。
生き生きと表情を変える瞳が閉じられていると、大人びてみえて、どこかなまめかしい。
マドレーヌの頭が傾いで、前に倒れそうになる。
ネリキリーは手を伸ばして彼女をささえた。
ふくらみがかすかに触れて、ネリキリーは息を飲んだ。
ネリキリーは顔を覆いたくなったが、彼女を支えているため、手は塞がっている。
支えたことで目が覚めたのか、マドレーヌが身を起こした。
ネリキリーはほっとして支えていた手を離す。
「ネリキリーさん」
見上げるマドレーヌの瞳が潤んでいるように見えた。
「私、寄りかかってしまったんですね。すみません。重かったでしょう」
「いや」
マドレーヌから視線を外すと、まだ寝ているルチナとジョウンが視界に入った。
平和な寝顔が羨ましい。
マドレーヌは首を振ったり肩を回したりして体をほぐしていた。
ネリキリーもそうしたかったが、マドレーヌの体に当たりそうで、みじろぎもできずにいた。
「マドレーヌさんは、カスタード団の人とも面識が?」
ネリキリーはなんとか話を切り出した。
「だいたいは。何せメーレンゲは始まりの町と呼ばれてますから」
「冒険者に登録するのはどの町の冒険者組合でも良いのですよね?それこそ王都でも」
ネリキリーは最初、初心者はメーレンゲでしか登録出来ないと思い込んでいた。
なので、王都から、わざわざメーレンゲを目指した。
「そうです。でも、王都ですと、魔物を狩る場所はアーディス山脈か時迷いの森になりますよね。どちらも王都から馬で半日はかかります。それに魔物の分布も中級以上が多いので、成り立ての人は効率が悪い上に危険なんですよ」
マドレーヌは初心者が王都で登録する危険性をとくとくと説いた。
そう、これでいい。
冒険者組合の話をするマドレーヌは、きっちりとしていて、先程の無防備な雰囲気を微塵も感じさせない。
「でも、カスタード団に入ったら、ネリキリーさんやみんなとメーレンゲでは会えなくなるのですよね」
マドレーヌは淋しげにささやく。
「昨日、リアクショーのジュリエッタさんにも言いましたが、依頼があればメーレンゲに行くこともありますから。そういえば、ジュリエッタさんは、王都の本店で菓子作りの修業をしたいと言っていました。異動を願ってみると。冒険者組合は所属の異動はないのですか」
「ないこともないですけど。メーレンゲの看板が移動したら困る人が大勢いますから」
マドレーヌはネリキリーに笑顔をみせた。
「ネリキリーさんは、ジュリエッタさんと再会を約束したのですね?」
「約束というか、彼女の夢が叶ったらいいと思います。……夢を実現させるのは、難しいですから」
ネリキリーは自分の夢を思いだし、少し声を落とす。
「ネリキリーさんは、ときどき、ここではない場所を探しているような目をしますね」
マドレーヌが、ネリキリーの眼を覗き込むようにして、身を寄せてくる。
暖かな体温を感じて、ネリキリーは言葉を飲み込む。
「えーと、マドレーヌさん」
ネリキリーが無理矢理、口を開こうとしたとき、馬車が急に止まった。
眠っていた二人が椅子から落ちそうになるのを、ネリキリーとマドレーヌは、相手の肩を押さえて阻止した。
馬車の扉が外から開けられて、コナーが短く言った。
「ヴォーダムームーだ」
動く水溜まりのような魔物である。
クレーム平原には、夏に近くなるとたびたび出る。
「分かった」
ネリキリーはすぐに馬車の外に出た。
魔物の襲撃が正直ありがたいと、ネリキリーは思っていた。
ネリキリーは馬車から飛び出すと、馬車の屋根に作られた荷台から、十文字槍と盾を手にして馬車から降りる。
カレヌやマラニュも別の馬車から降りてきた。
草原の中に現れたいくつもの水溜まり。
ドロリとした質感が生々しい。
それが這いずって、ネリキリー達を取り囲もうとしていた。
「ヴォーダムームーは土の魔法を使うからな。気をつけろよ」
バンスタインが皆に注意する。
どういう理屈かわからないが、ヴォーダムームーは土を取り込み、自らの粘液と混ぜ合わせて、泥玉を飛ばして攻撃してくる。
そして、その隙に獲物に取りついて、血を吸い上げるのだ。
気をつけろと言いながら、先手必勝とばかりにバンスタインが飛び出した。
「ルチナ、ジョウン、熱矢を。マラニュ、二人の援護をしてくれ」
コナーが三人に声をかけた。
「「了解」」
「承知した」
火矢だと草原に燃え広がる恐れがある。
熱に弱いヴォーダムームーを矢じりや槍先だけ熱くして、少しずつ弱らせていく作戦だ。
みなが魔道式を呟き始める。
ネリキリーも魔導式を展開していった。
泥の固まりが飛んでくる。
バンスタインが盾で防いだ。
その後ろから、カレヌが前に出て、斧槍を降り下ろした。
「俺を盾にしやがって」
バンスタインが文句をいうが、その響きは、良くやったと言っていた。
ルチナ、ジョウンの熱矢が魔物目掛けて放たれる。
射られたヴォーダムームーが二人に向かって泥玉を飛ばした。コナーとマラニュが壁を作るように二人を庇う。
ネリキリーは盾を前にしながら、魔物へ近づく。
「個人で動くな。隊列を組め」
コナーが先行しているバンスタインとカレヌに呼びかけた。
イーネスとヤード、ネリキリーは指示に従い、一列になって前に進む。
盾にびちゃりと泥玉が張り付く。
ぬめるようにヴォーダムームがネリキリー達に押し寄せる。
熱い槍をネリキリーは柔らかい体躯に突き刺した。
ヴォータームームーがぶるりと震える。
だが、魔物はそれくらいでひるまない。なおもネリキリー達に迫ってくる。
「うわっ」
バンスタインの声が上がった。
バンスタインの足元にヴォーダムームーが張り付いていた。
粘液のような体躯は、編み上げ靴の隙間から入っていく。
コナーが駆け寄る。カレヌが二人の盾になる。
「がまんしろよ」
バンスタインの足にとりついたヴォーダムームーにコナーは槍を突きさした。
蒸発するような焼けるような音が立った。
バンスタインがうめき声を出す。魔物の体躯から熱が伝わり、彼の肌も焼いているのだ。
その間も、ネリキリー達はヴォーダムームーを少しずつ焼き削っていく。
ルチナとジョウンがマラニュの大きな体の後ろから、熱矢を放った。
マラニュが近づいてくる魔物を大地を凪ぐように切り付ける。
一瞬でヴォーダムームーが消滅した。
青炎鉱の剣の威力をいかんなく発揮している。
熱さの魔法だから特に相性がいいのだろう。
さらに威力を増すにはどんな魔道式を組み立てれば。
一瞬、ネリキリーの気がそれた。
ヴォーダムームーがネリキリーの槍を持った手に張り付いた。
皮膚を破られる感触。槍が落ちる
「ネリキリー!」
ネリキリーは盾も落として、腰から鎌を引き出した。
1APS Dug mag //Ca1id //TE1-m
熱く碧銀の光を帯びた鎌の刃をヴォーダムームーに押し付ける。
魔物と皮膚が焼ける。
水分を失った魔物がネリキリーの腕から剥がれおちた。
不幸中の幸いか、皮膚が焼けたことで傷口がふさがり、血が止まる。
Ego opt 1APS Dug mag Ae FRG//Aq et Aq FRG//G1ac
水をつくり、袖を濡らして、凍り付かせる。
ネリキリーは盾を拾ったが、槍は拾わず、鎌を構えた。
「マラニュ、前に出ろ。イーネス、ヤード、射手を守れ」
ネリキリーはマラニュを呼んだ。
一番効率良く魔物を狩れるものを後衛にしておく手はない。
そして、ネリキリーの武器は、槍より、鎌のほうが魔力の効率はいい。
「悪いな。お前たちの餌にはなれない」
ネリキリーはいっそ優しげな声で囁いた。
――//Ca1id //TE1-m 武器に熱を帯びさせる。
「行くぞ」
隣に立ったマラニュと共に、ネリキリーは魔物を駆逐する……。
「ヴォーダムームーっておいしくないんだよな」
すべての魔物を片付けた後に、イーネスがぼやく。
「狩った後に食べられないからな」
水分が無くなり、焦げ付いた干物のような残骸を見下ろしてカレヌが言った。
「その美味しいじゃなくて、素材が残らないから、冒険者にとっておいしくない」
確かに狩ったあとに素材を売れるアルミラッジやハウサオロンに比べれば利益が薄いものになる。
「今は旅の途中だ。大きな魔物を狩っても、残していかなきゃならないから同じだろう」
コナーがわずかに飽きられた声を出す。
イーネスはいつも稼ぎに敏感だ。
「バンスタインとネリキリーは火傷もするし、大損だな」
「それがそうでもないんですよ」
後方で御者たちと一緒にいたマドレーヌが話に入ってきた。
手には白い器を持っている。
彼女はヴォーダムームーの干物を拾い上げると器の中に入れた。
「遺骸を集めて、ちょっと待っててくださいね」
そう言い置いて、マドレーヌは馬車へと消えた。
一同は顔を合わせたてから、マドレーヌの言葉に従って、ヴォーダムームーを拾い集めた。
しばらくすると、マドレーヌが馬車から出てくる。
「バンスタインさん、ネリキリーさんちょっと来てください」
マドレーヌが二人を手招きした。呼ばれたネリキリー達は不思議に思いながらも彼女に近づいた。
何が始まるのかと他の冒険者も近づいてゆく。
「さ、足と手を出してください。火傷の手当をします」
言われるままに二人は患部をむき出しにした。
とっさに冷やしたネリキリーの手はさほどでもないが、バンスタインの足は、焼けただれてかなりひどい。
「これは痛そうですね。でも、この薬があれば、たちまち、とはまではいきませんが、明日にはかなり治りますよ」
マドレーヌはどろりとした液状のものを匙ですくってみせた。
「それはもしかして?」
ネリキリーは先ほどのマドレーヌの行動から、その粘液がなんでできているか推察する。
「そうです。みなさんの狩ったヴォーダムームーです」
バンスタインとネリキリーは顔を顰めた。さきほどの魔物を治療のためとはいえ、自分の体に塗るのか。
「魔物の研究が進んで、ヴォーダムームーに皮膚の再生を促す効果かあると解ったんです。いくつかの薬草と混ぜ合わせて軟膏を作りました。バンスタインさんの火傷は少しひどいですが、深部まで到達してなさそうです。ネリキリーさんにいたってはすぐに冷やしているので、半日もすれば治るのではないかと思います」
ヴォーダムームの粘液をマドレーヌはバンスタインとネリキリーに塗って手早く包帯を巻く。
「悔しいが、少し痛みが引いた気がする」
バンスタインが言った。
「ひきつれたような感じが無くなった」
ネリキリーも使用感を口にした。
「そうでしょう」とマドレーヌは満足げだ。
「と、言うことは、このヴォーダムームーの遺骸は、売、れ、る?」
イーネスはマドレーヌに確認をした。
彼女は思い切り頷いた。
「はい、それもかなり高く。皮膚の再生を促進ですからね。医療用だけでなく、そのうち美容にも転化できるのではと魔法生物局と冒険者組合は考えています」
マドレーヌの話に、ルチナとジョウンが身を乗り出す。
「美容にですか」
ルチナがマドレーヌの持っている軟膏の入った器を覗きこんだ。
「例えばどんな風な?」
ジョウンはネリキリーの腕をじっとみつめる。
「ヴォーダムームーを、特殊な油に馴染ませて、顔に塗るとかですね。ぷるぷるの肌になるらしいです。ただ、魔物の供給は少ないので、今のところ医療用が最優先です」
「その軟膏の残りでも効果はあるのかしら」
ルチナがマドレーヌに問いかけた。
「これは、怪我のために調製してありますから、健康な肌には向きませんよ。ヴォーダムームーの成分を溶かす油も簡単に手が入らないんです」
「そうですか」
ルチナもジョウンも残念そうだった。
美容のためなら、あの不気味なヴォーダムームーを怪我がなくても顔に塗れるのか。
火傷だから仕方なく縫ったネリキリーは、女性の美を追求する姿は驚異に値すると思った。